「Nintendo Switch」用のアプリケーション「くるくる回そう! 方向幕コレクション for Nintendo Switch -近畿日本鉄道編 part1 近鉄奈良線- 鉄道方向幕シミュレーター」(1,000円)が、鉄道ファンや鉄道好きのこどもたちにウケている。開発元のカエルパンダ社によると、ダウンロード専用で9月5日に販売開始したところ、「1週間で想定の5倍の売れ行きだった」という。
販売数は非公開だが、筆者の見立てでは、3,000本以上は売れたのではないか。「Nintendo Switch」用のゲームは年間で1,600タイトル以上も発売されている。その中で500本以上売れるソフトは少ないというから、見立てが正しければ大健闘といえる。
「くるくる回そう! 方向幕コレクション」は、電車の行先を表示する「方向幕」を再現するアプリ。鉄道ファンでなくても「電車の先頭に表示される行先」といえば誰でも知っているはず。ただし、それが幕状になっていて、巻き取ることで表示を変更するしくみとは知られていないかもしれない。
鉄道の行先表示は当初、表示板の取替えで行われた。折返し駅に着くと、係員が先頭車両と最後尾車両によじのぼり、行先表示板を取り替えていた。しかし、これでは手間も時間もかかる。そこで考案されたしくみが方向幕だった。薄いロールフィルムに行先や列車の種別を文字で記し、モーターで巻き取って変更する。これなら運転室内のスイッチ操作で変更できる。日焼けの心配はあるものの、ケースに収めれば劣化も少ない。
そんな便利な方向幕も、いまや絶滅の危機にある。方向幕に代わってLED行先表示器が登場し、普及しているからだ。最新式は最大8色のカラー表示が可能で、文字だけでなく、記号や絵も表現できる。アニメーション表現も可能で、山手線や横須賀線・総武快速線のE235系は最後尾車両に花のイラストが表示される。なにより、ダイヤ改正や路線の転属で新しい行先を登録する手間が省ける。
新型車両はほぼLED表示器になっているし、方向幕の車両も内装や設備の更新に合わせてLED表示器へ改造される傾向にある。使わなくなった方向幕はその後、鉄道グッズ販売会に売り出す場合があり、人気商品のひとつになっている。方向幕はロール単位で販売されるが、傷んでいる場合は駅名をひとつずつ切り出し、ラミネート加工して販売される。希少価値が高いほど高額になる。
中古の方向幕は、実際に電車で使われた部品であり、駅名という「わかりやすい」内容でもある。駅名が自宅や学校、通勤先の最寄り駅であれば、普段乗ってきた車両への思い入れが生まれる。
この方向幕を「Nintendo Switch」で再現したら楽しいかもしれないと、カエルパンダ社の奥田覚氏は思いついた。ゲームメーカーだから「できる」と思いつく。試作してみたところ、なんだか楽しい。実際に方向幕のミニチュア玩具も売れているし、売れそうではないか。そこで鉄道会社のライセンス許諾部署の門を叩いた。
近鉄の「神対応」で実物に忠実になった
「神対応」の会社もあれば、「塩対応」の会社もあった。そんな中、近畿日本鉄道が最も早く「おもしろい、作って」と反応した。「企画書を送って面談の約束をして、試作品を持参したんです。数人の年配の社員さんが待ち受けられて、試作品を見せたら、とても気に入ってくださいました。居合わせた社員のみなさんが、元運転士さん、元車掌さんで、方向幕を掲げた電車に関わり、実際に操作した人だったんです」と奥田氏は振り返る。
話はとんとん拍子に進み、近鉄からカエルパンダ社へ、実際に使われていた方向幕が届いた。「もじ鉄」の第一人者、石川祐基氏と検分した結果、「DTPのフォントではない写植書体ばかり」「職人の手書きもあるようだ」「ひとつの方向幕に複数の写植書体が使われている」「文字数の多い駅は文字を縦長に」など、方向幕の秘密が次々と明らかになった。
さらに、同じ駅名でも「近鉄線内で掲げるときは角ゴシック体、阪神線区間で掲げるときは丸ゴシック体」が用意されていた。直通先の電車に合わせているのだ。
類似フォントを使えば簡単だが、ここで奥田氏は方向幕の「コレクション性」にこだわった。1ロールあたり80以上の行先すべてを撮影していく。本物にこだわるなら、ここは妥協できない。非常に手間のかかる作業だったが、そのこだわりは近鉄にも伝わり、西大寺検車区で作動音、警笛、ドア開閉チャイム、ブレーキ緩解音の録音が可能になった。しかも収録予定の全車両分である。
その本気度はユーザーにも伝わった。親しみのある駅名を挙げ、文字の形の微妙な違いを見つける「宝探し」も始まった。実際には使われていない行先と種別の組み合わせもあり、「こんな行先があったのか!」との声も。本物をそのまま取り込んだから嘘ではない。確実に存在する。なぜその方向幕があるのか。用途を考察する楽しみもある。
好きな行先を表示する楽しみに加えて、発売後のアップデートで「オートモード」が追加された。一定時間経過後、ランダムな行先に自動的に切り替えられる。放置して部屋や机のアクセサリーとしても使えるし、友達と「次の行先はどこだ? クイズ」もできる。
「方向幕コレクション」第2弾は西武新宿線系統
カエルパンダ社は今後、近鉄の「part2」「part3」を発売予定。大阪線系統や南大阪線系統だろうか。奥田氏は「特急幕バージョン」もやりたいという。近鉄特急は車両形式も多いし、行先は有名都市や有名観光地ばかり。これは楽しみだ。
ただし、「方向幕コレクション」としての2作目は西武鉄道になった。「くるくる回そう! 方向幕コレクション for Nintendo Switch -西武鉄道編 part1 西武新宿線- 鉄道方向幕シミュレーター」は11月7日に1,200円で発売された。西武新宿線系統を収録しており、拝島線、国分寺線、多摩湖線も含まれる。奥田氏によれば、「関西が続くより、関東の鉄道を出して、関東の鉄道ファンに楽しんでほしい」とのこと。
西武鉄道の協力も手厚く、倉庫から方向幕を探し出し、貸してくれたという。その中には、「新品」と封印がある方向幕もあった。破損時の予備用として補完してあったようだが、搭載する車両が次々と引退したため、「方向幕コレクション」がなければ日の当たる場所に出られなかったかもしれない。もちろんこれらすべての行先をひとつずつ取り込み、実物通りに仕上げていった。
西武鉄道の南入曽車両基地で作動音を収録でき、環境音の混じりやすい場所にあった電車は位置を移動するなど対応してくれたという。廃車となっている3000系については、同じ部品を使った車両を教えてもらったとのこと。
今後、3作目として近鉄の「part2」を年末に発売予定。その後も約2カ月ごとにリリースしていく。ゆくゆくは毎月1本の間隔にしたいとのこと。「方向幕車両が完全引退するタイミングや、大阪・関西万博の開催時に関連路線を出したい」と奥田氏。すでに複数の鉄道会社に企画を提案しているという。鉄道会社側は事務方で契約を詰める一方で、鉄道の現場のスタッフが倉庫などで方向幕の捜索を始めているとのことだった。
カエルバンダ社には収録鉄道会社や路線、車両の要望も多数寄せられている。より完全な「方向幕コレクション」の実現に向けて、鉄道会社の手厚い協力が必要になる。また、優先順位としては「方向幕が現存している」ことが最も重要になってくる。ほとんどの方向幕は廃棄されているため、奥田氏は「鉄道ファンに販売された方向幕を拝借できれば協力を仰ぎたい」という。
方向幕は鉄道車両の部品というだけではない。駅名を見た人々の思い出や感情を引き出す力がある。鉄道会社、路線のファンを増やすアイテムでもある。実物を手に入れようとは思わなくても、アプリとして手軽に買えるなら集めたい。そんな人も多いと思う。今後のラインアップに期待したい。