
メルセデス・ベンツ300SLが誕生したのは1954年。実はその2年前に、メルセデスはコードネームW194として、300SLという名のモデルをレースシーンにデビューさせた。1952年当時は、いわゆるスポーツカー・チャンピオンシップは確立されておらず、メルセデスは5つのレースにフォーカスして出場する道を選んだという。その5つのレースとは、ミッレミリア、スイス・グランプリのサポートレース、ニュルブルクリンクでのドイツ・グランプリのサポートレース、ル・マン24時間、そしてカレラ・パナメリカーナであった。
【画像】まさに真のスーパーカー、メルセデス・ベンツ300SL(写真13点)
そもそもこの車の存在が発覚したのは、1952年1月にドイツの自動車雑誌『アウト・モーター・ウント・シュポルト』がスクープしたのがきっかけで、その時は300Sと呼ばれ、その後300SSに。そしてデビュー時は300SLとなっていた。
最初のレース、ミッレミリアには3台の300SLが出場。カール・クリンク/ハンス・クレンク組のマシンが2位に入った。続くスイス・グランプリのサポートレースでは、新たに作られた1台を加えて4台がエントリー。このうち3台が1、2、3フィニッシュを決めている。そしてル・マン24時間。3台エントリーしたマシンは、見事に初出場でワンツーフィニッシュを遂げた。ドイツ・グランプリのサポートレースでは、すべてのマシンがルーフのないスパイダーの姿で登場。そしてここでも優勝。最終戦となったカレラ・パナメリカーナでもワンツーフィニッシュを果たし、その強さを如何なく発揮したのである。
搭載されたM194と呼ばれるエンジンは、直6 SOHC3リッターで、3基のソレックスキャブレターを備えていた。このエンジンはW194専用に作られたもので、僅か10基しか生産されなかった。
その後継続開発されて11台目のW194が誕生するところだったが、当時のメルセデスはスポーツカーレースではなく、フォーミュラレース参戦に舵を切り、スポーツレーシングカーの開発はここで終了する。しかし、アメリカのメルセデス・インポーターであったマックス・ホフマンの強い要望によって、このW194をベースとしたロードカーの量産化が決定され、これが後にメルセデスベンツ300SL(コードネームW198)として誕生するのである。
日本でスーパーカーという言葉が定着したのは70年代のことで、ランボルギーニ・ミウラやフェラーリ365GTB4ディトナなどが、その元祖と言われる。しかし、これらのモデルはいずれも元々ロードカーとして生を受けたものだが、それより10年以上前に誕生したメルセデス・ベンツ300SLは、レーシングカーをベースにそれをロードカーに作り直したという点で決定的に異なっており、まさに真のスーパーカーは、この300SLにとどめを刺すと言っても過言ではない。
その量産300SLが誕生したのは、1954年のことである。W194に搭載されていたM194エンジンは、量産300SLではM198に代わった。とはいえドライサンプの3リッターというキャパシティや、SOHCのレイアウトはM194と全く同じ。そして搭載方法も50度左に傾けている点も同じである。変わった点と言えば、3基のソレックスキャブレターに代えて、ボッシュのメカニカルインジェクションを装備した点と、それをシリンダーにダイレクト噴射するいわゆる直噴エンジンとなっていたことである。
トラス構造の美しいチューブラースペースフレームも、W194から受け継がれた。SL(ドイツ語でスーパーライトを意味する)の由来は、そのシャシー単体が極めて軽量で、さらにボディもボンネット、ドア、トラックリッド、それにダッシュボードをアルミ製として軽量化したことからそう呼ばれる。
ドイツ人がFluegel Turen(ウィングドア)と呼んだ独特のドアは、アメリカ人によってガルウィングと呼ばれて一般化した。これをデザインしたのは戦前の540Kなどもデザインした、フリードリッヒ・ガイガーというダイムラーベンツのプロパー・デザイナーだ。1973年にリタイアするまでデザイン部門で働き、後に羽ベンなどと呼ばれたW111/112のデザインなども手掛けた人物である。そしてガイガーを引き継いだのが、近代メルセデスのデザインを確立したブルーノ・サッコである。
300SLが誕生した当時のレーシングカーは、チューブラースペースフレームが一般的で、剛性確保とドア開口部のレギュレーションを満たすうえでは、最もエレガントな解決策と言われていた。しかし、市販車にそれを使った場合サイドシルが著しく高くなり、結果的に普通のドアが使えずにガルウィングとなった。しかもそのサイドシルは幅が広く、乗降には独特の様式を必要とした。まずドライバーは横向きになって座面に腰を下ろす。その後に足を室内に引き入れる際に邪魔になるステアリングは、レバーひとつでドライバー側に倒れる仕組み。倒れたステアリングがスペースを確保してくれるというわけである。
生産台数は1400台と言われ、この中には29台のアルミボディとプレキシグラス、ハイパフォーマンスNSLエンジンにラッジ・センターマウントホイールを装備したモデルが含まれる。
文:中村孝仁 写真:T. Etoh