『笑っていいとも!』『SMAP×SMAP』『はねるのトびら』から、現在も『水曜日のダウンタウン』『新しいカギ』『それSnow Manにやらせて下さい』など、数々の人気バラエティ番組を担当する放送作家の大井洋一氏が今年4月、日本大学芸術学部(日芸)の文芸学科に入学し、47歳にしてキャンパスライフを送っている。
日芸と言えば、かつてウッチャンナンチャンの内村光良が番組企画で受験したことでも知られるが、大井氏は完全プライベートの挑戦で見事合格。かつて大学を中退した同氏は、なぜ再び青春を謳歌しようとしているのか。その経験が本業に反映されることはあるのか。キャンパス内の一角で話を聞いた――。
格闘技を引退して見つけた新たな趣味
大井氏は以前、マイナビニュースのインタビューで、駆け出し時代に極楽とんぼの加藤浩次から「大学もまともに出れねぇやつが仕事なんでできるわけねぇだろ!」と言われたことが、ずっと心の中に残っていると話していた。今回の大学入学にあたっては、この言葉もよぎったというが、「ずっとやっていた格闘技を辞めちゃったんで、新しい趣味を探そうと思って、それを“受験勉強”にしたんです」と、きっかけを明かす。
特に志望校も決めず、大手予備校の四谷学院で本格的に受験勉強を開始。すると講師から「目標の学校くらいは決めてください」と促され、日芸を選んだ。
「高校生の頃、ハガキ職人的なことをしていて放送作家になりたかったんですけど、なり方が分からなかった時に、日芸というところで放送に携わる仕事を学べるらしいと気づいたんです。それで行きたかったんですけど、当時はちょっと敷居が高くて、受けもしませんでした。その後、爆笑問題さんや宮藤官九郎さんなど、日芸出身者がいろいろ活躍するたびに、“行きたかったところだよなあ”と頭の中にあったので、せっかくなので受けてみようと思いました」
こうして、“年に1回、日芸だけを受けるイベント”を自分の中で立ち上げ、受験勉強にまい進。「家族を連れて正月旅行にも行きましたから、真面目な受験生ではないです」と謙そんするが、週5日通い、土曜日に至っては「仕事がない時は朝から晩まで行って、自習しつつ英語2コマ、現代文1コマの個別授業を取っていました」と、“趣味”に没頭した。
予備校の宿題もあれば、放送作家としての宿題(=案出し)も提出する日々だったが、それによって「自分は与えられたものをこなすという作業が好きなんだと気づきました。よく“決められたことだけやりたくないよ”という人もいますが、逆だったんです」と捉えていたそうだ。
放送作家が言えない「自分が作りました」を世に出したい
社会人入試ではなく、現役高校生や浪人生と同じ条件の一般受験で挑んだ大井氏。1度目は放送学科を目指したが、残念ながら不合格に。その面接試験の際、「放送学科で大井さんが学ぶことは、もうないですよ」と言われたことから、翌年は小説などの創作活動を学ぶ文芸学科に志望を変更した。
「番組っていろんな人の手の集合で完成されたものなんですよ。エンドロールで自分の名前が出ても、“僕がやりました”なんてとてもじゃないけど言えない。だから、“自分が作りました”と言えるものを世に出すことをしたいと思って、本を書きたいなという気持ちがずっとあったんです」
その志望動機を、文芸学科の面接試験で楊逸(ヤン・イー)教授(※『時が滲む朝』で芥川賞を受賞した小説家)に話すと、「あなたようやく自我が芽生えたんですね」と言われ、「俺は自我が芽生えてるんだ!」とはたと気付かされたという大井氏。そして見事合格したものの、あくまで趣味として“受験勉強”をしていたため、実際に進学するかを迷ったが、「楊先生の言葉がかなり刺さったので、この先生の元で学びたいと、入学しようと思いました」と、大学生活がスタートした。