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――そういう意味では、今日こうして桐谷さんと初めてお会いしてみて、「これまで自分のなかにあった"桐谷健太像"って、何だったんだろう…?」と思わされました。でもよく考えてみたら、桐谷さんが役者の仕事を目指したきっかけも、"天啓"に近かったわけですよね? 5歳の時に『グーニーズ』を観て、「スクリーンの中に入りたい」と思われたそうで。

そうですね。まさに言語化できないから、「スクリーンに入りたい」と思ったんでしょうね(笑)。ただ、文字通り「電撃が走る」というか、「ビビビっと来た」というところから始まっているので、そこに嘘は介入できないんですよ。自分よりちょっと年上ぐらいの少年たちが、スクリーンの中で冒険しながら、すごく楽しんでいるような感じがする。「彼らはそういう職業の子たちなんだ」というのもなんとなくわかる。きっと子どもながらに、「あの中に入れば、自分が好きなものが全部そろっている!」と感じたんじゃないかと。

――桐谷さんは子どもの頃の夢を叶えられたわけですが、実際にスクリーンやテレビ画面に入ってみて、「こんなはずでは…」と感じたことは、これまで一度もなかったですか?

もちろん昔はありましたよ。子どもの頃は誰よりも目立ちたいと思っていたはずなのに、気づいたらどこかにいけば「あれ、桐谷健太じゃない?」みたいな感じで、周りの人たちから気づかれるようになってきて、「この仕事って、自分が頑張れば頑張るほど自由がなくなるのか…?」みたいなことを、いろいろ考えてしまった時期もありました。贅沢な悩みかもしれませんが、当時は真剣に悩みました。でも、結局は、すべて自分自身の考え方や、感じ方次第で、どうとでもなるんだと気づいてからは、すごくラクになりました。

――そのお話、もう少し詳しく伺いたいです。

人生は前にしか行かないって事に気づけたこと。すべては一回きりの人生の愛しい出来事、自分次第、捉え方で感じ方がどのようにでも変わる事。そしてそれまでは、「足して、足して、足していったところに、100点のパーフェクトの世界がある」と思い込んでいたんですけど、ある時、「いや、余分なものを削って、削って、削っていったその先にある、無垢な自分のなかにパーフェクトな世界があるんや…!」って、腑に落ちた瞬間があって。子どもの頃に「キラキラしているな」と憧れた世界にオレはこうして実際に身を置けているわけだから、「思う存分楽しまないとな。めいいっぱい楽しみながら生きていこう」と思うようになってから、自分ではそれまで想像すらしていなかったような面白い企画や役が、新たに入ってくるようになって。いまは、自分の可能性の幅をさらに広げていけているような感覚がありますね。

――なるほど。そうだったんですね。

事務所の社長からも、「健太が頑張ってギリギリ手を伸ばせば届くような役をずっと振ってきたつもり」だと言われて、納得したことがあるんですが、確かに後から振り返ってみると、いつも簡単に打てる球ではなくて。その時の自分の幅が何か一つ広がらないと打てないような、そんな球ばかりだった。それをずっと繰り返していたらここまで来られた、みたいなところもあるんです。特に40代に入ってからは、これまでのパブリックな"桐谷健太"のイメージとは違う役も入ってくるようになってきて、益々やりがいを感じています。それこそ僕の中には、『グーニーズ』に憧れていた子どもの頃の自分がタイムスリップしていまの僕を見に来た時に、「うわ、めっちゃすげえやん!」「カッコええやん!」って、目を輝かせて喜んでくれるような俺じゃないと、意味がないという気持ちもあるんです。

――なるほど。それはとても素敵な考え方ですね!

このドラマの登場人物たちも、それぞれに得体の知れない怪しさが漂ってはいますけど、結局はその人が「日々何を選び、どう生きているか」ということが、その人自身の人生を形づくっているんですよ。「あいつのせいや」じゃなくて、「あいつのせいやと思う自分」を選んでいるんですよね。「あいつのせいじゃない。俺はもうすべて忘れて生きていく」という道も選べたはずなのに。「選ぶ自由は、誰しもが持っている」ということなんです。