日本テレビ系ドキュメンタリー番組『NNNドキュメント’24』では、最愛の母を殺した死刑囚の父の息子を取材した『死刑囚の子 殺された母と、殺した父へ』(読売テレビ制作)を、きょう23日(25:25~)に放送する。

  • 生前の母・博美さん(左)と寛人さん

大山寛人さん(36)は、小学6年生だった24年前、父に夜釣りに誘われ車で港に出かけた。助手席の母は動かない。父は「眠っている」と話した。釣りの最中、何かが海に落ちた音がした。ほどなく母は遺体で見つかった。殺害したのは父だった…。

大山清隆死刑囚(62)は、自身の妻と養父を殺害し、保険金をだまし取っていた。父が逮捕され、生活は一変した。“人殺しの息子”と呼ばれ、盗みを繰り返し、ひたすら父を憎んだ。そして事件から11年後、父の死刑判決が確定した。

寛人さんは風俗店で働きながら、拘置所の父と手紙をやり取りし、面会を続けてきた。きっかけは拘置所での面会。父は別人のようにやつれ果てていた。葛藤の末、「生きて罪を償い続けてほしい」と父を受け入れることを決めた。

しかし、面会で父から明かされたのは、母の最期の言葉。殺害される間際、母は「ひろくん」と自分の名前を叫んでいた。やり場のない感情から自傷行為を繰り返し、母に対して罪悪感を背負うことになった。

死刑の確定から執行までの平均は7年あまりだが、父は13年が経った。死刑制度について、国は執行の過程を明らかにしておらず、実態はベールに包まれている。死刑囚に執行が告げられるのは当日の朝。父はたびたび執行を待つ不安を吐露し、寛人さんは毎朝「きょうかもしれない」と思い生きてきた。執行の覚悟を決めるため、父との連絡を絶った。

今は交際する女性がいる。一般の仕事に就くため、指の入れ墨の除去も始めている。そんなころ、3年ぶりに父から手紙が届いた。父の真意は……寛人さんはひとつの決意を固める。

親が親を殺した事件が子どもにもたらす心の傷、死刑囚とその家族から見た死刑制度の実情、加害者の家族に対する差別の実態、そして親子の情や絆とは。“死刑囚の子”の日々から問いかける。