連載:アナログ時代のクルマたち|Vol. 53 ロータス40

コーリン・チャップマンが生み出したロータスという車は、すべてのモデルに通し番号が打たれているが、あくまでも開発順の番号であって、それが登場した時期とは一致していない。このため、登場する期日と番号は必ずしも順番通りというわけではないし、レーシングカーもプロダクションカーも入り乱れているのである。

【画像】わずか3台が作られたのみのロータス40は、スロットカーの世界でも人気の車種(写真9点)

ロータス40と呼ばれるモデルは、ロータスが作った最後のレーシングスポーツであり、この車はロータス30の進化版であった。ということで、ロータス40を語る前にロータス30の説明をする必要がある。

元々はイギリスのバックヤードビルダーであったロータスゆえに、初期は搭載しているエンジンが、いずれもイギリス製の小排気量エンジンで占められていた。ところが、チャップマンが初めて製作した比較的大型のレーシングスポーツ、ロータス19にはコヴェントリークライマックスの2.5リッターエンジン以外にも、ビュイック製の3.5リッターV8が搭載されていたのである。ロータス初のミドエンジン車だったシングルシーターのロータス18をベースに2シーター化されたこのマシンは、大きな成功を収め、17台制作された多くはアメリカに渡った。

このうちの1台、ペースセッターレーシングの創設者、ジョン・クルーグがチャップマンにオーダーした19は、フォード製の289ユニットを搭載し、コロッティのトランスミッションと組み合わせる仕様とするために、他の19とは異なるものとされ、その名も19Bと称した(19Bはこれ1台しか作られていない)。ダン・ガーニーがドライブしたこのマシンは、残念ながら大きな成功は収めることができなかったが、チャップマンにはアメリカ市場が魅力ある市場に映ったことは間違いない。

その後、1963年にチャップマンは初めてインディ500にマシンをエントリーする。この時搭載されていたエンジンも、フォード製のV8ユニット。ドライバーもジム・クラークとダン・ガーニーであった。こうして魅力的なアメリカ市場に打って出るため、当時USRRCが開催していた、USACロードレーシングチャンピオンシップに照準を当て、V8エンジンを搭載したグループ7カテゴリーのレーシングスポーツを開発する。これがロータス30であった。ちなみにUSACロードレーシングチャンピオンシップは後にCan-Amシリーズに発展し、日本のレースにも大きな影響を与えた。

チャップマンはロータス30の開発にあたり、19で使っていたチューブラースペースフレームではなく、タイプ26、すなわちロータス・エランに使った鋳鉄製のY字バックボーンフレームを、ミドシップ車用に逆転させて使うアイデアを用いたのである。とはいえ、すでにローラなどはアルミモノコックを採用する時代に突入していたため、バックボーンフレームでは、強大なV8パワーに対して剛性がなさすぎたし、おまけにメンテナンス性が悪く、ギアレシオを変更するにもリアサスペンション全体を下ろす必要があったという。

一見とてもスムーズで低いボディワークも、実際にはダウンフォースが不足していたようで、こうした欠点を改良したS2を投入するも、実戦での成功は望めなかった。

そうは言ってもチャップマンの目論見通り、商業的には成功し、ロータス30はS1を23台、S2を9台と、合計33台も生産した。17台だったロータス19から比べたら、いわゆるヒット作である。しかし、それがかえってロータスにマイナスイメージを植え付けてしまった。つまり剛性不足のドライブフィールは決して改善されなかったし、レースでの成績も常にローラやマクラーレンの後塵を拝した。これを解決すべく更なる補強と強力なブレーキ、それにパワフルなエンジンを搭載し、ホイールも径を拡大したモデルがロータス40であった。しかし、このマシンも同じY字バックボーンフレーム構造であったことから、根本的な解決はなされておらず、30および40の失敗から、チャップマンは以後フォーミュラカーに専念し、レーシングスポーツの市場から撤退した。

ロータス40はわずか3台作られたのみで、現在その消息が分かっているマシンはシャシーナンバー1のマシンのみ。ロッソビアンコ博物館に展示されていたマシンは2号車もしくは3号車のどちらかということになるのだが、2号車についてはエアロテックラボラトリーズの創業者であるピーター・J・レグナ氏が、同社の宣伝材料として60年代後半にロータス40の写真を使っているが、その後の消息は不明。そして3号車は最初にアメリカのロータス サウスウェスト社にデリバリーされ、そこでAJフォイトがドライブしたことはわかっているものの、現在の消息は不明ということである。

ちなみにロータス40をドライブしたアメリカ人ドライバー、リッチー・ギンサーによれば、「ロータス40は基本的に30と同じだけど、問題を10個増やした」と語っていたそうだ。

ホンモノの世界ではこれほどまでに失敗作の烙印を押されたロータス30/40だが、何故か模型の世界では、とりわけスロットカーがブームとなった60年代の代表作となっている。さらには今もミニカーやプラモデル、それにレジンモデルなどが販売されている。かく言う筆者も複数のロータス30/40を所有している次第。

文:中村孝仁 写真:T. Etoh