
それは、ヴァンセンヌ旧車会の会場での何気ない会話から始まった。1980年代のラリー界を席巻したランチア・デルタHFインテグラーレ、その見事なレプリカの傍らに立つオーナーが、ふと日本の都市の名を口にした。
【画像】自らの手で忠実に蘇らせた伝説のランチア・デルタHFインテグラーレのインテリアやディテール(写真23点)
「京都が大好きなんだ。数年前に訪れたんだけど、あの街には特別な何かがある」
パリ近郊在住のミッシェル氏。彼のその一言に、筆者Tomoも思わず声を上げた。というのも、その翌日には、筆者自身が参加する京都国際写真祭『KG+』のため、まさに京都へ向かう予定だったのだ。遠く離れた異国の土地がきっかけとなり、一気に会話は盛り上がった。
改めて愛車のことを尋ねると、彼は静かに目を輝かせながら語り始めた。
1980年代後半、世界ラリー選手権(WRC)の舞台で圧倒的な存在感を示したのが、ランチア・デルタHFインテグラーレである。グループA規定下で開発されたこのモデルは、1987年から1992年にかけて6年連続でマニファクチャラーズタイトルを獲得。雪とグラベルを駆け抜ける姿、マルティニカラーのボディに宿る闘志は、いまなお語り草となっている。
そんな伝説のマシンに魅せられ、自らの手でその魂を蘇らせたのがミッシェル氏だ。彼の手によって蘇ったのは、1989年式デルタHFインテグラーレの8バルブモデルをベースに、当時のグループA仕様を忠実に再現したレプリカである。
搭載されるエンジンは、イタリアでチューンアップされた270馬力の特別仕様。Garrett製のターボチャージャーを装備し、鋭く応答するそのフィーリングは、グループAマシンに限りなく近い。レストア作業はフランスの名門「MCG Propulsion」が担当し、ボディシェルからシャシー、インテリア、エンジンルームに至るまで、1年半をかけてすべてをオリジナル仕様で再構築した。
完成後は「パスポート・テクニーク(技術車検証)」も取得し、歴史的ラリーイベントにも出場可能な一台に仕上がっている。
熱心なイタリア車愛好家でもあるミッシェル氏は、現在も複数のフェラーリを所有しており、これまでのイベントにはそちらで参加してきた。だが今回、彼は初めてこのランチアを駆って、パリ東部・ヴァンセンヌの旧車ミーティングへと足を運んだ。その姿は、かつてのWRCを知る来場者たちの記憶を鮮やかに呼び起こし、大きな注目を集めた。
そんな彼にとって、今回のレストアにはもうひとつの意味がある。愛車の”第二の人生”が、偶然にも、かつて心を動かされた街・京都と静かにつながっていることだ。
「私にとって、京都との出会いは人生の宝物です。そしてこのランチアとともに、その京都とまた関われることが本当に幸せです」
実際、本稿は僕が現在参加している京都国際写真祭『KG+』の会期中、京都のホテルで執筆している。ラリーファンを夢中にさせたイタリアのマシンと、異国の街に根ざす芸術の営み。その交差点に生まれたこの物語は、まさに時代も場所も越えて人をつなぐ、機械以上の輝きを放っている。
写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI