無念の結末に…成績不振でシーズン前半戦で現場を去った監督6人。チームの…

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 プロ野球の世界において、チームすべての責任を背負うのが「監督」の役割である。プレッシャーの大きいポジションだけに、チームの成績が振るわずシーズン前半から休養、事実上の解任となったケースも存在する。そこで今回は、チームの成績不振により、シーズン前半戦で現場から去った監督を取り上げたい。

テリー・コリンズ

・投打:右投左打

・生年月日:1949年5月27日

 

 低迷期のオリックス・バファローズの立て直しを期待されたテリー・コリンズ。しかし、道半ばで監督から退く結果になった。

 

 アメリカ合衆国出身のコリンズは、現役時代にロサンゼルス・ドジャースの傘下でプレーするも、メジャー昇格を果たせず。引退後、複数のメジャー球団の監督を歴任し、2006年オフに来日した。

 

 

 同年オフから監督に就任すると、2007年は成長株と見られていた坂口智隆、ルーキーの大引啓次を開幕スタメンに起用。若手起用による低迷脱却を図ったが、チームは最下位に終わった。

 

 挽回を期待された就任2年目も開幕から波に乗れず、5月21日の試合終了後に突然の辞任を発表。日本での挑戦はまさかの形で幕を閉じた。

 

 その後、ニューヨーク・メッツの監督に就任し、2015年にはリーグ優勝を達成。ワールドシリーズで敗れたが、その手腕はファンからも高く評価された。

梨田昌孝

・投打:右投右打

・身長/体重:178cm/80kg

・生年月日:1953年8月4日

・経歴:浜田高

・ドラフト:1971年ドラフト2位

 

 指導者として結果を残した実績がある梨田昌孝。しかし、東北楽天ゴールデンイーグルスでは、チームを優勝に導けなかった。

 

 1971年のドラフトで近鉄バファローズに入団し、以後17年間、近鉄一筋でプレーし続けた梨田。リーグを代表する捕手としてプロ通算1323試合に出場、113本塁打の成績を残した。

 

 

 引退後、数年のブランクを経て近鉄にコーチとして復帰。また、2000年から近鉄の監督に就任すると、2001年には強力打線を武器にチームをリーグ優勝に導いた。

 

 2008年から北海道日本ハムファイターズの監督に就任すると、就任2年目の2009年にリーグ優勝を経験。

 

 2015年オフ、楽天の監督に就任すると、2017年は開幕から勝ち星を重ね、優勝も期待されたが、シーズン終盤の大失速で3位に終わった。

 

 監督就任3年目となる2018年は歯車が噛み合わず、交流戦の時点で借金20と大苦戦。成績不振を理由として辞任が発表され、3球団でのリーグ優勝は現実とならなかった。

大矢明彦

・投打:右投右打

・身長/体重:173cm/77kg

・生年月日:1947年12月20日

・経歴:早稲田実 - 駒沢大

・ドラフト:1969年ドラフト7位

 

 2度目の監督就任ながら、5月中旬で休養を余儀なくされたのが、大矢明彦である。

 

 駒沢大を経て1969年ドラフトでヤクルトアトムズ(現・スワローズ)に入団。16年の現役生活を全うし、解説や評論家時代を経て、横浜ベイスターズ(現・DeNA)のコーチに就任し、1996年から監督を務めた。

 

 

 1997年の2位躍進に貢献しながらも、同年限りで退任。その後、再び解説者としてのキャリアを歩み、2007年に2度目の監督就任を果たすと、同年は4位に食い込んだ。

 

 就任2年目は手腕が期待されたものの、投手陣が壊滅状態だったチーム事情もあり、最下位でシーズン終了。

 

 同年は内川聖一が首位打者、村田修一が本塁打王に輝いたことが、せめてもの救いだった。

 

 汚名返上を誓った就任3年目だったが、開幕6連敗スタートという厳しい状況に。5月下旬を前にして無期限の休養が発表され、現場に戻ることはなかった。

高田繁

・投打:右投右打

・身長/体重:173cm/70kg

・生年月日:1945年7月24日

・経歴:浪商高 - 明治大

・ドラフト:1967年ドラフト1位

 

 3年契約の途中で監督を辞任したのが、東京ヤクルトスワローズの監督を務めた高田繁である。

 

 明治大学から読売ジャイアンツに1967年ドラフト1位で入団。プロ1年目から高いバッティング技術を披露し、規定未満ながら打率3割を超える成績だった。

 

 

 1980年に現役を退き、1985年から日本ハムファイターズ(現:北海道日本ハムファイターズ)の監督に就任。

 

 その後はGMも歴任したのち、2007年オフにヤクルトの監督に就任。監督初年度はリーグ5位と苦しんだが、翌2009年にはチームを3年ぶりのAクラス入りへ導いた。

 

 しかし、2010年はチーム全体として調子が上がらず、シーズン序盤から大きく負けが先行。

 

 そして、同年の5月下旬に辞意を表明。当初は球団から慰留されたものの、連敗を止められなかった責任を受け止め、現場から離れることを決断した。

森脇浩司

・投打:右投右打

・身長/体重:177cm/71kg

・生年月日:1960年8月6日

・経歴:社高

・ドラフト:1978年ドラフト2位

 

 大健闘を見せた2014年シーズンの後、予期せぬ形で監督業から退いた森脇浩司。勝負の世界の厳しさが垣間見える一件だった。

 

 森脇はドラフト2位で近鉄バファローズに入団すると、広島東洋カープや南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)などでプレー。ユーティリティプレイヤーとして高く評価され、1996年にユニフォームを脱いだ。

 

 

 ソフトバンク、読売ジャイアンツのコーチを経験し、2012年のシーズン終盤、岡田彰布の休養にともなって監督代行に就任。

 

 翌2013年から正式に監督に就任すると、同年は5位に終わったが、翌2014年は首位とゲーム差なしの2位と躍動。

 

 惜しくも優勝には届かなかったが、シーズンオフに小谷野栄一、トニ・ブランコといった大型補強を敢行した。

 

 迎えた2015年、開幕前の下馬評は高かったものの、その補強選手が故障で相次いで離脱。開幕後から負けが続き、6月に成績不振を理由に休養を発表。同年限りで退任となった。

松井稼頭央

・投打:右投両打

・身長/体重:177cm/85kg

・生年月日:1975年10月23日

・経歴:PL学園高

・ドラフト:1993年ドラフト3位

 

 現役時代はスーパースターとして名を馳せた松井稼頭央だが、監督としての結果は残せなかった。

 

 PL学園高から1993年ドラフト3位で西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に入団し、1998年にMVPを獲得。

 

 

 2002年には全140試合に出場し打率.332、36本塁打、33盗塁の好成績を残しトリプルスリーを達成。球界屈指のスタープレーヤーとなった。

 

 メジャーリーグでの経験も経て日本球界に復帰し、2018年に西武で引退。その後は西武の二軍監督、一軍ヘッドコーチを経験し、2023年シーズンから一軍監督に任命された。

 

 常勝軍団の立て直しを任されたが、2023年は5位。さらに昨季は歴史的な貧打に悩まされ、一時はシーズン100敗ペースと言われるほど、苦しいチーム状況になっていた。

 

 同シーズンの交流戦前に休養が発表され、早くも現場から去った松井。現役時代の輝きから考えると、あまりにも寂しい終わり方に映ったファンは多くいただろう。

 

 

【了】