たしかに昭和人間は、折に触れて「ダメな発言」をしがちです。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。その理由については、別の記事で、少しご説明しました。
人間として成長していくためには、どんなことからでも貪欲に学ぶ姿勢が大切です。
昭和人間の「ダメな発言」も、貴重な学びや気づきを与えてくれるかもしれません。腹が立ったり呆れたりするのはしょうがないとして、一歩踏み込んで自分にとって役に立つ要素を強引に探ってみましょう。
「最近の若者は」と言っている昭和人間は素晴らしい反面教師
「若いうちの苦労は買ってでもしろって言うだろ」
「この机の上、女とは思えない散らかりっぷりだな」
「女が知恵を付けると嫁のもらい手がなくなるわよ」
若者の皆さんとしては、昭和人間にこの手のことを言われたら、さぞイラっとすることでしょう。
今と昭和との「常識のギャップ」がそういう発言につながることは、前述の記事でも述べました。発言がいかに時代錯誤かを説いても、表面上はわかったフリをするかもしれませんが、きっと納得はしてくれません。
ちょっと視点を変えて、昭和人間の「ダメな発言」の向こう側に見えてくる「ヒトという生き物の習性」に着目してみましょう。
若い頃から引きずっている感覚を変えられずに、「最近の若者は気合いが足りない」と思っている昭和人間は、「過去の自分を肯定して悦に入りたい」というけっこう恥ずかしい動機がベースにありそうです。
「最近の若者」を批判している当人だって、自分が若者だった頃はきっと似たり寄ったりだったはず。たいして気合い満々でもなければ、浅はかな言動で上の世代の眉をひそませていたことでしょう。
しかし年齢を重ねた今、あらを探して「最近の若者」を批判すれば、自動的に自分の過去を美化できます。
年齢が上だという逆転が不可能なアドバンテージにすがって、自分が優位に立った気になれます。いつの時代も、年長者が「最近の若者」を批判したがるのは、そんな甘美な誘惑があるからに違いありません。恐ろしいことです。
同じような「甘美な誘惑」に負けてしまうのは、昭和人間の世代だけではありません。
若い世代は若い世代で、「若さ」という自分の側にだけあるアドバンテージにすがって、昭和人間の世代に「老害」「時代遅れ」というレッテルを貼るのが大好きです。
たしかに、そう言われても仕方ない昭和人間もたくさんいますが、安易に相手を否定するという甘美な誘惑に溺れて、自分を省みるという面倒な行為を避けているケースも多々あるのではないでしょうか。
職場などで「最近の若者は」と言いたがる昭和人間がいたら、素晴らしい反面教師を目の当たりにしたと思って、「自分は安易なレッテル貼りで優越感を覚えるといったみっともない真似はするまい」と心に誓ってください。
そうしてもらえると、昭和人間の側も無意識に醜態をさらした甲斐があるというものです。
年齢を重ねたあとも、その誓いを覚えていられるといいですね。これまでも先人たちが挑んでは跳ね返され続けてきた高い壁ではありますが、ご検討をお祈りいたします。
「アップデートされた価値観や考え方」を手放しで信じるのは危険
もう一点、昭和人間の「ダメな発言」から学びたいのが、自分が「正しい」と信じている価値観や言説は、けっこうアテにならないということ。今は「正しい」とされている考え方が、20年30年後も揺るぎなく「正しい」とは限りません。
最初に例にあげた昭和人間のトホホな発言だって、昭和人間が若者だった頃は「当たり前の考え方」に基づいた妥当な発言でした。しかし時は流れて、今はヒンシュクを買うだけの「ダメな発言」になってしまいました。
現在、若者の皆さんが自信満々に口にしている「アップデートされた価値観や考え方に基づく発言」、それこそ働き方や結婚やジェンダーに関する発言も、いつか「時代遅れ」になる可能性は大いにあります。
反射的に「そんなはずはない、未来永劫正しいのだ!」と思った人ほど、自分の中に「わかりやすい正しさにすがりつきがちな性格」が潜んでいることを自覚したほうがいいかも。
昭和人間が例によって「ダメな発言」をしてきたら、異文化に触れた新鮮な驚きを感じてしまうことで不愉快さを和らげつつ、かつてはその価値観が最先端だったことに思いを馳せてみましょう。
そうすることによって、「現在の正しさ」を手放しで信じる危険性や、それを根拠に「自分の側は正しくて昭和人間は間違っている」と決めつける危うさに気づくことができます。
残念ながら昭和人間は折に触れて、時代の変化についていけていない的外れな発言をしがち。そんなときは「このオヤジ(オバサン)、しょうがないな」と、心の中で苦笑いなり舌打ちなりしてください。
露骨にムッとして不快感を示すのもいいでしょう。人間と人間とのやり取りの中で、失礼な発言や不適切な言動があったときに、不快感を示したり示されたりするのは健全な姿です。
ただ、コンプライアンスを理由にして「差別的な発言をする人は、何を言われてもどんな仕打ちを受けても仕方ない」といった調子で昭和人間を容赦なく断罪したり、あるいは「不適切な発言で私は傷ついた。だから私は正しくて、相手が一方的に悪い」と自分の側が完璧な被害者だと言い張るのは、いかがなものでしょうか。
そんなふうに「ズル」をする癖がついたら、どんどん人間関係が苦手になりそうです。
あわてて言葉を足したくなりますが、威を借りる云々ではなく、明らかに昭和人間や昭和人間的な言動に非があるケースは少なくありません。
ここで「ズル」呼ばわりしているのは、あくまで安易に威を借りて自分を守ろうとしている場合です。こうやって、あわてて言葉を足したくなるところも、誰もが批判を過剰に恐れる風潮の表われですね。
なんだか、説教臭い上に言い訳臭い話になってしまいました。そこもまた「昭和人間らしさ」ということで、何かを強引に学び取っていただけたら幸いです。
昭和人間はいつまでも大きな顔をしたがりますが、間違いないのは、未来は若者の皆さんのものであり、若者の皆さんが作っていくということ。
どんな世の中がいいとかこんな世の中はダメだとか、昭和人間がいくらガタガタ言ったところで、しょせんは観客席からの雑音に過ぎません。
昭和人間を遠慮なく踏み台にして、自分たちにとっての楽しい未来を切り開いていってください。
著者プロフィール:石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
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1963(昭和38)年、三重県生まれ。コラムニスト。93(平成5)年に『大人養成講座』でデビュー。以来、大人をテーマにした著書を次々と刊行。「昭和」も長く大事にしているテーマの一つ。著書は『大人力検定』『昭和だョ! 全員集合』『失礼な一言』など100冊以上。