• 小杉善信氏

――逸見さんが去って30年が経ったテレビですが、視聴率も放送収入も下がり、大きな試練を迎えています。

視聴率一辺倒で広告収入だけでやっていける時代じゃないので、多角的なマネタイズが重要になってきますし、動画プラットフォームと連携して相互送客することも、できるだけ権利の上流にいてIP(知的財産)を使ったビジネスも大事ですが、すべてに特効薬はないと思うんです。だから、テレビだけで完結するいろんな企画を日々やることで、漢方薬のようにいつの間にか効いてくるような取り組みができないかと思いますね。

――具体的に、どんな展開が考えられるでしょうか。

やっぱり、“テレビ自体がテレビを遊ぶ”ということをやったほうがいい。僕も昔からちょっとずつやってきたんですけど、『横浜心中』(94年)というドラマをやったときに、同じクールにTBSで『スウィート・ホーム』というのがあったんです。そこで、貴島誠一郎(プロデューサー)さんに声をかけて、野際陽子さんに『スウィート・ホーム』の役柄のままうちのドラマにワンカット出てもらったんですよ。日テレとTBSのコラボということで記者の方に声をかけたら、結構来てくれて盛り上がったんです。

――それは取材に行きますよ!

実はその前に、『SHOW by ショーバイ!!』と『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ)がコラボする『なるほど!ザ・SHOW by ショーバイ!!』っていうのを企画したことがあったんです。それぞれの番組の解答者にクイズを出して、勝ったほうが相手の番組に出られるっていう企画で、当時は『なるほど!ザ・ワールド』のほうが老舗の王者で、『SHOW by ショーバイ!!』はまだまだ成長途中でしたから、こっちとしてはさらなる人気番組のきっかけになると思って日テレはみんなOKだったんです。

2時間番組を作って前編をフジテレビ火曜21時で放送する、後編を翌日の日本テレビの水曜20時で放送する。PRはお互いガンガンやる。考えただけでもワクワクします。それをまず最初に愛川欽也さん(『なるほど!ザ・ワールド』MC)を口説きに行ったら、「面白いね。逸見ちゃんか」と乗ってくれた。その次に大先輩の王東順(プロデューサー)さんに当たったら「詳細をつめてみようか」と言ってくれたんです。

――おお!

もう僕らも色めき立って、かなり画期的なことになるぞ!と思ったんですけど、『なるほど!ザ・ワールド』は一社提供番組で、競合になるスポンサーが『SHOW by ショーバイ!!』の提供社にあり、営業の問題があって結局できなかったんです。

  • 制作フロアで菅賢治氏(左)と打ち合わせする小杉善信氏(小杉氏提供)

でも、そうやって“テレビがテレビを遊ぶ”と面白いじゃないですか。遊びも真剣にやると本気になりますからね。だから、特効薬じゃないけど漢方薬みたいに、時には劇薬も使ってテレビの中で、「えっ、こんなことやるの!?」というのを作っていけば、まだまだテレビの力は捨てたもんじゃないという気がします。

――今年、テレビ70年で日テレとNHKがそれこそ番組の相乗りなどコラボしたのは、見ていてワクワクしました。

そうですよね。同じ局でも昔『火曜サスペンス劇場』で、違う作品の刑事でコラボができないかと思ったんですけど、制作会社が違うのでできなくて、同じアニメ制作会社で「ルパンとコナンってできないの?」って言ってみたら、『ルパン三世VS名探偵コナン』(09年・13年)というのができたんですよ。ただ、言うは易しだけど担当の中谷(敏夫)プロデューサーは相当大変だったようです(笑)。やっぱり、IPのすごいコンテンツ同士が合体すると実現させるには調整が難しいですし、さらに作品と成功させなければいけないですからね。

――改めまして、逸見さんの貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

こちらこそありがとうございました。今回の取材を受けるのを機に昔の資料を見直したりして、逸見さんとの思い出をはじめ、昔の“棚卸し”ができたので、僕もいい機会になりました。

  • 小杉善信氏(左)と逸見政孝さん=『いつみても波瀾万丈』のゴルフコンペにて(小杉氏提供)

●小杉善信
1954年生まれ、富山県出身。一橋大学卒業後、76年に日本テレビ放送網入社。制作局に配属され、『それは秘密です!!』『ほんものは誰だ』など公開バラエティ班でAD、『木曜スペシャル』の『世界びっくり大賞』などのディレクターを担当。その後、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』『夜も一生けんめい。』『いつみても波瀾万丈』『マジカル頭脳パワー!!』などのプロデューサーを務め、『24時間テレビ15』(92年)では「サライ」「間寛平マラソン」を企画。94年にドラマ班に異動し、チーフプロデューサーとして『家なき子』『金田一少年の事件簿』『星の金貨』『恋も2度目なら』を手がける。編成部長、営業局長、編成局長、日テレアックスオン社長、取締役編成局長、常務、専務、副社長を経て、19年に社長、21年に副会長就任。22年から顧問、日テレアックスオン エグゼクティブアドバイザーを務める。