今回の配達先は、日本の裏側に位置するアルゼンチン。バンドネオン奏者の西原なつきさん(34)へ、岡山県で暮らす父・明さん(69)、母・紀子さん(65)が届けたおもいとは―。

人気の劇場でアルゼンチンタンゴに欠かせない花形楽器を演奏

19世紀に首都ブエノスアイレスで生まれたアルゼンチンタンゴ。夜ともなると地元の人々が広場に集まり、夜中まで踊り続ける光景が繰り広げられる。そんなタンゴが根付く街で、アルゼンチンタンゴに欠かせない花形楽器であるバンドネオンを演奏しているなつきさん。バンドネオンとは、左右それぞれに付いた音階のボタンを押しながら、蛇腹を伸縮させて空気で音を出す楽器。なつきさんはブエノスアイレスでも特に人気のタンゴ専門劇場に出演し、メインで演奏する第1奏者として、バンドメンバーやダンサーとともに観客を魅了している。

ステージの見せ場のひとつが、「蛇腹のうねりで感情を表現したい」というなつきさんの力強いソロ。午後10時から始まったショーはそんなバンドネオンの音色とともに最高潮を迎え、1時間半の幕を閉じる。

以前はピンチヒッターとして不定期で舞台に立っていたが、2021年から正式メンバーに。以来、週7日休みなく劇場で演奏している。舞台が終わった深夜0時、ようやくバンドメンバーと一緒に夕食をとり、その後24時間走っている市営バスで帰宅するのが毎晩のルーティンだ。

バンドネオンへの思いを封印して就職したはずが…

トランペットが趣味だった父の影響で、なつきさんがトランペットを始めたのは小学校4年生のとき。練習漬けの毎日をおくり、音楽大学に進んだ。そこでさまざまなジャンルの音楽に触れる中、アルゼンチン音楽に新風を吹き込んだといわれる演奏家・作曲家のアストル・ピアソラが奏でるバンドネオンと出会う。うねる蛇腹、情緒豊かな音色…なつきさんは強い衝撃を受けるが、演奏したい気持ちは胸の奥にしまい込み、卒業後は音楽事務所に就職した。

しかしなんと、仕事で初めて担当することになったのがバンドネオンのライブ。これで思いが抑えられなくなり、体験教室に入って初めて楽器に触れると、さらにバンドネオンへの感情があふれ出した。ついには仕事を辞め、2014年に本場アルゼンチンへ移住。現地でタンゴ学校に通って、猛特訓を重ねた。現在の仕事を得た今も毎日、3時間は練習に励んでいるという。

一方で、なつきさんは2018年に女性3人組のタンゴバンド「Yazmina Raies Trio」を結成。定期的にライブを開催している。以前は男性社会で、2019年頃までは女性奏者は男装をして演奏していたというアルゼンチンタンゴの世界。その後は徐々に女性も進出しているが、女性だから注目されるのではなく、実力で1人のバンドネオン奏者として音楽活動を続けていきたいというなつきさん。自分たちならではの表現方法や新しいタンゴを披露できる場として、バンドの活動も大事にしている。

さらに近々、自費でソロアルバムをリリースする予定も。劇場はダンサーが主役で、元々ある有名曲を再現する場。日々工夫を重ね演奏に楽しみを見つけながらも、そこには葛藤もあった。だからこそ自身で作曲やレコーディングを始めたといい、「そういう自分のビジョンがあるから、普段の仕事も続けていける」と語る。

バンドネオン奏者として生きる娘の姿に、母・紀子さんも「がんばっているなと…」、父・明さんも「かっこいいですね」と笑みがこぼれる。大学まで13年間続け、練習を欠かさなかったというトランペットの次にバンドネオンの世界へ飛び込んだことについても、明さんは「次に自分が目指すところを見つけたっていうのがすごいなと思います」と感心する。

本場アルゼンチンで奮闘する娘へ、父からの届け物は―

バンドネオンの音色に魅せられ、アルゼンチンへ渡り10年。本場で奮闘する娘へ、父からの届け物は革のトートバッグ。定年後、趣味でレザークラフトを始めた父が娘のために手作りしたもので、バンドネオンの形をした小さな飾りもついていた。「地球の裏側から応援しています!」という父の心情が綴られた手紙を読み、泣き笑いしながら「頑張ります」となつきさん。楽譜がぴったりと入るサイズ、口が閉じられるファスナー、汚れが目立たない色と、バッグのすみずみから感じる両親の想いに大きな笑顔を見せるのだった。