プロでも観たかった…“甲子園のスター” だった天才投手6人。聖地を彩った高…

高校野球 夏の甲子園 最新情報

 第106回全国高等学校野球選手権大会は、京都国際(京都)の初優勝で幕を閉じた。今夏も、数多くの高校球児が聖地で躍動。中には、一躍プロ注目選手に名を上げた逸材も現れた。一方で、過去には夏の甲子園で華々しい活躍を見せるも、プロの世界に進まなかった選手も少なくない。ここでは、プロ入りしなかった天才投手を紹介したい。
 

今シーズンのプロ野球はDAZNで生中継!
月額1270円お得に観るなら[PR]
 

上野翔太郎(中京大中京)


 
 エースとしてチームを16強に導き、2015年夏の甲子園を沸かせた上野翔太郎。高校日本代表でも躍動したが、その後の野球生活は故障に泣かされることになった。
 
 中京大中京では1年夏からベンチ入りし、2年時には主戦投手の1人となった上野。3年夏はエースとして甲子園出場。初戦・岐阜城北戦は完封、2回戦・鹿児島実戦では2失点完投と圧巻の投球を見せ、ベスト16入りに貢献した。
 

 
 続く関東一高戦は8回まで無失点に抑えたが、9回にサヨナラ本塁打を許し、3回戦で敗退。それでも、高校日本代表に選出され、18イニング無失点と圧倒した。
 
 ドラフト上位指名候補に名前が挙がっていたが、プロ志望届を提出せず、駒澤大に進学。大学では1年春からリーグ戦に登坂したが、その後は右肩の故障に悩まされた。
 
 4年秋にようやくリーグ戦初勝利を記録し、大学卒業後は三菱重工Eastに入社したが、思うような活躍ができず。24歳の若さで勇退となった。





中川諒(成田)

 
 2010年夏の甲子園で、エースとして成田高を58年ぶりのベスト4に導いた中川諒。華々しい活躍を見せたが、プロ入りは叶わなかった。
 
 成田高を20年ぶりの夏の甲子園出場に導いた中川。甲子園初戦では西川遥輝(現ヤクルト)を擁する強豪・智弁和歌山を相手に14奪三振1失点完投勝利を記録。続く2回戦・八戸工大一戦も10奪三振2失点完投と好投を披露した。
 

 
 3回戦、準々決勝でも完投勝利を記録。準決勝・東海大相模戦は11失点を許したが、最後までマウンドを死守。キレのあるストレートを武器に奪三振を量産し、甲子園のファンを沸かせた。
 
 その後、プロ志望届を提出したが、ドラフト指名の吉報は届かず、高校卒業後はJX-ENEOS(現:ENEOS)に進んだ。
 
 しかし、入社後は思うような活躍ができず、第一線からは退くこととなった。






森尾和貴(西日本短大付)

 
 1992年夏の甲子園で5試合を1人で投げ抜き、全国制覇を成し遂げた森尾和貴。その活躍から “甲子園史上最強投手”との声も挙がるほどだったが、プロ入りとはならなかった。
 
 西日本短大付のエースとして夏の甲子園に出場すると、抜群の制球力を武器に初戦から2試合連続で完封勝利。
 

 
 準々決勝は1失点完投となったが、準決勝、決勝でも完封勝利を挙げ、同校初の全国制覇を達成した。同大会では全5試合を完投し、うち4試合で完封を記録。わずか1失点で防御率0.20と驚異的な数字を残した。
 
 高校卒業後は社会人・新日本製鉄八幡に進むと、入社1年目から都市対抗で登板。しかし、その後は度重なる故障や手術に泣かされた。
 
 プロ入りを果たせないまま、野球部廃部を機に29歳で現役引退を決断。惜しまれつつユニフォームを脱いだが、多くの高校野球ファンの記憶に残る存在となっている。






比屋根雅也(興南)

 
 2年生エースとしてチームを甲子園8強に導き、聖地を沸かせた比屋根雅也。最後の夏は甲子園出場を逃したが、独特な投球フォームで大きなインパクトを残した。
 
 興南では1年時からベンチ入りし、早くから主戦投手となった比屋根。2年時には、全国制覇を果たした2010年以来5年ぶりの甲子園出場に導いた。
 

 
 甲子園では初戦となった2回戦、3回戦と先発マウンドに上がると、エースの役割を果たし、ベスト8に進出。
 
 関東一高との準々決勝では好投を続けたが、9回にオコエ瑠偉(現:巨人)に2点本塁打を浴び、惜敗した。それでも、同試合は2桁奪三振を記録するなど、圧巻の投球を披露。
 
 甲子園への返り咲きが期待されたが、最後の夏は沖縄県大会の3回戦で敗退となった。高校卒業後は立教大に進み、1年春からリーグ戦に登板。大学通算で14試合に登板したが、卒業を機にユニフォームを脱いだ。





松橋拓也(駒大苫小牧)

 
 2004年、2005年夏と北海道勢初となる甲子園連覇を成し遂げた駒大苫小牧。2005年夏に田中将大(現:楽天)との2枚看板で全国制覇に貢献したのが、松橋拓也だ。
 
 駒大苫小牧では1年春からベンチ入りし、2年夏の甲子園準決勝・東海大甲府戦で聖地デビュー。3回途中3失点で降板となったが、最速147キロを計測するなど、能力の一端を示した。
 

 
 エースナンバーを背負った3年夏の甲子園では、2回戦・聖心ウルスラ戦で2安打完封勝利を記録。
 
 さらに、京都外大西との決勝でも先発マウンドに上がり、5回途中1失点の好投。最後は1学年下・田中との継投で史上6校目の夏連覇に大きく貢献した。
 
 高校卒業後は明治大学に進学。しかし、故障もあって公式戦での登板は叶わず。大学卒業を機にユニフォームを脱ぐ決断を下した。







吉永健太朗

 
 魔球・シンカーを武器に、2011年の甲子園優勝投手となった吉永健太朗。しかし、大学進学後は故障に苦しみ、プロの世界に進むことはなかった。
 
 日大三高では2年秋からエースを担うと、高山俊、横尾俊建らとともに3年春のセンバツ甲子園では4強入り。同夏の甲子園は準々決勝・習志野戦、決勝・光星学院戦(現:八戸学院光星)で完封勝利を記録し、全国制覇を達成した。
 

 
 エースとして大車輪の活躍を見せ、甲子園では春夏合わせて9勝をマーク。高校日本代表にも選出されるなど、名実ともに世代を牽引する存在となった。
 
 ドラフト上位指名が有力視されたが、プロ志望届を出さずに早稲田大に進学。1年春からリーグ戦に登板し、いきなり最優秀防御率のタイトルを獲得。鮮烈な大学デビューを飾ったが、故障や投球フォームを崩したこともあり、2年時以降は成績を落とした。
 
 最終的に大学卒業時はプロ志望届を提出せず、JR東日本に入社。社会人では一時野手に転向するなど、試行錯誤を続けたが、在籍4年間で現役引退を決断した。





 


 

 
【了】