6月19日に行われた第37期竜王戦4組残留決定戦を最後に、中座 真八段の引退が決まりました。最後の対局相手は、野月浩貴八段でした。

「中座飛車」とも呼ばれる横歩取り8五飛戦法の創始者として知られる中座八段には、もう1つ印象的なエピソードがあります。それは、今から28年前、中座八段がプロ入りを決めた三段リーグでの出来事です。小説『聖の青春』の著者、大崎善生氏をして

「ダイレクトに胸を衝く、衝撃的な写真」~『将棋の子』(講談社文庫)プロローグより

と記された、当時26歳の中座青年が顔を伏せてうずくまるこの写真は、プロ棋士になることの困難さ、残酷さを象徴する「伝説の一枚」として将棋ファンの心に刻まれています。

『将棋世界』では、当日の中座八段の心境を自ら語った『四段昇段の一局 自戦記 中座 真四段 「目に見えないもの」』(将棋世界2001年2月号再録)を有料販売いたしますが、本稿では、当時この出来事を報じた『週刊将棋1996年3月13日号』の記事を復刻再掲載いたします。この日、彼に何が起こったのかをお伝えできればと思います。

舞台は1996年3月7日、第18回三段リーグ最終日。三段リーグには、満26歳の誕生日を含むリーグ終了までに四段になれなかった場合は退会となるルールがあります。奨励会入会から15年が経った中座三段(当時)は、この時26歳でした。

以下、『週刊将棋1996年3月13日号』より抜粋

  • 部屋の片隅でうずくまる中座。将棋ファンの間で語り継がれる、伝説の写真だ

    うずくまる中座。将棋ファンの間で語り継がれる、伝説の写真だ

事実は小説よりも奇なり

この日、起きたようなドラマは、どんな巧みな小説家でも描けないだろう。フィクションという前提があっては、あまりにもうそっぽすぎる。 「事実は小説よりも奇なり」だった。

この日を迎えて昇段の目があったのは次の6人。
1.①堀口 12-4
2.⑭野月 12-4
3.㉓藤内 12-4
4.⑥中座 11-5
5.⑪今泉 11-5
6.③木村 10-6
昇段戦線は波乱に次ぐ波乱だった。

(中略)

九時半過ぎから1局目。まず決着のついたのは中座のところ。星取り表の記入は幹事席で勝者がする。中座はこわばった顔で判を押すとすぐに消えた。次いで今泉―木村戦。木村勝ち。今泉の目が消えた。やがて負けた野月が来て立ったまま星取り表を眺めていた。口が半開きだった。藤内―石堀は石堀勝ちの情報がもたらされた。堀口の来たのは2局目開始の2時近くだった。堀口は勝っていた。昇段決定。満面の笑み。中腰のまま判を押していた。

いよいよ最終局。残る1枠を争うのは5敗の中座、野月、藤内に、6敗の木村の4人。最終戦を前に野月は何度も星取り表を確認していた。藤内は星取り表をにらむとひとつ大きくため息をついて対局室に向かった。中座はその後、1度も現れなかった。

5時過ぎ、次々に勝敗が決まっていく。木村敗れるの一報。ほどなく野月も中座も敗れた、という知らせが入る。藤内も打ち取られた。4人が4人とも勝てなかった…。

廊下にいた中座に連盟職員が「上がったよ」。

「エッ」と叫んだ中座は次の瞬間、頭を壁で支えていた。そして5、6歩歩くとうずくまってしまった。15年目でつかんだ棋士の座だった。手続きする中座の目には涙があふれていた。

中座新四段のコメント

今回が最後ということで、かえって開き直れました。
他の人の星は見ませんでしたし、知りませんでした。
昇級を知らされたときは信じられませんでした。
15年は長かった。今はただうれしいだけで、頭がボーッとしてて抱負とか目標とかも思い浮かびませんが、1局でも良い将棋を指せたらと思います。

(週刊将棋1996年3月13日号 第18回奨励会三段リーグ戦最終日)

中座三段(当時)は自身が対局に負けてしまい、夢破れるかと思われたところで、ライバルたちが星を落としたことで奇跡的に昇段を果たしました。将棋に人生を賭け、そして思い敗れる覚悟を決めた26歳の青年の運命が一転した瞬間でした。その思いの強さゆえだったのでしょう、彼は立っていることすらままならず、その場にへたりこんでしまったのでした。

そして、公式戦最後の対局の相手が、28年前のこの日に星を落としたライバル、野月浩貴八段であったこと、野月八段がこの対局で用いた作戦が「中座飛車」であったことも、また運命としか言いようがありません。

中座八段に起きたドラマはこれからも語り継がれていくことでしょう。