海外から愛車を持ち込み約1カ月で日本縦断!桁外れのラリー「BENTLEY DRIVERS CLUB RISING SUN RALLY 2024」

海外のベントレーオーナーがわざわざ愛車を日本に運び込み、福岡から山陰、関西、北陸、佐渡、そして一旦東北に上り、信州を経て横浜でゴール!1カ月弱で24府県を縦断する、そんな途方もないツアーの一部に帯同取材した。

【画像】海外のベントレーオーナーが日本に愛車を持ち込みツーリングを満喫!(写真29点)

壮大な旅

このツアーはベントレー・ドライバーズ・クラブの英国本部とオーストラリア支部が企画、日本サイドの運営者として協力したことで実現したイベントである。

ベントレー・ドライバーズ・クラブの歴史は古い。ケストン・ぺルモアという発起人が1936年 3月、初めての会合中にブルックランズの駐車場で見つけたすべてのベントレーにメンバー募集の張り紙をすることを提案したことに端を発する。1936年は54名の会員数で終了したが、1939年の戦争勃発までに110名まで増加したらしい。その間「ブルートレインとの賭け」というエピソードで有名なウルフ・バーナートが会長に就任することに同意し、その他の著名な会員には JD・ベンジャフィールド博士、フランク・クレメント、そしてW.O.ベントレー本人もメンバーにいたと本国のホームページには書いてある。

ちなみにW.O.ことウォルター・オーウェン・ベントレーの生家は裕福で、カレッジでは物理学と化学を学ぶ。第一次世界大戦後の1919年に自ら自動車メーカー「ベントレー・モーターズ」を起業。ル・マンでの戦績で勇躍イギリススポーツカー界の名門となったが、さまざまな理由で経営が苦しくなり1930年代初頭には他の傘下に入った。そのわずかな期間にベントレー・ボーイズなど数々の逸話を生み出し、経営の一線から退くまでをW.O.時代と呼んでいるのだ。

さて正式名称「ベントレー・ドライビング・クラブ・ライジング・サン・ラリー」は前後泊含めて25日間という長期間に渡り日本を堪能するという、ものすごい規模のツアーである。参加費用は380万円(約2万1000英ポンド)と、これも通常の3~5日のクラシックカーラリーの参加費とは桁違い。その費用には宿泊費と朝食と夕食(2連泊の場合は1泊目の夕食のみ)が含まれる。ホテルはドライバーとナビゲーター(助手席)の 2名で1室の利用が原則となるが、頼もしいことに全行程に2名のバックアップメカニック(W.O.スペシャリスト)が同行し、そのほか荷物やスペアパーツを運ぶためのラゲッジトラックも用意されている。また便利で使いやすいナビアプリ「ride withGPS」も容易されているので、訪日が初めてのかたにも安心して運転に集中できる仕立てである。

我々プレスチームはツアー最終の4月23日24日を最新のベントレーで同行した。用意いただいたのはクラシックベントレーではなく、コンチネンタルGTS。エクステリアカラーはガンブリアングレー、インテリアのメインハイドは濃赤のクリケットボールでセカンダリーハイドはベルーガという黒。インストゥルメントパネル等にはハイグロスカーボンが奢られて精悍なイメージである。4.0リッターV8エンジンの最高出力は550PSだが、それ以上に驚くのは770Nmという最大トルクである。温故知新をひとつの目的ととらえ、気持ちを引き締めて最初の取材地である埼玉県加須のワクイミュージアムを目指す。

余談であるが、このイベント内容を我々オクタン日本版編集部が知ったのはかなり前のことになる。2023年12月、取材でときどきお会いする関西のとある自動車コレクターから、オクタン編集部に連絡があった。「試走のためいま日本に来ている外国の知人が、来春にまた日本を訪れるので、どこかベントレーのクラシックカーを預かってくれるところを探してくれないか」ということだった。確かにそのころから海外のベントレーオーナーが日本を走るというウワサをよく耳にしていたのだが、まさかこんなところで直接その情報を聞くことになるとは思わなかった。八方に手を尽くし九州の知人に預かってもらうことになったのだが、外国人であるこの知人もユニークな男で、正月には「しめ縄」を付けたベントレーの写真をオーナーに送ったりしながら温かいコミュニケーションで繋いでくれていた。ワクイミュージアムでそのオーナーコンビのリチャードとシェーンに会ったときは、初対面にも関わらずまるで旧知のようにガシッと握手をしてくれ、満面の笑みで「やっと会えたな」と言ってくれた。

多くの名車が

ワクイミュージアムでは、いろいろな参加者と話をして過ごし、その後蓼科を目指した。我々も参加車両の合間を縫ってスタートをしたのだが、エントリーリストをあらためて眺めるとW.O.時代の戦前車が31台中18台もあることに驚いた。どれもオープンツアラーで、3リットルモデルは4台、6気筒の6 1/2リットル・スピード6が3台、4 1/2リットルは8台、そして8リットルの最終モデルも3台あった。8リットルのビッグエンジンは日本ではあまり見たことがなかったので、そのサウンドも含めて嬉しい経験であった。

蓼科までは気持ちの良いルートが用意されていた。私がハンドルを握るコンチネンタル GTSはレスポンスに優れた俊敏な走りが魅力だが、特に試してみたかったのは48V電動アクティブアンチロールコントロール・システム「ベントレーダイナミックライド」であった。仕組みとしては「急カーブ時に各アンチロールバーに内蔵されたモーターが最大1300Nmのトルクを0.3秒以内に発生させ、コーナリングフォースを抑制してロールを最小限に抑える一方、巡航時は左右ホイールをデカップリングすることによって快適な乗り心地をもたらす」らしい。ベントレーとしてもいち早く導入したシステムであるが、これが実に素晴らしい。不自然なロールの抑制はまったく感じられず、シンプルにボディが少し軽くなったような錯覚を起こすほどスムースなレーンチェンジを行うことができた。クラシックカーのW.O.はゆっくりと待っていてはくれないので、スムースな走りでこのGT Sの性能を試すことができて助かった。

コーヒーブレークで、また夕食で、参加者の皆さんにいろいろと話しかけてみたが、多くの参加者が日本の印象を「ファンタスティック」と声をそろえて答えてくれた。食事、道や部屋の清掃具合、店員の笑顔や対応のやさしさ、そして何と言っても為替によるお値頃感もあるだろう。いずれにせよこういった形で自動車文化の本家と直接コミュニケーションを取れる環境が増えることは、車好きとしては歓迎したいことである。

参加者は富士スピードウェイホテルに2泊をして4月27日には横浜でゴール。多くの参加者は翌28日に帰国となった。

ベントレーという揺るぎないブランドが繋いでくれた縁で、また知人が少し増えた。「イギリスに来るときは連絡しろよ」と言ってくれた言葉こそ、車好き冥利に尽きる。

文:堀江史朗(オクタン日本版) 写真:日渡亮

Words:Shiro HORIE(Octane Japan) Photography:Ryo HIWATASHI