メジャーでも観たかった…中日、MLBに行かなかった歴代選手6人

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 近年は多くの日本人選手が海を渡り、メジャーリーグの舞台で活躍している。長いプロ野球の歴史を振り返ると、「もしメジャーに挑戦していれば、どのような成績を残していたのか?」と想像が膨らむ選手も少なくない。そこで今回は、MLBでのプレーを観たかったとの声も多い中日ドラゴンズの歴代選手を紹介したい。

 

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山本昌

・投打:左投左打

・身長/体重:186cm/95kg

・生年月日:1965年8月11日

・経歴:日大藤沢高

・ドラフト:1983年ドラフト5位

 

 日本プロ野球史上最長の50歳まで現役を全うし、通算219勝を挙げた山本昌。1988年にロサンゼルス・ドジャースへ野球留学した際、メジャー数球団からオファーがあったことをのちに明かしている。

 

 1983年ドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。ドジャース留学中に習得したスクリューボールを武器に先発で頭角を現した。

 

 

 1993年には27試合の登板で17勝5敗、10完投、防御率2.05の好成績を収め、最多勝、最優秀防御率の投手2冠を戴冠。翌1994年には19勝を挙げ、沢村賞に輝いた。

 

 その後も白星を積み重ね、2006年には史上最年長となる41歳1ヶ月でノーヒットノーランを達成。2008年に通算200勝をクリアし、プロ32年目の2015年に現役引退を表明した。

 

 ストレートは平均130キロ台、最速でも140キロ前半だったものの、高いスピン量を誇り、球速以上のノビを見せた。仮にメジャーに移籍していた場合、山本昌の投球スタイルでどのような数字を残せていたのかだろうか。

浅尾拓也

・投打:右投右打

・身長/体重:182cm/78kg

・生年月日:1984年10月22日

・経歴:常滑北高 - 日本福祉大

・ドラフト:2006年大学生・社会人ドラフト3巡目

 

 短い現役生活であったが、全盛期には傑出した数字を残した浅尾拓也。海を渡っていたら、どのような成績を残していたのか、想像が膨らむ投手の1人だ。

 

 2006年大学生・社会人ドラフト3巡目で中日ドラゴンズに入団。ルーキーイヤーから一軍デビューし、早くからセットアッパーに定着した。

 

 

 2010年は59ホールドポイント(12勝47ホールド)のNPB最高記録を樹立し、最優秀中継ぎ投手に輝いた。

 

 翌2011年には79試合に登板し、7勝2敗10セーブ45ホールド、防御率0.41と圧巻の成績を収め、2年連続で最優秀中継ぎ投手を受賞。さらに同年は救援投手として異例のゴールデングラブ賞、シーズンMVP(最優秀選手)にも選出された。

 

 だが、2012年以降は右肩の故障に苦しみ、一軍登板が減少。2018年に33歳の若さで現役引退となった。

 

 晩年は故障に泣き、日本でキャリアを終えたが、150キロ超のストレートと鋭く落ちる高速フォークで圧倒する投球は、メジャーの強打者にも通用していたであろう。

立浪和義

・投打:右投左打

・身長/体重:173cm/70kg

・生年月日:1969年8月19日

・経歴:PL学園高

・ドラフト:1987年ドラフト1位

 

 中日ドラゴンズ一筋でキャリアを歩み、“ミスタードラゴンズ”と呼ばれた立浪和義。走攻守で高いパフォーマンスを見せていただけに、現代の野球界であれば、メジャー移籍も視野に入っていただろう。

 

 PL学園高から1987年ドラフト1位で中日に入団。ルーキーイヤーから正遊撃手を任されると、高卒新人にしてゴールデングラブ賞に選出され、新人王に輝いた。

 

 

 高卒5年目の1992年に二塁手に転向すると、1996年には全130試合出場、打率.323、10本塁打、62打点の活躍でベストナインとゴールデングラブ賞のW受賞。

 

 2002年からは三塁手に回り、翌2003年に3ポジション目のゴールデングラブ賞を獲得した。

 

 晩年は代打の切り札として活躍し、2009年限りで22年の現役生活に別れを告げた。1シーズンの本塁打数キャリアハイは16本だが、二塁打を量産し、NPB最多の通算487二塁打と大記録を収めた。

岩瀬仁紀

・投打:左投左打

・身長/体重:181cm/84kg

・生年月日:1974年11月10日

・経歴:西尾東高 - 愛知大 - NTT東海

・ドラフト:1998年ドラフト2位

 

 NPB史上最多となる通算1002試合登板、407セーブを記録した岩瀬仁紀。日本でキャリアを全うしなければ成し遂げられなかった大記録だが、一方でメジャーリーグでの活躍も見たかった選手の1人だろう。

 

 1998年ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団。ルーキーイヤーからセットアッパーに定着し、65試合登板、10勝2敗、防御率1.57の好成績を収めた。

 

 

 その後も安定した数字を残し、2004年から守護神に抜擢。翌2005年から2年連続で最多セーブに輝いた。

 

 最終的に20年の現役生活で5度のセーブ王を獲得。さらにプロ1年目から15年連続50登板をクリアするなど、“鉄人”ぶりを発揮した。

 

 今年1月にイチロー氏とともに野球殿堂入りを果たした岩瀬。中日一筋でキャリアを終えたため、メジャー移籍はなかったが、代名詞となった鋭く曲がるスライダーは間違いなくメジャーリーグでも通用していただろう。

落合博満

・投打:右投右打

・身長/体重:178cm/82kg

・生年月日:1953年12月9日

・経歴:秋田工 - 東洋大 - 東芝府中

・ドラフト:1978年ドラフト3位

 

 NPB史上最多となる3度の三冠王を獲得するなど、NPB史上最高の右打者と呼ばれた落合博満。メジャーリーグに挑戦していた場合、どのような成績を残していたのか、興味をかき立てられる選手だ。

 

 1978年ドラフト3位でロッテオリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)に入団すると、プロ3年目の1981年に打率.326を残し、首位打者を獲得。翌1982年には三冠王に輝いた。

 

 

 1985年は全130試合出場、打率.367、52本塁打、146打点、OPS1.244と傑出した成績を収め、2度目の三冠王を戴冠。翌1986年も前年の成績を維持し、2年連続の三冠王を達成した。

 

 26歳と遅いプロ入りになったが、首位打者、本塁打王、打点王をそれぞれ5回、ベストナインには10回選出されるなど、圧倒的な実績を誇った。

 

 現役時代にはメジャーへ興味を持っていたものの、時代背景もあってメジャー移籍は実現しなかった。

和田一浩

・投打:右投右打

・身長/体重:182cm/90kg

・生年月日:1972年6月19日

・経歴:県立岐阜商 - 東北福祉大 - 神戸製鋼

・ドラフト:1996年ドラフト4位

 

 レギュラー定着が30歳以降と大器晩成のキャリアを描いた和田一浩。40代となっても、衰えを感じさせない打撃を見せていた。

 

 1996年ドラフト4位で西武ライオンズに入団した和田。プロ入り当初は捕手登録だったが、打力を生かし、外野にコンバートすると、30歳を迎えた2002年にレギュラーに定着した。

 

 

 同年から3年連続で30本塁打をクリアし、2005年には首位打者(.322)、最多安打(153本)の打撃2冠に輝いた。

 

 2007年オフに中日ドラゴンズにFA移籍。以降も好成績を維持し、2010年には全144試合出場、打率.339、37本塁打、93打点、OPS1.061の活躍でシーズンMVP(最優秀選手)を獲得した。2015年に通算2000安打を達成し、同年限りで現役を引退。

 

 独特な打撃フォームだったが、ミート力が高く、弾丸ライナーでスタンドに放り込むパワーを兼ね備えた。

 

 メジャーでも活躍できる能力を持っていたが、遅咲きだったこともあり、海外移籍は実現しなかった。

 

 

【了】