
ジョージ・クリントンの宇宙規模のファンク・ビジョンが世界を変え、他に類を見ない音楽的マルチバースを生み出した。その全貌を体感するためのガイドがここに。
デトロイト出身の”狂人”でありドゥーワップのベテランでもあるジョージ・クリントンは、70年代に「ギター重視でロック路線」のファンカデリック(Funkadelic)と、「ダンスフロア直撃のブギー」を展開するパーラメント(Parliament)という、銀河系でも指折りのクレイジーな2つのバンドを率いていた。この二つを同時に成り立たせられたのは、クリントンのような天才だけだ。やがてパーラメント=ファンカデリック帝国(Pファンク)は一大現象となり、「アンクル・ジャム」ことクリントンが率いる超絶技巧のオールスターバンド――”宇宙から来た兄弟たち”が、ぶっ飛んだコンセプト・アルバムを次々とリリースしていく。そのビートは、後のヒップホップやダンス・ミュージックのマザーシップとなった。
ライブはというと、60フィートのマザーシップが着陸するというSF超大作ばりの大仕掛け。破天荒で、混沌としていて、多様で、笑えて、しかも体が勝手に動き出すようなグルーヴ。Pファンクのカタログに比べられるものなんて他にない。ファンクは宇宙的生命力であり、「頭を解放すれば、ケツもついてくる」というアフロフューチャリズム的精神を体現しているのだ。83歳になった今も、ジョージ・クリントンは全力でファンクし続けている。ツアーにも出て、いまだに〈屋根をぶち壊して〉いる。
Parliafunkadelicment Thang(Pファンクの世界)は、それ自体がひとつの音楽宇宙。その探索は最高に楽しい旅になるはずだ。というわけで、数多くあるPファンクの作品の中から、名盤・カルト作・サイドプロジェクト問わず、間違いなくあなたの足取りを軽くし、腰にビートを刻んでくれるベスト25枚を厳選して紹介しよう。覚えておいてほしい――ファンクはそれ自体がご褒美なのだ。
25位:ファンカデリック『The Electric Spanking of War Babies』
1981年
ファンカデリック、最後の大爆発――そして崩壊へ。『The Electric Spanking of War Babies』は混沌としたアルバムかもしれない。でも、ジョージ・クリントン自身が終盤で言っているように、〈これは”平等にヤバい”やつさ〉。タイトル曲からいきなり炸裂する。アンクル・ジャム(クリントン)がニューウェーブ世代の若者たちの音に耳を傾け、それに応えるかのように放ったのがこのシンセポップ・ナンバー。ジュニー・モリソンによるヴォコーダーのフック、マイケル・ハンプトンのハードなギターが冴え渡る。冒頭ではこんな陽気なパーティーチャントが炸裂する。〈俺の靴で1マイル歩くことはできても、俺の足で1ステップ踊ることはできないぜ!〉
「Funk Gets Stronger」は2回登場。1回目はZappのロジャー・トラウトマンとの共演、2回目は”失われた存在”スライ・ストーンとのテイク。過去と未来をつなぐブリッジのような一曲だ。ちなみに、スライとクリントンは薬物で一緒に捕まったこともある。だが、この頃すでにPファンク帝国は崩壊の兆しを見せていた。アルバムジャケットのペドロ・ベルによるアートワークでさえ、検閲を受けてしまうほどだった。『Electric Spanking』は、以降33年間リリースされなかったファンカデリック最後のアルバムとなった。
24位:ジョージ・クリントン『Hey, Man, Smell My Finger』
1993年
プリンスとヒップホップのおかげで、ジョージ・クリントンは完全復活を果たした。以前にも増して有名に、影響力のある存在となり、ついに長年ふさわしいとされてきた”伝説”の座についたのだ。ジェームス・ブラウンに次いで、ヒップホップで最もサンプリングされたアーティストとなり、90年代初頭のGファンク・サウンドは、まさに”聖ジョージ”のファンキーなチャリオット(戦車)に乗ったようなものだった。
そんな中、彼は絶好のタイミングで再び戦闘モードに戻り、プリンスのレーベル「ペイズリー・パーク」からリリースしたのがこのアルバム。その中でも「Paint the White House Black」はまさにアンセム。スヌープ&ドレー、パブリック・エナミー、Yo-Yo、アイス・キューブ、ハンプティ・ハンプらが、ここで”オリジネーター”であるクリントンに敬意を表している。この勢いは1994年の『Dope Dogs』、1996年の『T.A.P.O.A.F.O.M.(The Awesome Power of a Fully Operational Mothership)』へと続き、そこから長いスタジオ沈黙期間へと入っていく。
23位:ファンカデリック『Uncle Jam Wants You』
1979年
ジャケットでジョージ・クリントンは、ブラックパンサー党の指導者ヒューイ・ニュートンに扮し、〈退屈なダンス・ミュージックを救い出す〉という過激派のフリをした宣言を掲げている。アルバムの最初の20分は、たった2曲によるノンストップ・ファンク。「Freak of the Weak」と、15分にも及ぶ「(Not Just) Knee Deep」は、その後デ・ラ・ソウルが1989年のヒット曲「Me Myself and I」でサンプリングしたことで、Pファンク屈指の有名リフとなった。
このアルバムの秘密兵器はフィリップ・ウィン。スピナーズ時代にフィラデルフィア・ソウルの名曲を数々歌い上げた、あの艶のある歌声の持ち主が、クリントン率いる”Vocal Assault & Funkatition Team”の精鋭として、新たなグルーヴを見つけている。さらに、新加入のギタリスト、デウェイン”ブラックバード”マクナイトも飛翔を見せる。
この後1年で、クリントンはこのフォーミュラをそのまま2作に拡張。パーラメントの『Gloryhallastoopid, or Pin the Tale on the Funky』(ドラマーが〈アフリカ系電話交換手〉とクレジットされている)と『Trombipulation』が立て続けにリリースされた。
22位:Pファンク・オールスターズ『Urban Dancefloor Guerrillas』
1983年
「Atomic Dog」のヒットを受けて、ジョージ・クリントンはPファンクの仲間たちを再結集させ、自身のレーベル「アンクル・ジャム」から『Urban Dancefloor Guerrillas』をリリース。迷える息子たち(娘たち)もマザーシップに帰還し、ファンキーな祝祭が再び始まる――すべての罪は(少なくともその時点では)水に流される。
「Hydraulic Pump」はまさにモーター・シティのグルーヴ。重機のようなゴツゴツした反復リズムと工業的な音が鳴り響き、ポスト・クラフトワーク的な”man-machine”サウンドを体現している。数年後に登場するデトロイト・テクノを先取りしているような感触すらある。スライ・ストーンも参加しており、これは彼にとって音楽的栄光の最後の瞬間となった。
21位:エディ・ヘイゼル『Game, Dames, and Guitar Thangs』
1977年
「これは永遠のグループで、間違いなく永遠の秘密があるんだ」と、エディ・ヘイゼルはかつて作家グレッグ・テイトに語っている。「誰も口にしないようなことばかりで、まるで結社にいるようなもんさ」。
最初にして最高のPファンク系ギターの天才、エディ・ヘイゼルが唯一残したソロ・アルバムがこの『Game, Dames, and Guitar Thangs』だ。長年にわたってコレクター垂涎のレア盤とされ、あまりの人気ぶりに、1994年放送のドラマ『ホミサイド/殺人捜査課』では、このアルバムを傷つけられた男が逆上して相手を撃つというエピソードまで登場している。
ハイライトは、60年代ヒッピーの象徴、ママス&パパスの「California Dreamin」を、ローレル・キャニオンに爆弾を投下するような勢いでインダストリアルに破壊し尽くすヘイゼルのギター。そのとき、〈木の葉はほんとうに、ほんとうに茶色に染まって〉響いてくる。
20位:ブーツィーズ・ラバーバンド『Ahh…The Name is Bootsy, Baby!』
1977年
すべてのファンカティア(ファンク信奉者)たちに最も愛される存在、星型サングラスと宇宙服を発明した伝説的ベーシスト、ブーツィー・コリンズ。彼は「Sex Machine」や「Super Bad」といった名曲で名を上げた後、ジェームス・ブラウンからPファンクへと移り乗った。”ブーツィラ”ことブーツィーは、Pファンクのスピンオフとして最も成功したプロジェクトのひとつである自身のバンド、ラバーバンドで大ヒットを飛ばす。特に1977年の『Ahh…The Name is Bootsy, Baby!』はその代表作だ。
「The Pinocchio Theory」では、彼がこう警告する。〈ファンクを偽ると、鼻が伸びるぜ!〉このイメージをジョージ・クリントンが気に入りすぎて、Pファンク・ユニバースの悪役キャラ”サー・ノーズ・ドヴォイドオブファンク”として具現化したというエピソードも有名。”年齢不詳のブーツィー”は、2025年に最新アルバム『Album of the Year #1 Funkateer』をリリースする。スヌープ・ドッグとウィズ・カリファをフィーチャーした、その名もひねりの効いた「The Influencers」も話題となっている。
19位:ファンカデリック『Free Your Mind…And Your Ass Will Follow』
1971年
ジョージ・クリントンはよくこう自慢する――「ファンカデリックの2作目は、みんながLSDでキマってる状態で、1日で録ったんだぜ」。その言葉、信じていい。『Free Your Mind…And Your Ass Will Follow』は、タイトルのスローガン性も含めて、ファンク・モブが最も”ぶっ飛んでいた”時期の記録だ。特に、10分に及ぶタイトル・ジャムはその極み。エコーチェンバーとフィードバックが渦巻く、プロト・ダブ的なフリークフェストの中で、クリントンがこう説教する。〈天国はお前の内側にある!〉
このアルバムはデビュー作よりも内省的で、宗教や資本主義をテーマにしたメッセージが込められている。「Funky Dollar Bill」では、ギターとボーカルを担当していたトール・ロスがヘヴィメタルばりの存在感を発揮。彼はその後、ドラッグで精神を病み、バンドを離れることになる。そしてここで初めて、後に伝説となるキーボード奏者バーニー・ウォーレルが登場。彼のファンキーでワイルドなピアノが、見事に主役をかっさらっている。
18位:パーラメント『Osmium』
1970年
60年代にモータウン系グループ「ザ・パーラメンツ」としてヒットを飛ばしたジョージ・クリントンだったが、のちにその名前の使用権を失ってしまう。そこで彼はバンド名を「ファンカデリック」に変更し、同じメンバーで別レーベルから今度は「パーラメント」名義で新たなアルバムを発表する。その1作目がこの『Osmium』だ。
内容はファンカデリックと同様、LSDで焼き尽くされたようなロック・コンセプト。そしてメンバーも同じく”アシッド漬け”。アルバムタイトルの「オスミウム」は、地球上で最も重い金属で、鉛の約2倍の密度を誇る(ジミー・ペイジ、これが本物の”重さ”だぜ!)。
「I Call My Baby Pussycat」は埋もれたクラシック。発情したギターがうなりを上げる、猫科の血に飢えた存在を讃えるガレージ・ファンクの逸品だ。再発盤には、必聴の轟音ファンク・シングル「Red Hot Mama」も追加収録されている。
17位:ザ・ブライズ・オブ・ファンケンシュタイン『Never Buy Texas From a Cowboy』
1979年
Pファンクのサイドプロジェクトの中でも、とびきり奇妙で最高に楽しいのがこのザ・ブライズ・オブ・ファンケンシュタイン。ドーン・シルヴァ、シーラ・ホーン、ジャネット・マクグルーダーの3人組が、パーティー・ガールとして人生で培ってきた知恵を大胆に披露しながら、バンドは華やかでグルーヴィーなローラー・ディスコ・サウンドを展開。マイケル・ハンプトンのギターがたっぷり盛り込まれている。
彼女たちは”グランマ”の言葉を引用する。〈でこぼこがなきゃ、乗り越えることもできない〉。ブライズはPファンクにおける2番目のガールズ・グループ。最初のグループだったパーレットにも、隠れた名曲「Huff N Puff」があることを忘れずに――ライターを掲げて称えよう。
16位:パーラメント『Up for the Down Stroke』
1974年
ファンカデリックでの成功を経て、ジョージ・クリントンはサイドプロジェクトだったパーラメントを再始動。メンバーは同じだが、今度はよりR&B寄りの方向性で、ダンスフロア制覇を目指した。「パーラメントにはサイケなギターはなし、ファンカデリックにはホーンなし」と、彼は1990年にローリングストーン誌で語っている。「何度かそのルールを破ったけど、基本はそれが大きな違いだったんだ。」
この『Up for the Down Stroke』で、パーラメントのサウンドは決定的に確立される。キーボード、ホーン、ブーツィーのスペース・ベース、ソウルフルなコーラスがひとつに溶け合う。「Testify」は、彼がかつて所属していたドゥーワップ・グループ「ザ・パーラメンツ」が1967年に残した一発ヒットのセルフ・リメイク。ファジー・ハスキンス、グレイディ・トーマス、レイ・デイヴィス、カルヴィン・サイモンという旧メンバー4人の強力な歌声が再集結している。それは、過去への敬意であると同時に、翌年に迫った『Chocolate City』や『Mothership Connection』といった黄金期へと踏み出す、大胆な未来への第一歩だった。
15位:ジョージ・クリントン『Computer Games』
1982年
長年にわたる法的トラブルとドラッグによる混乱の末、Pファンク帝国が瓦解し、世間はジョージ・クリントンを”終わった人”だと思っていた。だが、”ドクター・ファンケンシュタイン”はラボに戻り、見事に復活。予想外のソロヒットとなった『Computer Games』で、新しい世代のハートに〈バウワウ〉と吠えながら再登場した。
彼はビデオゲーム、シンセ・ファンク、ドラムマシン、シュガーヒル・ラップといった当時の若者文化を、同世代の誰よりも遊び心たっぷりに取り入れている。「Atomic Dog」での犬的フリースタイルは、激しいパーティー明けに収録されたもので、本人いわく〈スタジオに入った時には目も見えず、完全にぶっ飛んでた〉状態だったという。だが、プロデューサー兼共作者のゲイリー ・シャイダーとデヴィッド・スプラドリーがクリントンを支え、歴史的な瞬間がマイクの前で生まれた。
「Atomic Dog」は、逆再生ドラムループとシンセ・ベースのフックで80年代を代表する一曲となり、ジョージの代名詞に。無数のヒップホップ・プロデューサーがこの曲をもとにキャリアを築いた(ドクター・ドレー、いま咳しなかった?)。そして誰も、彼を”終わった人”とは二度と言えなくなった。ウ〜〜ッ!
14位:ファンカデリック『Tales of Kidd Funkadelic』
1976年
〈ヤる気がねぇなら、とっととクソみたいなケツ持って帰んな〉。これはファンカデリック版のスティーリー・ダン・アルバムとも言える作品。洗練されていてジャジー、でもぶっ飛んだ感覚が漂うこのアルバムでは、ポン引きやイカサマ師たちが”ハイエンドな底辺生活”を謳歌している。
「Undisco Kidd」は70年代の独身向けバーを巡るツアーのような一曲で、〈ケツがデカすぎてバンプできない〉グルーピーたちが登場する。「Take Your Dead Ass Home」はライブの定番キラーで、クリントンが〈ロックンロールにすぎねぇよ!〉と叫びながらも、しっかりノッている。
『Kidd Funkadelic』は契約消化のために突貫で作られたアルバム。もっと大きなレーベルと契約してガッツリ稼ぐための、いわば”通過儀礼”だった。それでも、”迷ったら vamp(反復演奏)でいけ”という手法が、このシニカルで享楽的なスリージー感にぴったりハマっている。同時期に録音されたアルバム『Hardcore Jollies』とは、まさに姉妹作的な一枚だ。
13位:ファンカデリック『Hardcore Jollies』
1976年
『Hardcore Jollies』は、前作『Kidd Funkadelic』からわずか1カ月後にリリースされた。どちらも同じセッションから生まれた作品だ。このアルバムでは、新たなギターヒーロー、マイケル・ハンプトンと、その先輩にあたるエディ・ヘイゼルのプレイがフィーチャーされている。エディは、「Comin Round The Mountain」というキャンプファイヤー・ソングをぶっ壊すようなぶっ飛びプレイで、完全にゾーンに入っている。
「このアルバムには、タイトル以外に特にコンセプトはなかった」と、ジョージ・クリントンは自伝で語っている。「もしあったとすれば、楽器をぶっ壊す勢いで演奏すること――つまり、ロックンロールでブチ上がって快感を得るってことなんだ。だから俺はこの作品を”世界中のギタリストたち”に捧げたんだよ」。
12位:パーラメント『Motor-Booty Affair』
1979年
Pファンクにはいつも子どものような遊び心があった。だから彼らが、まっすぐに”アニメ的キッズ・ファンク・アルバム”を作ったのは自然な流れだったとも言える。『Motor-Booty Affair』の舞台は海の底。モビー・ディックがオクトパシーを追いかける、〈Aqua Boogie〉な幻想世界。海のうねりに乗って繰り広げられる、サイコ・アルファ・ディスコの冒険譚だ(ちなみにこのアルバムは、同年にリリースされたB-52'sの「Rock Lobster」と海洋系のダジャレを競い合っている)。
しかし、多くのPファンク作品と同じく、このアルバムにもディアスポラ的な視点が潜んでいる。水没した都市アトランティスは、失われた”もうひとつのブラック・マザーレンド(母なる故郷)”として描かれているのだ。9分に及ぶ「Deep」では、パーティーピープルたちが海の底へ潜り、アトランティスを水面へと浮上させようと〈バンプ&ボップ〉で盛り上がる。
11位:パーラメント『Greatest Hits』
1984年
史上最も奇妙なベストアルバムのひとつ。パーラメントの『Greatest Hits』は、一見すると意味のない企画にも思える。というのも、彼らの楽曲はすべてが壮大なコンセプト・アルバムの中に位置づけられていたからだ。だが、それらの楽曲を文脈から切り離して並べてみると、まったく新しいコンセプトが浮かび上がる――つまり、「パーラメントがもし本気でポップバンドをやっていたら?」という仮想の姿だ。
グルーヴは直線的で、まとまりがあり、コンパクト。つまり、他のどのパーラメント作品とも似ていない。それなのに、これが入門編として理想的であるだけでなく、何度でも繰り返し聴きたくなる内容になっている。おすすめは、51分のCD/配信版ではなく、42分に凝縮されたアナログ盤/カセット版。テンポが速くて、パンチも効いている。
10位:ファンカデリック『Standing On The Verge of Getting It On』
1974年
ギターの変態巡業ツアー、開幕。数年のブランクを経て、エディ・ヘイゼルが本気モードでカムバック。ジョージ・クリントンは、昔からメンバーにギャラを払わずによく辞められていたが、ヘイゼルの場合は飛行機の中でエンジェルダストをキメたまま客室乗務員に噛みつき、服役していたという背景もある。
そんな彼がこのアルバムでは大暴れ。たとえば「Alice in My Fantasies」では、狂気に満ちたロッカーぶりを見せつけている。さらに、「Jimmys Got a Little Bit of Bitch in Him」では、共感に満ちた、しかも当時としてはかなり先進的なクィア支持のメッセージを発信している。
ジャケットでは、ジョージ・クリントンが自らをこうクレジットしている:〈ファンカデリア大最高ウジ虫大臣/ボーカル担当/狂気の泡とツバ飛ばし/いくつかの州で違法とされる行動〉
9位:パーラメント『The Clones of Dr. Funkenstein』
1976年
何千年も昔、ファンクの秘密はピラミッドの中に隠された――世界がそれを受け入れる準備ができるその時まで。だが心配無用、地球のみんな。ドクター・ファンケンシュタインがやって来た! モンスター級のサウンドを引っさげたディスコの怪人が、アフロノーツ(宇宙の黒人楽団)を率いて銀河をファンカタイズしに現れたのだ。
『Clones』は、パーラメントが舌も滑らかに、エゴも炸裂、魂も身体も乗っ取る絶頂期のアルバム。ジェームス・ブラウンのホーン隊だったフレッド・ウェズリーとメイシオ・パーカーが参加し、オールドスクールな冷や汗(Cold Sweat)グルーヴを加えている(ちなみにこの2人は、Pファンクのスピンオフとして「Horny Horns」名義でも活動し、『A Blow for Me, A Toot to You』というアルバムも出している)。
この頃にはもう、Parliafunkadelicment Thangは完全に軌道に乗っており、ライブではスター・チャイルドが宇宙の馬車「マザーシップ」で着陸するというクライマックス付きのショーが名物に。本物のライブ・ドキュメントとしては、1976年のハロウィンにヒューストンで行われた公演を収めたDVD『The Mothership Connection』がおすすめ。ノイズが聞こえてきたら、それはジョージと仲間たちが降臨した合図。グレン・ゴインズが全身全霊のゴスペル魂で”ママシップ”を迎えてくれる。
8位:ファンカデリック『Lets Take It To The Stage』
1975年
タイトルに反して、これはライブアルバムではない。だが、ファンク・モブが最もタイトにまとまっていた時期の作品で、「Good to Your Earhole」のような一撃必殺のナンバーが詰まっている。タイトル曲「Lets Take It To The Stage」では、ジョージ・クリントンがファンクを偽ってるとみなしたライバルバンドたちにコメディタッチでディスをかます。たとえば、「Fool and the Gang」「Slick and the Family Brick」「Earth, Hot Air, and No Fire」などなど。
だが真のキラートラックは、わずか2分の「Get Off Your Ass and Jam」。〈Shit! Goddamn!〉とライムを刻むこの曲には、Pファンク史上最も伝説的とも言われるギターソロが収録されている。そのギターを弾いたのは、なんと名前も知られていないジャンキーだった。
クリントンは自伝の中でこう語っている。「スタジオにふらっと入ってきた白人の若者で、ヘロイン中毒だった。『25ドルくれたら弾くよ』って言うから頼んだら、まるで取り憑かれたみたいに弾き始めたんだ。あまりにすごかったから50ドル渡したけど、そいつは名前も名乗らずに消えちゃって、それっきり二度と会ってない」。
7位:ファンカデリック『Cosmic Slop』
1973年
『Cosmic Slop』は、Pファンクにとって新時代の幕開けとなるアルバム。この作品で、のちにPファンクの屋台骨を支える2人の重要人物が登場する――ギタリストのゲイリー ・シャイダー、そしてカバーアートを手がけるペドロ・ベルだ。
タイトル曲「Cosmic Slop」は、シャイダーの”アーバン化したジミヘン”風ギターが炸裂する名曲。彼が歌うのは、自分の母親が〈子どもたちを食べさせるために悪魔に身を売った〉という過去に取り憑かれる男の物語。頭の中で母の声が響く――〈私と踊りたい? 私は今、コズミック・スロップを踊ってるの〉――彼はギターを通してその哀しみに応える。
感情のベクトルがまったく異なるのが「No Compute」。クリントンが放つ、最もユーモラスでフレンドリーなセックスソングだ。〈迷ったらヴァンプしろ〉〈ツバじゃ子どもはできない〉なんてことわざをちりばめながら、プロト・ペイヴメント的なギターグルーヴに乗せて展開する(まるで1972年のジェリー・ガルシアが『Wowee Zowee』のセッションに飛び入りして「Deal」をジャムってるかのようだ)。Pファンクのカタログの中で唯一のロマンティック・コメディと言っていい一曲――たとえその結末が、〈カツラ半分ズレて、いびきかいて、息が1948年製ビュイックみたいに臭い〉相手を見つめるジョージで終わるとしても。
6位:パーラメント『Chocolate City』
1975年
『Chocolate City』は、パーラメントのグルーヴが本格的に羽ばたいたアルバム。ここでジョージ・クリントンは、シンセの魔術師バーニー・ウォーレル、ベーシストのブーツィー・コリンズと共に”邪悪なる三位一体”を結成する。
タイトル曲は、ワシントンDC(70年代当時、人口の約70%がブラック)へのスポークンワードによるラブポエム。ジャジーなピアノの上で、クリントンはこう宣言する。〈いまだに”ホワイトハウス”と呼ばれてるけど、それは一時的な状態さ〉。彼が描くブラック・パワーの夢の中では、モハメド・アリが大統領に就任し、スティーヴィー・ワンダーが芸術長官、リチャード・プライヤーが教育相、アレサ・フランクリンがファーストレディになる。これは、地球上にも宇宙にも存在する「失われた黒人の故郷」へのPファンク的執着を象徴するクラシックでもある。クリントンはこう語る。〈40エーカーの土地もラバも手に入らなかったけど、おまえがいるよ、C.C.(Chocolate City)〉。
そしてラストを飾るのが「Big Footin」。モンスター級のパーティーチャントが炸裂し、未来への扉が開かれる。
5位:ファンカデリック『One Nation Under a Groove』
1978年
アンクル・ジャムが人々をひとつにまとめようと立ち上がる――導くのはただひとつ、グルーヴのみ。数年間、ジョージ・クリントンがパーラメントに集中していたためファンカデリックは活動休止状態だったが、この『One Nation Under a Groove』で両バンドの音楽的ビジョンを統合することに成功する。
この作品はファンカデリック最大のヒット作となったが、その原動力のひとつがオハイオ・プレイヤーズ出身の新メンバー、ジュニー・モリソンだった。タイトル曲「One Nation Under a Groove」は、Pファンクを象徴する究極のアンセム。〈ファンクのために、ファンクのすべてのために、そしてファンク以外の何ものでもないために〉という掛け声とともに、ウェストアフリカ風のポリリズミックなパーカッションが渦巻く。
さらに、「Who Says a Funk Band Cant Play Rock?!」ではギターが大爆発。アルバム全体を通して、音楽的・性的・文化的なあらゆる制約に対して戦いを挑んでいる。モットーは〈頭を使え! 今のところはまだ違法じゃない〉
4位:ファンカデリック『Funkadelic』
1970年
「パーラメントはきらびやかで商業的、ファンカデリックは荒削りでハードだった」と、ジョージ・クリントンは1989年にファンジン『Motorbooty』のマイク・ルービンに語っている。「LSDを2枚くらいキメて、やりたいように演奏してたよ」。
ファンカデリックのデビュー作は、脳が溶けるようなロックのマニフェストだ。冒頭「Mommy, Whats a Funkadelic?」では、〈おまえが俺の魂を吸うなら、俺はおまえのファンキーな感情を舐めてやる〉という衝撃的な一節からスタート。
クリントンは、デトロイトのノイズ・パンク――ストゥージズやMC5――に夢中で、もちろんジミ・ヘンドリックスやスライ・ストーンにも影響を受けていた。でも、こんなバンドは誰も聴いたことがなかった。ギターヒーロー、エディ・ヘイゼルが「Ill Bet You」のようなジャムで炎を上げる。ジャケットには、〈A Parliafunkadelicment Thang〉の文字。すでにこの時点で、クリントンは長期的な帝国構想を抱いていたのだ。
ラスト曲「What Is Soul」では、こんな宣言が響く。〈おまえのファンキーな心を貸してくれ、俺が遊んでやる〉〈すべての”良さ”は、”イカれてる”の中にある!〉Pファンクの旅路はここから始まった。55年経った今も、クリントンはこのモットーを現役で体現し続けている。
3位:パーラメント『Funkentelechy vs the Placebo Syndrome』
1978年
ジョージ・クリントンが手がけた中で、最もワイルドで、最もフリーキーで、最もお祭り騒ぎなスペース・オペラ。全員出動体制で、ジェローム”ビッグフット”ブレイリーのボップガン・ドラム、ホーニー・ホーンズのブラス、そしてブーツィーのゴムのように伸びるベースが宇宙全体に響き渡る。
これは”善”と”悪”の銀河規模の戦い。こちら側の主役はスター・チャイルド。自由な精神と自由なケツの力=〈ファンカンテレキー〉を守るために戦う彼は、「Bop Gun (Endangered Species)」というアンセムを武器にしている。
そして対するのが、パーティーピープルの宿敵サー・ノーズ・ドヴォイドオブファンク。彼は〈スヌーズガン〉で人々のダンスを止めようと企んでいる。だが、最後にはサー・ノーズでさえファンクに屈し、ついに踊り出す。なぜなら、〈誰もが太陽の下にちっちゃな光を持っている〉から。そしてクライマックスは「Flash Light」。宇宙のすべてが6分間、グニャグニャに揺れまくる。
2位:ファンカデリック『Maggot Brain』
1971年
ロック・モードのファンカデリックにおいて、これを超えるものはない。それが『Maggot Brain』。エディ・ヘイゼルがこのアルバムを、ギターフリーク必携のクラシックへと昇華させた。「Hit It and Quit It」や「Super Stupid」では、ルーズでブチ上がるフィードバック・グルーヴが炸裂する。
中でも圧巻はタイトル曲「Maggot Brain」。スタジオでジョージ・クリントンが「おまえの母ちゃんが死んだと思って弾け」と言ったとき、ヘイゼルが応えたのが、あの10分にわたるギターソロ。一発録りとは思えない、ジミ・ヘンドリックスとジョン・コルトレーンの魂を宿したような、心の叫びそのもの。この曲は彼の葬式でも流された。
「Wars of Armageddon」は、ボンゴとオルガンが暴れまくる終末サウンド。ブラック・パワーのチャントに、ティキ・フルウッドの悪臭漂うドラムがぶち込まれる。そして「Can You Get To That?」では一転、スウィートなゴスペル・ソウルが高らかに響く。
「このアルバムにはマジでぶっ飛ばされた」――そう語ったのは、アンドレ3000。そう思ったのは彼だけじゃない。
1位:パーラメント『Mothership Connection』
1975年
むかしむかし、いや、今まさに――『Mothership Connection』は、すべてのPファンク・アルバムの中で最も偉大な1枚であり、入門編としてもこれ以上ないスタート地点。このSFファンクの旅は、ジョージ・クリントンが『スタートレック』と『2001年宇宙の旅』を見すぎてぶっ飛んだ結果、生まれたもの。彼は宇宙にいるコズミックなラジオDJという設定で、「チョコレート・ミルキーウェイ」から純度100%のファンクを全宇宙に向けて放送し、全宇宙市民にこう呼びかける。〈足取りにグライドを、腰つきにディップを加えて、さあマザーシップに乗り込め〉
「ずっとファンク・オペラをやりたいと思ってた」と、クリントンは2004年にローリングストーン誌に語っている。「前作『Chocolate City』では、ホワイトハウスとか政府みたいな”ブラックがいない場所”に黒人が登場するっていう世界観だった。で、次はどこかって? 黒人がいない場所? 宇宙だよ。ウフーラ(※『スタートレック』の黒人女性キャラクター)以外、誰も宇宙にいなかったじゃないか」
『Mothership Connection』は、惑星間ファンク航行によるユートピア的アフロフューチャリズムの結晶。でもそれは同時に、”ファンクなき世界を救う”という慈悲のミッションでもある。「Supergroovalisticprosifunkstication」や「Give Up the Funk (Tear the Roof Off the Sucker)」といったジャムで、マザーシップは地球にファンクをもたらす。その音楽は、1860年代の「地下鉄道」(黒人奴隷解放のための逃走ネットワーク)にまで遡りながら、同時に未来へも響いていく。たとえば「we want the funk」のフックは、やがてドクター・ドレーを経て、ケンドリック・ラマーによって「King Kunta」として蘇った。
そして「P. Funk (Wants to Get Funked Up)」は、バンドのテーマソングとしても史上最強。「(Theme from) The Monkees」「Bad Company」「Public Image」「Minor Threat」――すべてに敬意を払いつつも、やはり最強だ。50年経った今も、『Mothership Connection』は究極のファンク・ボム(爆弾)であり続けている。
From Rolling Stone US.