長谷川白紙が語る「身体と声」をめぐる実験、THE FIRST TAKE、ソニックマニアと未来の話

長谷川白紙の『魔法学校』が大きな話題を呼んでいる。フライング・ロータス率いるレーベル、Brainfeederと契約後初のアルバムとなる今作は、前作『エアにに』で挑戦された「声」の実験がさらにもう一歩踏み込んだ形で試されており、結果的に、これまでにないポップさへと昇華されている。

今回はミュージシャンとの共演も多く、ジャズ・ベーシストのサム・ウィルクスが参加した「口の花火」や、KID FRESINOとの共演曲「行つてしまつた」、挾間美帆がホーンアレンジで参加した「恐怖の星」、さらにマスタリング/ミックスエンジニアも数名が参加。初めてオープンになったアーティスト写真、立て続けに公開された「THE FIRST TAKE」の動画など、いま長谷川白紙と作品と聴衆の間には生身の身体が介在しはじめ、新たな緊張感を生んでいるだろう。ソニックマニアへの出演も近づく中、最新の長谷川白紙が捉える世界について、踏み込んで話をうかがった。

—待望のアルバムは、『魔法学校』というタイトルが掲げられました。長谷川さんは今作において、何を「魔法」と捉えていますか?

長谷川:かなり皮肉めいたタイトルだと感じています。というのも、私は音楽というものに過剰に魔法的なものが委託されたり、この世の理が通用しない人智を超えたものと捉えられたりしていることについて、気に食わない思いがあるんです。音楽とは魔法それそのものではなく、むしろその魔法という実在性を規定する過程で生まれていくものではないかと。

—そもそも長谷川さんの音楽を取り巻く言論環境を見ていると、それが魔法的なもの、難しいもの、あるいは高尚なものと捉えられすぎているのではないかという危惧を感じています。そういった現状に対する反発というのもあるんじゃないでしょうか。

長谷川:まさにそうだと思います(笑)。私の音楽って、実在する全ての問題の外にあるかのように取り扱われることがあって、それってまさしく世の中で音楽に託されがちなもののように思うんですよね。そういったものに対する抵抗は、確かにあります。

—長谷川さんはこれまで、リスナーの中に無数に想起される想像上のアーティストイメージをもとにご自身の身体を構築してきたかと思います。今回、ご自身の顔を公にされたことで、長谷川さんの中に構築される身体はどのように変化しましたか?

長谷川:私は、人の影響をすごく受けやすい人物だと思っているんですよ。卑近な例だと、友達の口癖とかすぐにうつっちゃう(笑)。人のいいところやかわいいところを、本当にすぐ真似したくなるんです。だからこそ、先ほどおっしゃっていただいた私を取り巻く言論環境に対しては、私は少なからず影響を受けているだろうなという確信があります。「こういうふうに論じられているから自分はこういう人間なんだ」ということを、自分の力では回避しきれない。もちろんそれは不可避に起こるかというとそんなことはなくて、誰が言っているか/何を見ているかによっても変わってくるので、私を取り巻く言説すべてに影響を受けているというわけではありませんけど。ともかく、魔法的で神秘的なイメージがあまりにつきまとう中、さらに今作で私は「声」を主題に取り扱うようになったわけです。その時、自分のイメージが魔法的なものや神秘的なものに過剰に寄りかかっていると、うまく語り出すことができないだろうと感じたんですよ。自分のアーティストイメージに対してこのまま非実在性を委任されたまま『魔法学校』を出すのは、音楽の情報のやり取りとしてフェアではないと感じた。私に、強い力がありすぎるように思えてしまったというか。

—ひとつ前の質問の回答とも通じる話で、とても腑に落ちました。今作では「蕾に雷」でのピッチシフトした声の印象をきっかけに、身体と声とをめぐる実験が始まったそうですね。制作過程において具体的にどのような試行錯誤があったのでしょうか。

長谷川:「蕾に雷」はもともと花譜さんに提供したもので、私がセルフカバーした際にいったん曲のキーを確認するために全体をピッチシフトして——つまり花譜さんが歌っているものよりピッチを下げた状態で——聴いてみたことがあったんですね。そこで、私の仮歌も一緒にピッチシフトされると、声質が持っている特徴というものが変わってしまった。具体的には、くぐもったような、遅回しのような声になった。それを聴いた時に、自分の身体なんだけど自分の身体ではないという、あわいに位置するもののように思えたんです。今となっては、ピッチ幅がせいぜい半音か全音程度だったというのも功を奏したと思うんですけど。その感覚に気づいてからは、ピッチシフトされた声を私が真似て発声してみるという実験を多く試してみました。それが、『魔法学校』全体を貫いている手法です。

他には「恐怖の星」も、ピッチシフトした声を真似て発生する手法をかなり採用した曲です。すでにリリースされている「恐怖の星」から1つ上げた状態でレコーディングして、それをピッチシフトし元のキーに戻したものを真似て歌う。あるいは、1つ下げた状態でレコーディングしてそれをピッチシフトするとフォルマントが上方向にシフトされるので、またそれを真似て歌う。そういった両方のアプローチをやってみた。結果的に、あの曲で聴けるほとんどすべての声が実際に発声したものになったんですが、多様な印象を生んでいると思います。

—まさに長谷川さんも大きな影響を受けている、ソフィーのことを思い出します。私は音源に収録されていないソフィーの声を探すのが好きでよくライブ映像を観るのですが、どれが実際の彼女の声なのかはもはやよく分からないけれど、とにかく色んな声を行き来することでソフィーという人の身体をつかまえることができるように思うんですよ。

長谷川:すごく分かります。私の場合、全く違う人の声を真似るより、自分の声をピッチシフトしたものを真似る方がうまくいく確率が高かった。それが私にとっては意外だったんです。どうしてもかわいい声が出ないな、くぐもった声が出ないな、と思っていたんですけど、自分のピッチシフトした音を参考にするとけっこうすんなり出るというのが驚きでした。自分の身体の不自由さというものがリファレンス一つで解決するなんて、希望に満ちた出来事ですよね。

「発声者を想像上で仮構する」プロセス

—今作の制作時に、長谷川さんが声について可能性を感じたアーティストや作品は何かあったのでしょうか。

長谷川:元々持っていた声質を変調させて美的な観点で打ち出すという意味でいうと、それこそソフィーやその周辺のアーティストは大きいです。一方で、もう少し巨視的な話になってしまうんですけど、私は今回ジョディ・ローズという歌手に影響を受けました。『Twenty-Four Italian Songs And Arias』というアルバムはイタリア歌曲を歌っているんですが、――言葉を選ぶのが難しいのですが――いわゆる西洋的な歌唱法の観点からすると、そこまでウェルメイドなものではないと思うんですね。どちらかというと、もっと個人の色が出ている作品です。ピッチはなかなか安定していないし、子音の発声がかなり強いし、リズムのとり方も独特だし、つまり西洋音楽の教育課程においては正しく直されてしまうような歌なんです。ただ私はこれを聴いた時に、すごく良い歌だと思った。と同時に、このジョディ・ローズが何者なのかということを音を聴いただけで想像している自分に気づいたんです。どういう経緯でイタリア歌曲を収録しようと思ったのか、隣に腰かけている人は誰だろうか、といったことについて想像してしまう。それを否定してしまうのは、作用として無理があるんじゃないかとまで思った。

それこそソフィーの歌を聴いていても、よく知らない時期は、本当にこういう声なのか/電子的に変調された声なのかというのがよく分からず、どちらが「身体」なのかということを想像している自分を否定できない。そういったことが、今作における着想の元になっています。

—確かに、何か引っかかる声や特徴的な声だからこそ、想起できる身体というのはありますね。

長谷川:valkneeさんの声も、すごくリファレンスになっています。私はよくvalkneeさんの声真似みたいなことをしているんですけど(笑)。「SUPER KAWAII OSHI」をあの声で歌えるようにがんばっていた。

—いい話ですね(笑)。

長谷川:ああいった過剰な——と言うとvalkneeさんに失礼かもしれませんが——フォルマントをシフトしたような発声が、趣味的なレベルですきなんです。だから、アマレイとかもめちゃくちゃすきなんです。

—あぁ、すごく分かります。

長谷川:今話していて思ったんですけど、声真似って、私の喉の根源的な動力になっている気がしますね。私は料理を作りながら岡村靖幸さんの声真似もやったりするんですよ。そういった声を、例えば「恐怖の星」といった曲でも使っている気がします。

—長谷川さんは、オートチューンについてはどのように使っていますか?

長谷川:オートチューンって、少しでも十二平均律的なものがあったらそれを完全に補正してしまう設定にできるツールですよね。そうすると、補正していない段階だと息音のノイズが強すぎて歌なんだかリーディングなんだか分からないような歌い方であっても、オートチューンが入ることで、十二平均律的なものが強制的に元の位置に戻されて途端に「音楽」的な表現になるんです。それが私にとっては興味深く、救いのようなものでもある。私は、囁き声や息音を多く含む声をノイズ的な——つまりジェンダーの判別ができなくなっていくための――情報として認識しているんですけど、その特徴を失うことがないままソフト的な補正によって再び音楽の流儀に戻し直すことができるというのがすごく興味深いんです。自分にとって無理のある発声というのもオートチューンで直すことができて、それも最近よく使っています。

—楽曲構造という観点で、今回最も達成感を感じたところはどこでしょうか。というのも、長谷川さんの作品に対して時に「破綻すれすれである」と言われることがありますが、あまりそうだとは思わなくて、どちらかというと綺麗に構築されているという印象なんです。ただ、密度が高いので、それをカオティックで破綻すれすれのように感じるというのも分からなくはないのですが。

長谷川:構築的だと感じたり破綻すれすれだと感じたりすることについては、恐らく『魔法学校』という作品がアルバムというフォーマットについて自己言及的な構造を持っているからだと思います。私は『魔法学校』を制作するにあたって、そもそもアルバムって何なんだろうという疑問があったんですよ。アルバムというものの利点を語る時に、曲順であるとか、シングルカットされた曲が別の曲のように聴こえるだとか、そういったことがいつも取沙汰されるわけですけど、本当にそれしかないのだろうかと考えていて。つまり、よく構築されているアルバムと、ただのプレイリストを明確に分けているものは何なのかということです。『魔法学校』は、そこに対する観点を準備する必要があると思いました。あのアルバムが、複製芸術として声を聴いていく中で「発声者を想像上で仮構する」というプロセスに言及する作品だとしたら、それはまさしくアルバムで聴かないと成立しない作品になっていると思う。こちらの指定した順番で聴いていかないと、成立しないんです。私が構造面で手ごたえを感じているのは、まさにそこですね。仮に逆から聴いたりシャッフルして聴いたりすると、全く意味が分からないものになり得ると思う。そしてそれは、印象を分ける原因にもなっていると考えます。

「低音」に対する向き合い方の変化

—今回マスタリングエンジニアに、ランディ・メリルをはじめとして複数人のクレジットが並んでいます。これらの人選は、どのような狙いがあったのでしょうか。

長谷川:それぞれシングルカットをした際に、その曲に合うと思い依頼したマスタリングエンジニアがそのままアルバムでもクレジットに載っています。とは言え、シングルによってマスタリングエンジニアを変えるというのは、恐らくそこまで一般的なことではないですよね。ディスコグラフィの品質を均一化する必要があるという考えの方が多数派だと思うので。ただ、私の感覚としては、12曲入りのアルバムで12人のエンジニアがいても驚かない。それは私が、音楽産業にあまり明るくないからだという気もしますけど。

—ILLICIT TSUBOIさんのミックスや「口の花火」のサム・ウィルクスのベース演奏などは、低音に対する補強にも繋がっているように感じて印象的でした。以前から長谷川さんは低音について特別な想いを抱いている旨を発言されてきましたが、今作においてはいかがでしょうか。

長谷川:まずサム・ウィルクスにベースを依頼したのは、この楽曲におけるベースというものの役割を捉えた時にサムが最も適任だったからで、低音の補強という意図ではなかったように思いますね。あとTSUBOIさんは、むしろ私の暴れまわる低音を今回は抑えていただいたような印象です。いや、TSUBOIさんがこれを読んだら「めっちゃ足してるよ」って言うかもしれないですけど(笑)。

—へぇ、そうなんですか!

長谷川:言及していただいた通り、私は低音というものが苦手だった時期がありました。というか、権威的な象徴として怒りすら覚えていたこともあった。でも、最近自分にとってうまい低音の作り方やキックという音の面白さに気づいて、かなりハマってしまったんです。『魔法学校』を聴き直すと、低音にハマってしまったことで、訳も分からずとんでもないロウを出している部分が多い。反動的なところがかなりあったと思います。プラレールを買い与えられて日夜それで遊ぶ子どものように、今回私はずっと低音で遊んでいましたね。

—今回TSUBOIさんとは、実際に低音というものに対して話し合うこともあったんですか?

長谷川:話をしたというのはそこまでなかったんですが、じっさいにTSUBOIさんの返答を受け取ったり、上がってくるミキシングの結果物を聴いたりする中で、私は低音を出しすぎなんだなということに気づくことが多くありました。というか、埋めすぎと言った方が正確かもしれないですね。

—何があって、そこまで低音への思いというのが変化していったんでしょう。

長谷川:それこそソフィーは、キックのデザインがめちゃくちゃ独特ですよね。そういったところは影響を受けていると思います。

—そういった変化を経て、長谷川さんの中では今でも低音に対して権威性を感じるといった思想は変わらないでしょうか。

長谷川:(2023年の本誌インタビューで)過去に私が言っていた「低音の権威性」ということについて、二、三の修正が必要かもしれません。私は、低音域のリズムパターンがそのジャンルの特長を決定すると言及していた記憶があるんですが、それはやや早とちりに近い解釈だったと思っています。じっさいには、その音楽が聴かれる環境で、各音域帯がどの程度分離して聴こえるかということがものすごく重要なことだったと今は分かった。つまり、低音域だけに着目して、そこにジャンルの特徴量が多く含まれていると論じるのは間違いだったなと思います。さらに加えるなら、私の耳のチューニングの話も必要です。私は音を、分化して聴くことが物凄く苦手なんです。あるドラムパターンを聴いた時に、キック/スネア/キック/スネアというふうではなく、低い音と高い音の連続したうねりのように聴こえるというのが特性なんです。低音部のトランジェントをあまり認識できない。過去の私は、そこを無視したままに語ってしまっていたんですよ。自分の耳の特徴をあまり仔細に捉えないまま、低音の権威性という、さも論じやすそうなところに向かってしまった。だから、いま読むと恥ずかしい(笑)。示唆はあるとは思うんですけどね。

—なるほど、ご自身の聴取スタイルの特性をより客観的に見極められるようになったということですね。

長谷川:そうです。今では、そういった以前の発言についても「言ってるな~」くらいに思って自己批判しています(笑)。

THE FIRST TAKE、ソニックマニアと未来の話

—未来の話もしてみましょう。長谷川さんは恐らく今後、より大きなバジェット(予算)での制作をされる機会もやってくるのではないかと思います。たとえばいま莫大な制作費が与えられたとして、長谷川さんはその時、制作において何をどのように変えますか?

長谷川:これは直近の出来事に影響を受けているんですが、制作においてミュージシャンの力を常に借りられて、かつその人が納得のいく対価を支払えるようにしたいと思います。でも、そのくらいしか思いつかないかもしれない。いまはラップトップ一つで制作が完結していますし、例えばすごく高価なビンテージのミキサーやエフェクターを導入したいかと言われると、そこまでは思わないかなと。これは私が、機材に対する知識があまりないからかもしれないですが。それよりは、常に稼働してもらえるミュージシャンがいらっしゃった方がありがたいです。

—制作過程においてミュージシャンを動かせるとなると、それは長谷川さんの音楽制作の根幹を揺るがす、大きな変化となりますね。いまはもはや、ラップトップと長谷川さんの身体が同期しているような状態だと思うんです。

長谷川:そうですね。そもそも私はこれまでラップトップ以外で音楽を制作したことがほとんどないので、それ以外の感覚が分からない。

—タッチパネルのなめらかさやキーボードの重さといった、ラップトップを操る際のそういった細かい感触すべてがそのまま長谷川さんの音楽には反映されているかのように思うんです。そこに楽器が入ってくるとなると、パラダイムシフトが起きるんじゃないかと。

長谷川:ただ、私はかなり構造的に音楽を捉えがちで、思弁が先にくるタイプの作家だと自覚しているので、もしかしたら……そこまでは大きく変わらない可能性もあるかもしれません。というのも、誰かに依頼する時に、もちろんその人のアイデアをたくさん聞きたいというのもある一方で、ストラクチャを自分から提示することもけっこう多いので、もしかするとあまり変わらない可能性があります。……全く別物になる可能性もありますが(笑)。

—逆に、時間/予算/人手といったところで、制作環境における有限性がクリエイティブに良い効果をもたらしていると感じる瞬間もありますか?

長谷川:外から見た時にはそういった美点を見つけ出せることはあるかもしれないですが、単純に制作者として考えると、メリットを感じたことはほとんどない気がします。活動の最初期によく使っていて今でもたまに使う「BFD」というドラムの打ち込みのソフトウェアがあるんですが、それを打ち込んでいる時も、常に「生で録れたらそれが一番良かったのにな」と思っていた。ピアノも、生で録れた方が良いと思っていたこともある。もちろん後になって作品を聴いた時に、これは打ち込みじゃないとだめだったなと感じることはありますが、制作の渦中においてはそれに対してポジティブな評価を与えることは難しい。それは、私にとってのDAWが、シーケンサーとしての使い方だったというのが大きいと思います。最初からエレクトロニックミュージックを作ろうとしていたわけではなくて、どちらかというと生演奏の再現を自分一人でできるようになりたいと思っていたところが強かったので。

「草木」は2018年のCDデビュー作『草木萌動』に収録された代表曲のひとつ

バンドメンバー:秋元修太郎(Dr)、相川瞳(Perc)、宮地遼(Ba)、松丸契(Sax)

—「THE FIRST TAKE」は非常にスリリングなパフォーマンスでした。長谷川さんにとって、バンドというものは特別な形態になっているんですね。

長谷川:私は、あれが人生において初合奏だったんですよ(笑)。もちろん楽器と合わせること自体はこれまでもありましたが、ある程度ストラクチャされた自分の曲を皆で一緒に演奏する体験はあれが初めてだった。

—いかがでしたか?

長谷川:……ヤバかったですね(笑)。皆がこぞってバンドを組む理由がようやく分かった。

—それぞれの演奏者に対して、何かディレクションはされたのでしょうか。

長谷川:そこまで細かいことはしていないんです。私が書いて皆さんにお渡しした譜面は、コードとリズムの基本的なパターンと、ブレイクの位置が記してあるもの。このパートはもう少しシンバルが前面に出た方がいいんじゃないか、ここは最初は8分の5で始めて後から4で割りましょうよとか、そういうことを言った記憶はあったんですが、書いてある譜面を全部緻密になぞってくださいということはほとんどしていなくて。これが一般的なのかは分かりませんが、大学で譜面上の作曲をまがりなりにも6年間専攻していた私にとっては、かなり大雑把なディレクションだったと思います。

「外」は『魔法学校』のラストを飾る楽曲

ゲストボーカル:水野良樹(いきものがかり/HIROBA)、加藤修平(NOT WONK/SADFRANK)、ぷにぷに電機、AOI ITOH、ゆっきゅん、諭吉佳作/men、towa..、北田哲朗(モードの悲劇)、ヤナ・ダーメン(モードの悲劇)

—ソニックマニアについては、どういった編成で臨まれるのでしょうか。

長谷川:最近やっている、ノンストップMIXの中で私が歌う形でいこうと思います。さらにそこに、鍵盤も加えます。私らしいライブになると思いますね。

—ちなみに、ソニックマニアで楽しみにしているステージはありますか?

長谷川:アルカと言いたいんですけど、たぶん時間的に私観られないんですよね……。

—えぇっ……!

長谷川:セットを組んだりする時間も考えるとたぶん難しいと思っていた方がよさそうです……。あとフェニックスもちょうど裏だから観ることができないですね。でもニア・アーカイヴスがどんなライブをするのかはすごく気になるし、千葉雄喜さんのショットライブも楽しみだし、この時間のceroも良さそうだし。このすばらしいラインナップに入らせてもらうことがすごく光栄でもあり、やってやるぞという気持ちもあります。

—ちなみに、観られないということが分かっていながら恐縮ですが、長谷川さんにとってアルカの魅力とはどういった点でしょうか。

長谷川:話し出すとあと2時間くらいかかっちゃいそうですが(笑)。ライブやDJセットを映像で観ていて思うのは、本当に踊れる音楽なんですよね。アルカってともすれば先鋭的で実験的に思われがちで、それももちろん正しいんだけど、その裏で脈々と培われているリズムに対する観点がずっとブレない。だから、アルカのステージはそういった一般的な印象を良い意味で変えてくれる力があると思います。どういうリズムで踊るとどういう身体の動き方をするのかという点に対して、すごく新しい観点を準備してくれるアーティストですよね。絶対に観た方がいいし、その流れでぜひ長谷川白紙もよろしくお願いします(笑)。

—最後の質問です。Brainfeederからリリースということもあり、これまで以上に海外でも聴かれている印象です。それによって、今後の創作にどんな影響が生まれそうでしょうか。恐らく、自身の土着性やルーツといったことについても分析されそうですよね。

長谷川:海外からの視点で音楽的な分析をする際に——例えば日本から見たブラジルという形でもよいですが――まず、対象を非常にエキゾチックなものとして固定的に捉えて、すべての音響がそこに由来するように権威的に分析するアプローチがあると思います。そう考えると少しだけ憂鬱ではありますね。そこで絶対に出てくるだろうなと予想されるのが「スクランブル交差点のような」という形容なんですけど(笑)。ただ、そういった解釈を意地でも拒否したいという気持ちも別になくて、そういった分析の先に、日本の現代のエレクトロニックミュージックにおける新たな観点が準備されるのであればそれはぜひとも知りたいポイントではあります。その点では、楽しみな気持ちもありますね。あと、私の音楽に宿る日本の土着的な性質とは何なのか、それは単純に気になります。もちろん日本の伝統音楽やJ-POPからの影響は無意識にしろ受けているだろうし、それを否定する気持ちもないんですけど、どういったところにそれを感じるのかというのはかなり興味があります。

—安直なところで言うと、密度高く詰め込まれた音の情報量やスピード感というものが「スクランブル交差点」といったイメージと重なるということなのでしょう。ただ、実はもう少し本質的なところで納得できる部分もあるんです。長谷川さんの中に「中心」があるというよりは「関係性」によってそれができているようなところ。あるいは、何にでもなりたいけれど何者にもなりたくないとうつろいゆくアイデンティティを有しているところ。そういった特性は、どこか日本的と言えるのかもしれません。

長谷川:確かに、そう言われると日本的というのも納得できる気もします。これは長くなる話ですね。

—はい、長くなる話ですし、もうちょっと色んな人の意見を聞いてみたいところです。今日はありがとうございました。

長谷川白紙

『魔法学校』

発売中

配信:https://hakushihasegawa.lnk.to/mahogakko

CD/Tシャツ付きセット:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14074

LP:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14075

SONICMANIA

2024年8月16日(金)幕張メッセ

開場:19:00/開演:20:30

※長谷川白紙は23:05〜PACIFIC STAGEに出演

公式サイト:https://www.summersonic.com/sonicmania/

HAKUSHI HASEGAWA First tour 2024 魔法学区

ゲスト:KID FRESINO(大阪、東京公演のみ)

2024年10月9日(水) 福岡 INSA

2024年10月11日(金)大阪 BIGCAT(Guest: KID FRESINO)

2024年10月18日(金)名古屋 JAMMIN'

2024年10月21日(月)札幌 Sound lab mole

2024年10月25日(金)東京 LIQUIDROOM(Guest: KID FRESINO)

詳細:https://hakushihasegawa.com/blogs/news/mahogakku