小田原駅を手前にした国道1号線沿いに、江戸から20番目の一里塚があります。江戸口見附跡と共に、東海道の歴史を語るものとなっています。
古い時代の距離標識
一里塚とは、その名の通り一里(約4km)ごと設置された距離標識です。江戸・日本橋を起点として、東海道等の主要な街道に設定されていました。現代でも国道の道端に「日本橋から◯km」だとか、数字だけ「123.4km」などと書かれた距離標(キロポスト)が立っていたり掲げられていたりしますが、役割としては同じです。
20番目の一里塚、小田原宿の入口
小田原山王原一里塚は、日本橋から数えて20番目に位置しています。東海道五十三次における9番目の宿場「小田原宿」の入口にもあたり、多くの旅人にとっては2日目の到達点だったとされています。
宿場町としての小田原を振り返るもの
小田原山王原一里塚は、小田原宿の入口の目印となるものでした。というのも、かつて小田原は城下町でありながら関東最大の宿場でもあったのです。今のビジネスホテルさえ少ない姿からは想像もできませんが、最盛期には100軒近い旅籠が存在していたといわれています。
弥次・喜多も泊まった小田原宿
一里塚を超えれば、そこは小田原宿です。
江戸時代後期に大ヒットした滑稽本「東海道中膝栗毛」の主人公、弥次郎兵衛と喜多八も小田原宿を2日目に宿泊先としています。架空の人物で本当に泊まったわけではありませんが、話の中で、彼らが高級すぎて泊まれるはずもない脇本陣(身分の高い人のための宿泊施設が本陣で、その予備施設。本陣と違って一般人でも宿泊可能でした)を、むりやり宿泊先候補に挙げるシーンが存在します。
その本陣・脇本陣は実在しており、現在でも「古清水旅館」として営業しています(当時の建物は第2次世界大戦時の空襲で焼失し、残っていません)。
江戸口見附(えどぐちみつけ)跡もある
小田原山王原一里塚のあった場所は小田原宿の東側出入り口でした。そこには江戸口見附という、小田原宿=城下町を出入りする者を監視するための門が設置されており、番所も併設されていました。道路の拡幅工事があったため、わずかしか現存している部分がありませんが、それでも近づくと名残を感じます。
現在においては小田原城とは全く別の区画ですが、かつてはここが小田原城への最初の入口だったと思うと、感慨深いものがあるのではないでしょうか。
車で訪れるなら駐車場から少し歩く
現在は完全に幹線道路沿いの歩道であり、車で訪れる場合、目的地に直接駐車する事はできません。近場の駐車場に停めてから、歩いて訪れましょう。また、長く滞在するような場所ではないので、遠方からこちらへ訪れる場合は小田原城など、大きめの施設も一緒に観光するのがおすすめです。
施設紹介
【小田原山王原一里塚・江戸口見附跡】住所:〒250-0004 神奈川県小田原市浜町4-24-7
アクセス
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