メジャーでも観たかった…巨人、MLBに行かなかった歴代選手6人

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 近年は多くの日本人選手が海を渡り、メジャーリーグの舞台で活躍している。長いプロ野球の歴史を振り返ると、「もしメジャーに挑戦していれば、どのような成績を残していたのか?」と想像が膨らむ選手も少なくない。そこで今回は、MLBでのプレーを観たかったとの声も多い読売ジャイアンツの歴代選手を紹介したい。

 

今シーズンのメジャーリーグは

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江川卓

・投打:右投右打

・身長/体重:183cm/90kg

・生年月日:1955年5月25日

・経歴:作新学院高 - 法政大

・ドラフト:1978年ドラフト1位

 

 高校時代から“怪物”と呼ばれ、プロでも圧倒的な結果を残した江川卓。ケガの影響でわずか9年の現役生活となったが、メジャーの強打者にも通用していたのか、観てみたかった投手である。

 

 作新学院高時代には、公式戦で9度のノーヒットノーランを達成するなど、早くから大きな注目を集めた江川。入団拒否や様々な経緯を経て、1979年に読売ジャイアンツに入団した。

 

 

 プロ1年目から9勝を挙げると、翌1980年には16勝、防御率2.48をマーク。

 

 さらに、1981年は31試合(240回1/3)を投げ、20勝6敗、20完投7完封、221奪三振、防御率2.29と圧巻の成績を収め、投手タイトルを総なめ。最優秀選手、ベストナインにも輝いた。

 

 無尽蔵のスタミナを誇り、1982年には31先発のうち24試合で完投。その後も活躍を続け、引退した1987年まで8年連続で2桁勝利をマークした。

 

 ストレートとカーブの2球種ながら打者を圧倒し、奪三振を量産するスタイルは、メジャーの強打者相手にどこまで通用していたのだろうか。

高橋由伸

・投打:右投左打

・身長/体重:180cm/87kg

・生年月日:1975年4月3日

・経歴:桐蔭学園高 - 慶応大

・ドラフト:1997年ドラフト1位

 

 “天才打者”との呼び声も高く、プロ1年目から高いパフォーマンスを発揮した高橋由伸。故障さえなければ、メジャーの可能性もあったといえる存在だ。

 

 慶応大から1997年ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。ルーキーイヤーから打率3割・19本塁打を記録した。

 

 

 さらに、翌1999年には打率.315、34本塁打、98打点の好成績を収め、ベストナインに選出された。

 

 2004年以降は故障離脱が目立っていたが、2007年に自己最多の35本塁打を記録し、自身2度目のベストナインを受賞。

 

 だが、翌年以降は腰痛に苦しみ、キャリア終盤は代打が主戦場に。打撃タイトルを獲得できないまま、2015年限りで現役を引退した。

 

 2004年のアテネ五輪では、打率.289、3本塁打、8打点と国際大会でも実力を示していた高橋。同時期には松井秀喜やイチローが海を渡っていたが、故障が多かったこともあり、メジャー移籍は実現しなかった。

清原和博

・投打:右投右打

・身長/体重:188cm/104kg

・生年月日:1967年8月18日

・経歴:PL学園高

・ドラフト:1985年ドラフト1位

 

 天性のホームランバッターとして球界を牽引した清原和博。のちにメジャー球団からオファーがあったことも明かしている。

 

 PL学園高時代には1年時から4番打者を務め、通算13本塁打の甲子園記録を持つ清原。1985年ドラフト1位で西武ライオンズに入団すると、高卒1年目から31本塁打をマークし、新人王に輝いた。

 

 

 1990年には打率.307、37本塁打、94打点、11盗塁、OPS1.068と傑出した数字を残した。

 

 1996年オフには読売ジャイアンツにFA移籍。巨人でも持ち前の長打力でアーチを量産した。最終的にプロ1年目から21年連続2桁本塁打を放ち、NPB歴代5位の通算525本塁打を記録。

 

 また、打撃のみならず、一塁守備にも定評があり、ゴールデングラブ賞に5度選出された。

 

 西武、巨人、オリックスの計3球団でキャリアを終えたが、現代のようにメジャー移籍の制度が確立していれば、海を渡る可能性もあっただろう。

斎藤雅樹

・投打:右投右打

・身長/体重:181cm/90kg

・生年月日:1965年2月18日

・経歴:市立川口高

・ドラフト:1982年ドラフト1位

 

 3度の沢村賞を獲得し、“平成の大エース”と称された斎藤雅樹。当時は海を渡る選手がほとんどいない時代であったが、メジャーでも活躍していた可能性が高いといえる投手だろう。

 

 1982年ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。一軍定着に時間を要したが、1989年に11試合連続で完投勝利を記録し、大ブレイク。

 

 

 同年は30試合の登板で20勝7敗、21完投7完封、防御率1.62と傑出した数字を残し、投手2冠(防御率・勝利)と沢村賞に輝いた。

 

 翌1990年も20勝を挙げ、最優秀選手にも選出されるなど、チームのエースとして君臨。最終的に通算180勝を挙げ、最多勝5回、最優秀防御率・最高勝率3回、最多奪三振1回と数々のタイトルを獲得する圧倒的な実績を残した。

 

 サイドスローから鋭いスライダーを武器に1990年代を代表する投手となった斎藤。 “ミスター完投“と呼ばれるほどの異次元のスタミナを誇り、通算301先発中113完投をマークした。

 

 メジャーリーグに移籍していた場合、どのような成績を残していたか、想像が膨らむ投手だろう。

阿部慎之助

・投打:右投左打

・身長/体重:180cm/97kg

・生年月日:1979年3月20日

・経歴:安田学園高 - 中央大

・ドラフト:2000年ドラフト1位

 

 “強打の捕手”として球界を牽引した阿部慎之助。捕手のメジャーリーグ挑戦は難しいとされるが、MLBでの活躍が観たかった選手の1人だ。

 

 2000年ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団すると、ルーキーイヤーから正捕手に定着。プロ2年目の2002年には早くもベストナインとゴールデングラブ賞のW受賞を果たした。

 

 

 その後も攻守の中心を担い、2010年には捕手として史上3人目のシーズン40本塁打を達成。

 

 さらに、2012年は打率.340、27本塁打、104打点、出塁率.429と傑出した数字を収め、首位打者、打点王、最高出塁率に加え、最優秀選手(MVP)に輝いた。

 

 翌2013年のWBCでは「4番・捕手」を任され、打率.261、2本塁打、7打点と国際大会でも実力を発揮した。

 

 捕手として唯一のメジャーリーガーとなった城島健司と肩を並べる存在だった阿部。城島に次いでメジャーに近かった捕手といっても過言ではないだろう。

槙原寛己

・投打:右投右打

・身長/体重:187cm/94kg

・生年月日:1963年8月11日

・経歴:大府高

・ドラフト:1981年ドラフト1位

 

 平成唯一の完全試合を成し遂げ、“ミスターパーフェクト”と呼ばれた槙原寛己も、時代が違えば、メジャー挑戦も視野に入っていただろう。

 

 1981年ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団すると、高卒2年目に12勝を挙げ、新人王を獲得。当時の日本最速となる155キロを計測するなど、速球派として頭角を現した。

 

 

 1988年には27試合(208回2/3)を投げ、10勝13敗ながらリーグ最多の187奪三振、防御率2.16を記録した。

 

 1992年から4年連続で2桁勝利を挙げるなど、斎藤雅樹、桑田真澄とともに巨人の3本柱を形成した。

 

 特に1983年は自己最多の13勝を挙げ、翌1994年5月18日の広島戦では完全試合を達成するなど、印象的な活躍が目立った。

 

 キャリア終盤はクローザーに転向したが、最終的に通算159勝をマーク。球界屈指のスピードボールを持っていただけに、メジャーリーグでの活躍も観たかった選手の1人だろう。

 

 

【了】