映画『犬に名前をつける日』、フジテレビ『ザ・ノンフィクション』「犬と猫の向こう側」「花子と先生の18年」などで知られる山田あかね監督が、およそ3年の時間を費やしたドキュメンタリー『犬と戦争』が公開された。

きょう24日でロシアによるウクライナへの軍事侵攻開始からちょうど3年。幾度も海を越えてウクライナで動物たちを救おうとする人々を取材した山田監督だが、現地での取材には当然多くの困難があった。劇中には収められていない苦労や思わぬ出来事などを聞いた――。

  • 侵攻の被害を受けるウクライナの街=『犬と戦争 ウクライナで私が見たこと』より (C)『犬と戦争』製作委員会

    侵攻の被害を受けるウクライナの街=『犬と戦争 ウクライナで私が見たこと』より (C)『犬と戦争』製作委員会

ウクライナ語が分からない中での取材

――劇中には、もし何かあった場合に備えて遺産に関する書類などにサインする場面がありました。戦渦の海外です。周囲に止められませんでしたか?

私に関しては福島の原発の20キロ圏内に入ったり、車が行けない能登半島に行ったりと、もともとそういう人間ですし、今さら誰も驚きません。「止めても行くんでしょ」という感じでした(笑)。とはいえさすがに今回ひとりでは怖かったので、ほとんど全てのドキュメンタリーで組んでいるカメラマン(谷茂岡稔氏)に「私はこれからウクライナに行こうと思うのだけれど、行ってくれますか?」と聞きました。

戦争って保険がきかないんです。本当に自己責任になる。私は死んでもいいけど、一緒に行く人に何かあって家族に1円も残らないとなったらどうするんだろうと思ったので、「自己責任になりますが」と確認したんですけど、彼も「行きたい」というので一緒に行くことにしました。

――取材をスタートしてからも困難がたくさんあったかと。

まずはコーディネーターがつかまらなかったこと。侵攻が開始されてすぐは世界中が取材をしていましたし、日本でも大手のメディアが、日本語とウクライナ語ができるコーディネーターを押さえていました。だから人が全然見つからなくて大変でした。仕方ないので最初はポーランド人で英語しかできないけど現地の知識がある青年と、日本語ができるポーランド人の観光ガイドの女性にお願いしましたが、取材対象が英語のできる人に限られてしまうし、ウクライナ語が分からないから、どこが危ないという情報も入ってこない。本当に大変でした。

  • 戦死した兵士の遺影が並ぶ広場 (C)『犬と戦争』製作委員会

防弾ジョッキやヘルメットを準備しても…

――そんな中で取材に向かっていたんですね。

取材先を見つけること自体も大変でした。犬と猫のために、農場を借りて臨時シェルターを作っていた「ケンタウロス財団」。住所が分からなくて、そのシェルターを見つけるのにも3日かかりました。本部とWhatsApp(Meta社のメッセージングアプリ)ではつながっていたけれど、忙しい中、日本から来たよく分からない英語しかできない人間に、そんなに返事もくれないんですよ。

「国境近くにいるので探してください」しかない。だから実際の取材に入るまでが大変でした。アメリカ映画の『シビル・ウォー アメリカ最後の日』で、ニューヨークからワシントンまで大統領を取材するための移動の先々で大変な目に遭うんだけど、あそこまでじゃないけど、とりあえず進むしかない感じでした。

――劇中には防弾チョッキを身に装着する様子も出てきていました。銃弾が貫通しないというヘルメットを購入したとも聞きましたし。

やたら重いので、結局みんな着なかったんです。私たちが狙撃されるような事態になったら、防弾チョッキを着ていたって死ぬだろうという話になって。ヘルメットもね、ものすごく高額なものだったけれど、購入したんですよ。だけどやっぱり邪魔で。結局ほぼ使いませんでした。