JR東日本が5月17日に発表した「夏の臨時列車の運転について」の中で、中央本線・大糸線経由の特急「アルプス」が記載され、ネット上で盛り上がった。「アルプス」は2018年まで新宿発白馬行で運行された夜行列車、快速「ムーンライト信州」の前身となった急行列車である。

  • 特急「アルプス」の使用車両はE257系。グリーン車も連結される

つまり、特急「アルプス」の前身は快速「ムーンライト信州」であり、「ムーンライト信州」の前身は急行「アルプス」となる。急行「アルプス」を知る世代と、「ムーンライト信州の復活、されど特急化」に戸惑う世代の関心を集めた。

臨時列車の特急「アルプス」は7月12日、8月9日、9月13日、9月20日(始発駅基準)の4日間運行予定。新宿駅を23時58分に発車し、立川駅0時33分発、八王子駅0時44分発。そこからノンストップで中央本線・篠ノ井線を走り、松本駅に5時3分着・5時10分発。大糸線に入って信濃大町に5時52分着。終点の白馬駅へ6時22分に到着する。

2018年まで運行された快速「ムーンライト信州」は、新宿駅を23時54分に発車し、立川駅0時29分発、八王子駅0時40分発。そこから甲府駅、富士見駅、茅野駅、上諏訪駅、下諏訪駅、岡谷駅、塩尻駅に停車し、松本駅に4時32分着・4時35分発。大糸線の豊科駅、穂高駅にも停車し、信濃大町駅は5時11分着。神城駅に停車した後、終点の白馬駅へ5時40分に到着していた。

こんなに朝早く着いてどうするかというと、「ムーンライト信州」に乗車した登山者たちは大糸線の普通列車などに乗り継ぎ、登山口へ向かっていた。白馬駅の駅前ロータリーには、早朝6時30分から営業する藤屋食堂があり、ここで休憩した後、8時台に登山口へ向かうバスに乗った。

鉄道ファンなら登山者とともに大糸線を乗り継ぎ、糸魚川方面へ向かうだろう。関東から大糸線に乗り通すために便利な列車でもあった。それが復活したことは嬉しいが、「されど特急化」が戸惑いの理由になっている。普通列車限定の「青春18きっぷ」で乗れなくなってしまった。快速列車は普通列車扱いだから「青春18きっぷ」で乗車できるが、特急列車は乗れない。

「青春18きっぷ」で「ムーンライト信州」に乗る場合、新宿駅出発時に1枚、日付が変わる立川駅から1枚で、2枚分の4,740円(2018年当時)。全車指定席だから指定席券520円が必要で、5,000円を少し超える値段になる。日付が変わって最初に停車する立川駅までのきっぷを買い、「青春18きっぷ」を1枚節約するテクニックも知られていた。この方法だと、都内の駅から3,500円前後で乗れた。

現在、新宿~白馬間の高速バスは5,200円から。夜行高速バスだと割増運賃もかかる。そう考えると、当時の「ムーンライト信州」はかなり安かった。ただし、特急「アルプス」は「青春18きっぷ」を使えないから、乗車券5,500円・指定席特急券3,150円で合計8,650円。大幅値上げとなり、高速バスより高いことが少し気になる。とはいえ、4列シートの高速バスよりE257系のほうが快適かもしれない。

今年1月、「青春18きっぷ」の春季用のみ発表され、夏季用以降の発表がなかった。そのためか、「青春18きっぷがなくなるのではないか」という憶測も呼んだ。もっとも、「青春18きっぷ」が春季用のみの発表だったことは過去にもあり、2014年は夏季用・冬季用の発売を6月17日に発表している。このときは消費税率の引上げに伴う値上げが行われた。今年も6月に入ってから発表されるだろう。何が変更されるか気になる。

筆者は快速「ムーンライト信州」から特急「アルプス」となったことに好感を持っている。「青春18きっぷ」で乗れないことはたしかに残念だが、筆者がかつて「ムーンライト信州」を利用した際、空席の多さが気になった。窓側の席に空席がなく、通路側の席を買ったが、乗ってみれば隣の窓側席が終点まで空いていた。そんな空席がいくつもあった。指定席が「売れていない」ではなく、「キャンセルされない」だった。

「ムーンライト信州」の指定席券は520円だった。これに対し、払戻し手数料は最低330円(2018年当時)。指定席券をキャンセルしても190円しか戻らない。オンライン手続きならわずかな手間だが、わざわざ駅に行ってキャンセルする手間に見合わない。これでは乗らない人が手放してくれない。

特急列車化によって指定席特急券が3,150円になるため、この金額ならキャンセルする際にお金を取り戻したくなるだろうし、いわゆる「転売屋」も売れ残りリスクが高くなり、手を出しにくいはず。なによりJR東日本にとって増収につながる。継続的運行につながるだろう。

登山ブームと急行「アルプス」の歴史

かつての急行「アルプス」は、その名の通り日本アルプスをめざす登山家たちに愛された。寺本光照著『列車名大事典』によると、1951(昭和26)年4月、新宿~松本間の準急列車が「アルプス」と命名され、中央東線(東京~塩尻間)で初めて名前を付けた列車だったという。「アルプス」は松本駅から長野駅まで普通列車として運転された。下り列車は新宿駅22時0分発・松本駅5時17分着・長野駅7時23分着。上り列車は長野駅19時40分発・松本駅21時45分発・新宿駅5時15分着だった。

日本の戦後復興の半ばで、社会が落ち着きを取り戻しつつあった時代。登山家たちが山に戻ってきた。1950(昭和25)年6月、フランスの登山家がヒマラヤのアンナブルナを初登頂。1953(昭和28)年にエベレスト、1956(昭和31)年にマナスルの初登頂が達成され、世界的な登山ブームが起きている。日本では大学や高校の山岳部が人気となり、その卒業生を中心に社会人山岳会も活発になった。中央東線の夜行列車は登山家たちに愛され、普通列車の425列車は「山男列車」と呼ばれていたようだ。

中央東線は山岳地域を走るため、列車の速度が遅く、戦前は準急列車が設定されなかった。しかし、夜行列車の準急「アルプス」が人気となったことを受けて、昼行列車の準急「穂高」「白馬」が登場する。一方、「アルプス」は1956(昭和31)年にナハネ10形三等寝台車、1958(昭和33)年にナロハネ10形二等・三等合造寝台車が組み込まれた。当時の中央東線で最上級の夜行列車といえる。

国鉄は1960(昭和35)年から「動力近代化計画」を始めた。「無煙化計画」とも呼ばれたこの計画は、蒸気機関車を引退させ、電車やディーゼルカーに交代させていった。知名度の高かった「アルプス」にはキハ55形を与え、昼行列車の急行「アルプス」は2往復となり、1962(昭和37)年に3往復体制となった。

夜行準急だった「アルプス」は「穂高」に名前を変えて残った。臨時列車だった夜行臨時準急「あずさ」を定期準急にして「白馬」に改名した。「白馬」は1961(昭和36)年10月にキハ58形が与えられ、2往復のうち3本が夜行急行になった。

  • 急行「アルプス」といえば急行形電車165系。晩年は普通列車等でも活躍した(写真はイメージ)

1965(昭和40)年に塩尻~松本間が電化されると、新宿~松本間の急行「アルプス」は「上高地」などを統合し、下り7本・上り6本となった。このうち1往復を除いて急行形電車165系に変更された。この列車はサロ165形(1等車、現在のグリーン車)を2両、サハシ165形(普通車とビュフェの合造車)を1両つないだ。すでに松本~信濃森上間まで電化された大糸線に乗り入れる列車も順次、電車に置き換えられた。「白馬」のうち、夜行列車は「穂高」が受け継ぎ、165系となった。

このような複雑な経緯の後、1968(昭和43)年に新宿~松本間の急行列車は「アルプス」に統合され、「白馬」「穂高」「上高地」は消滅する。急行「アルプス」は電車9往復・ディーゼルカー2往復、計11往復という大所帯となった。その中に夜行列車もある。かつて夜行の客車準急として生まれた「アルプス」が、電車急行となって夜行列車に戻ってきた。

165系の夜行列車は登山家向け列車として君臨し、座る場所が埋まっても、床など平たい所があればすべて新聞紙を敷いて座ったという。『名列車列伝シリーズ20 急行アルプス&165系電車』によると、営業していないビュフェ車両サハシ165形がとくに人気で、厨房内やカウンターを陣取り、横になって眠る猛者もいたそうだ。

「夜行高速バスより快適」という需要を開拓してほしい

夜行列車の急行「アルプス」が誕生する2年前、1966(昭和41)年12月に特急「あずさ」が誕生している。臨時の夜行列車だった準急「あずさ」が下剋上を果たした。その後、特急「あずさ」が10往復になるまで急行「アルプス」と共存していたが、1975(昭和50)年、「アルプス」のうちキハ58系を使っていた列車が廃止された。特急列車の人気上昇にともない、1986(昭和61)年10月に昼行列車の「アルプス」はすべて特急「あずさ」へ格上げに。急行「アルプス」は夜行列車のみとなり、車両も「あずさ」と共通化され、183系・189系に変更された。

夜行列車として「アルプス」が存続した理由は、登山家たちの人気が根強かったからだろう。1971(昭和46)年に日本アルバイン・ガイド協会(後の日本山岳ガイド協会)が設立され、登山ガイドの養成や資格認定の取組みを始めている。1980年代からは、健康志向と日本百名山の影響で登山ツアーのブームが訪れた。その一方で登山者の高齢化も進んだため、夜行列車で早朝に到着するスタイルは衰退したかもしれない。

夜行列車の急行「アルプス」は165系で18年、183系・189系に代わって15年、合わせて33年間も走ったが、2001(平成13)年12月に下り列車が不定期列車に格下げ、上り列車が廃止される。その翌年、2002(平成14)年12月に下り列車も消滅した。

「アルプス」に代わる列車として、2002年から夜行列車の快速「ムーンライト信州」が設定された。「ムーンライト」は多客期の週末に運行する臨時列車で、国鉄時代末期の1986(昭和61)年、団体快速列車として新宿~新潟間で運行された。1987(昭和62)年から新宿~新潟~村上間で多客期の臨時列車として運行し、後に「ムーンライトえちご」となる。これにならって「ムーンライト山陽」「ムーンライト高知」「ムーンライト九州」などが生まれた。1996(平成8)年には、東京~大垣間の「大垣夜行」として親しまれた普通列車が「ムーンライトながら」になった。

  • 「ムーンライト信州」にも使用された189系N102編成

「ムーンライト」シリーズは快速列車として運行され、指定席券を買うことで「青春18きっぷ」でも乗車できた。0時を回った最初の停車駅まで普通乗車券を買えば、丸1日有効の「青春18きっぷ」を0時すぎから使えるとして人気となった。その結果として、JR各社から見れば採算性の悪い列車になっていたかもしれない。「ムーンライト信州」は前出の通り2018年、「ムーンライトながら」もコロナ禍の2020年春が最後の運行となった。

今年、「ムーンライト信州」に代わる列車として、特急「アルプス」が設定された。「青春18きっぷ」ユーザーが乗れなくなる反面、登山家が乗りやすくなったとも言えそうだ。特急「アルプス」はグリーン車も連結される。お金はかかるが、よく眠れそうだ。特急「アルプス」が好成績となれば、臨時列車とはいえ夜行列車が見直され、各地で復活するかもしれない。「夜行高速バスより高いが快適」という旅行需要を開拓するとともに、「ムーンライトながら」の特急列車化にも期待したい。