今回の配達先は、インドのジャイプール。ジュエリーデザイナーとして奮闘する緑川りおさん(43)へ、千葉県で暮らす父・健司さん(77)が届けたおもいとは―。

“宝石とジュエリーの街”を拠点に一点もののジュエリーをデザイン

首都ニューデリーから南西へ260キロ、りおさんが暮らすジャイプールは“宝石とジュエリーの街”といわれ、かつてマハラジャに仕えるため宝石商が集まった名残で、現在でも5000軒以上がひしめいている。

2012年、「Pahi AMULET(パヒアミュレット)」 というジュエリーブランドをたった1人で立ち上げたりおさん。ピアスやリングなど、デザインするジュエリーはすべて世界にひとつしかない一点ものだ。毎シーズン1万粒以上の宝石を見る中から、本当にいいと思ったものだけを選び、その石に合わせてデザインを起こしている。販売はインターネットのほか、日本の百貨店に期間限定で出店。こうして日本とインドを往復しながら地道に販売を続ける中、2020年には大阪の百貨店に念願の店舗を構えた。しかしコロナ禍の煽りを受け、わずか10か月で閉店。借金が残り、今もいわば自転車操業の状態だが、それでもジュエリー作りに一切の妥協はない。

宝石の仕入れで訪ねたのは、馴染みの宝石商・シャフィークさんの店。ブランドを立ち上げた当初から通い、親身になってサポートしてくれるシャフィークさんとはいまや家族ぐるみで付き合う仲だ。

世界でひとつだけのジュエリーを作るりおさんのデザインは、まず宝石を選ぶところから始まる。入念にチェックし、個性的な1粒を選び出すため、時には朝から夕方まで没頭することも。この日はたくさんの宝石の中から6粒を選んだ。

一方、デザインを形にするのは、ジュエリー工房。こちらも現地で出会った信頼のおける仲間であり、腕利きの職人たちに作業をお願いしている。毎日のように工房を訪れては職人と膝を突き合わせ、決して妥協しない彼女に、職人たちも全力で応えている。

デザイナーを辞め、ヨガの修行でインドへ…ジャイプールと巡り合う原点は父が買ってきた図鑑

かつては、東京の大手アパレル企業でファッションデザイナーをしていたりおさん。多忙を極める毎日をおくっていたある日、体に異変が起こり、ついにはドクターストップがかかってしまう。その後、会社を辞め、健康のためにヨガを始めるとすっかり夢中になり、本格的に学ぼうと28歳で南インドへ。ヨガの先生になるつもりだったが、元気になると心の奥底からモノづくりがしたいという思いが湧き出した。そんな頃にたまたま訪れたのが、宝石とジュエリーの街・ジャイプール。この街に巡り合ったことが転機となり、ジュエリーデザイナーとして再始動したのだった。

実は宝石を好きになったきっかけは、幼い頃によく読んでいたという鉱物の図鑑。ファッションデザイナーを目指すよりはるか以前、父が何気なく買ってきた本が彼女の人生を今に導いていたのだった。

そんなりおさんは今、大きなチャレンジをしている。現地にショールーム兼店舗を建設中なのだ。さらに店のオープンに先駆け、ジャイプールのアパレルショップで作品を置いてもらえることに。インドでの販売は初めてだったが、お客さんにも好評で、りおさんは胸をなでおろす。

本心では「すぐに帰ってくると思ってた」と明かす父・健司さん。現地での娘の姿を見たのは今回が初めてだといい、「よくやってるんだなあと…ただ作る方ばっかりにいっちゃってるんで、商売っ気がないみたいな感じですね」と、苦笑しつつも、妥協のない姿勢に感心する。

大きな一歩を踏み出した娘へ、父からの届け物は―

今またインドで大きな一歩を踏み出した娘へ、父からの届け物は、りおさんが宝石に興味を持つきっかけとなった鉱物図鑑。手紙には、「これで心機一転、前に進めて行ければ幸いです。インドの成長を好機に、事業発展に力を発揮してください」と応援のメッセージが綴られていた。それらを受け取り、「ありがとうしか出てこない」とりおさん。そして父に「長生きしてください。それと、いつかインドに呼べるようにしたいです。インドに長く住んでいると疲れちゃうときもあるけど、これでがんばれそうです」と伝えると、涙があふれ出すのだった。