
メジャーリーグ 最新情報(最新ニュース)
近年は多くの日本人選手が海を渡り、メジャーリーグの舞台で活躍している。長いプロ野球の歴史を振り返ると、「もしメジャーに挑戦していれば、どのような成績を残していたのか?」と想像が膨らむ選手も少なくない。そこで今回は、MLBでのプレーを観たかったとの声も多い広島東洋カープの歴代選手を紹介したい。
今シーズンのメジャーリーグは
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大野豊
・投打:左投左打
・身長/体重:177cm/75kg
・生年月日:1955年8月30日
・経歴:出雲商 - 出雲信用組合
・ドラフト:1976年ドラフト外
先発、救援とあらゆる役割でフル回転し、通算148勝を挙げた大野豊。のちにキャリア終盤にあたる1993年、ロサンゼルス・エンゼルスからオファーがあったことを明かしている。
1976年ドラフト外で広島東洋カープに入団。プロ2年目の1978年からリリーフで一軍に定着し、1984年から先発に転向した。
1988年には24試合の登板で13勝7敗、14完投、防御率1.70の好成績を収め、最優秀防御率、沢村賞を獲得。
その後は抑えに回り、1991年から2年連続でリーグの最多セーブ数を記録。(※当時タイトル制定なし)晩年は先発に戻り、1997年には41歳にして9勝を挙げて最優秀防御率(2.85)に輝いた。
翌1998年には開幕投手を務め、3勝をマークしたが、同年限りで現役を引退。
1993年にはエンゼルスからオファーを受けたが、広島一筋を貫いた。オファー当時は38歳だったが、もしメジャーに移籍していた場合、どのような活躍を見せただろうか。
金本知憲
・投打:右投左打
・身長/体重:180cm/88kg
・生年月日:1968年4月3日
・経歴:広陵高 - 東北福祉大
・ドラフト:1991年ドラフト4位
世界記録となる1492連続試合フルイニング出場の偉業を打ち立てた金本知憲。強靭な肉体に加え、走攻守で高い能力を誇っており、メジャーリーグでの活躍も見たかった選手の1人だろう。
東北福祉大から1991年ドラフト4位で広島東洋カープに入団した金本。プロ3年目の1994年に頭角を現すと、翌1995年は主軸に定着し、24本塁打の活躍で自身初のベストナインを受賞。
2000年には打率.315、30本塁打、90打点、30盗塁のトリプルスリーを達成した。
阪神タイガースへのFA移籍後も中軸を担い、2004年には打点王(113打点)を戴冠。翌2005年には打率.327、40本塁打、125打点と傑出した成績を収め、最優秀選手(MVP)に輝いた。
1999年から2010年4月までフルイニング出場を続けた“鉄人”は、プロ生活21年で通算476本塁打を記録。NPBで偉大な功績を残したが、メジャーリーグでも観たいと思わせるほどの選手であった。
山本浩二
・投打:右投右打
・身長/体重:183cm/82kg
・生年月日:1946年10月25日
・経歴:廿日市高 - 法政大
・ドラフト:1968年ドラフト1位
広島東洋カープ一筋で現役を全うし、“ミスター赤ヘル”と呼ばれた山本浩二。現在の野球界であれば、メジャーリーグ挑戦も視野に入っていた存在だろう。
法政大から1968年ドラフト1位で広島東洋カープに入団し、ルーキーイヤーからレギュラーに定着。1975年には首位打者(.319)に輝くと、1978年からは5年連続でシーズン40本塁打をクリアした。
特に1980年には全130試合出場、打率.336、44本塁打、112打点、14盗塁の成績で打撃2冠(本塁打、打点)を戴冠。
現役ラストイヤーとなった1986年にも27本塁打を放つなど、衰えを感じさせない成績を残し、NPB歴代4位の通算536本塁打を記録した。
また、11年連続で2桁盗塁をマークしており、1975年には自己最多の24盗塁をマーク。
さらには外野守備にも定評があり、10年連続でゴールデングラブ賞を戴冠。1975年には当時のセ・リーグ記録となる302守備機会連続無失策も記録するなど、走攻守三拍子揃った球界屈指のプレーヤーだった。
佐々岡真司
・投打:右投右打
・身長/体重:185cm/90kg
・生年月日:1967年8月26日
・経歴:浜田商 - NTT中国
・ドラフト:1989年ドラフト1位
NPB通算100勝・100セーブを達成するなど、先発、抑えで大活躍した佐々岡真司。日米野球で好投を見せ、メジャースカウトの目にも留まったが、移籍は実現しなかった。
1989年ドラフト1位で広島東洋カープに入団すると、ルーキーイヤーは先発、抑えの両輪で44試合に登板し、2桁勝利・2桁セーブを記録。
翌1991年は先発に専念し、33試合登板、17勝9敗、13完投、防御率2.44と傑出した成績を収めた。
同年は投手2冠(最多勝、最優秀防御率)、沢村賞、最優秀選手(MVP)とタイトルを総なめ。その後は、再び先発とクローザーの両軸で結果を残した。
また、1996年11月に行われた日米野球では、バリー・ボンズら強打者から連続三振を奪い、メジャー関係者から一躍注目を集めた。
だが、メジャー球団の誘いを断り、広島一筋で現役を全う。NPB通算138勝、106セーブを積み上げ、2007年限りで現役を引退した。
前田智徳
・投打:右投左打
・身長/体重:176cm/80kg
・生年月日:1971年6月14日
・経歴:熊本工
・ドラフト:1989年ドラフト4位
卓越した打撃技術を誇り、“孤高の天才“と呼ばれた前田智徳。アキレス腱断裂の大ケガに見舞われる以前は、守備・走塁でも高い能力を示していた。
1989年ドラフト4位で広島東洋カープに入団すると、高卒2年目の1991年にセンターのレギュラーを奪取。同年は外野手としては史上最年少でゴールデングラブ賞を獲得した。
翌1992年から3年連続でベストナインとゴールデングラブ賞をW受賞。特に1993年には打率.317、27本塁打、70打点、10盗塁と走攻守で高いパフォーマンスを発揮した。
ところが、1995年に右アキレス腱を断裂。その後は復活を果たしたが、2000年には左アキレス腱の状態が悪化し、手術を行った。
それでも再び戦線復帰し、2005年には全146試合出場、打率.319、32本塁打、87打点の好成績をマーク。
晩年は代打の切り札として活躍し、通算2119安打を積み上げ、2013年限りで現役を引退した。
ケガさえなければ、メジャーリーグに近い選手になっていたといえるだろう。
新井貴浩
・投打:右投右打
・身長/体重:189cm/102kg
・生年月日:1977年1月30日
・経歴:広島工 - 駒沢大
・ドラフト:1998年ドラフト6位
持ち前のパワーでNPB通算319本塁打を放った新井貴浩。名選手の1人だが、日本国内で現役を全うした。
駒沢大から1998年ドラフト6位で広島東洋カープに入団。プロ2年目の2000年に2桁16本塁打を放ち、レギュラーに定着した。
2005年には打率.305、43本塁打、94打点と傑出した成績を残し、本塁打王を戴冠。
2007年オフに国内FA権を行使し、阪神タイガースに移籍。2011年には打点王(93打点)に輝くなど、移籍後もクリーンアップの一角として打線を牽引した。
2015年から広島に復帰すると、翌2016年には打率.300、19本塁打、101打点の大活躍。セ・リーグ史上最年長となる39歳で最優秀選手(MVP)を受賞した。
13度の2桁本塁打を記録するなど、長打力が光った新井。2006年WBC、2008年北京五輪など、国際大会でも主軸としてまずまずの成績を残していた。
【了】