今回紹介するのは「Rallye des Ancêtres en Picardie」、つまり「祖先のラリー」というイベントだ。正確にはそのコースに組み込まれている「ピカルディーにおける」がタイトルに追加される。ピカルディはフランス北部にかつて存在した地域で、現在は他の地域と合併しオー=ド=フランスとなっている。今は存在しない古い地域の呼び名を使ったこのラリーは、1905年以前の自動車により行われる、今年で33回目を迎える由緒あるイベントである。北フランスということでイギリスやベルギーが近いため、ヨーロッパ各国から多くの車両が参加している。
【画像】参加資格は1905年以前に造られた自動車。いちばん古い車は、なんと1897年式!(写真33点)
今年のラリーは10月5日(土)にショワジー=オー=バックをスタートし、トラシー=ル=ヴァルで折り返し、再びショワジー=オー=バックに戻る。このショワジー=オー=バックは、第一次世界大戦の休戦協定が結ばれた場所でもある。そして翌日6日(日)は、コンピエーニュ城の中庭で出走車両が展示され、そこから二日目のラリーがスタート。コンピエーニュ城は、馬車のコレクションを含む国立自動車博物館でもあり、以前「コンセプトカー」や『VITESSE(スピード)』の記事でも紹介したことがある。車に関わりの深いこのお城は、車の展示に非常にふさわしい場所だ。
このラリーを主催するのは、CLUB DES TEUF-TEUF(フランス風にクラクションの音を表現した「トゥフトゥフ」、日本的に言えば「ぷっぷー」に相当する)VETERAN CAR CLUB DE FRANCE(フランス・ベテランカー・クラブ)だ。このクラブは1935年に設立され、1932年以前の車が参加条件となっている。
今回参加した車両で一番古いのは1897年製のフランスのレオン・ボレ(Léon Bollée)のヴォワチュレットだ。「ヴォワチュレット」は小型車を意味し、3人乗りで、前方に二人、後ろに運転手が座るレイアウト。前二輪後一輪の三輪車で、右側に燃料タンク、左側に単気筒エンジンがむき出しで配置されている。運転席のシートの下にはトランスミッションがある。
1903年製のアメリカのロコモビル Type 2は蒸気エンジンを搭載している。この後、ガソリンエンジンに移行するが、蒸気を発生させるまでに時間がかかる一方で、トルクが強く、静かな走行が特徴だ。走り出しは他の車に比べて非常にスムーズである。
当時最も成功したド・ディオン=ブートンも多数参加しており、特にイギリスから参加したDollyのオーナーが、その操作方法を教えてくれた。現代の車とは全く異なり、アクセルペダルやステアリングホイールがなく、床から突き出た1本のステーといくつかのレバーでギアチェンジやキャブレター操作、前輪の操作を行う。これをマスターするには少し時間がかかりそうだ。
11時半、主催者の笛の音が鳴った。エンジンスタートの合図だ。あちこちでハンドクランクを回し、エンジンを始動する。大抵、左手でハンドルを回しながら右手で何かを操作し、エンジンをかけるのだ。車たちは全身を震わせながら目覚める。昨日すでに走っている車たちなので、目覚めも早く、スタートもスムーズだ。トリコロールの旗が振られ、車たちは次のポイントへゆっくりと進み始める。しかし、1台の車のエンジンがなかなかかからない。代わる代わるハンドクランクを回し、ついに押し掛けでエンジンが目覚めた。それを待っていた2台と合流し、3台が最後尾からスタートした。
初日の土曜日は天候に恵まれたが、日曜日はあいにくの空模様。時折振り出す雨と寒さが厳しい。乗っている方は大変だろうが、このくらいの気候は車にとってはちょうど良いだろう。今回のラリーは、フランス国立自動車博物館を併設するコンピエーニュ城がスタート地点となった。ルイ15世が大改築した王室の猟場としてのお城で、ナポレオンも愛した場所である。第一次世界大戦や第二次世界大戦でも重要な歴史的役割を果たしたこの城で、ラリーが開催されるのは非常に意義深い。ちなみに、このコンピエーニュは日本の白河市と姉妹都市になっている。
写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI