今のところ最後のスタジオ録音アルバム『リヴァー・オブ・ドリームス』が世に出てから早30年。「もう新しいアルバムは出さない」という決意がどうにも固く、それを現在まで守り通しているビリー・ジョエル(Billy Joel)だが、ライブ活動は現役で精力的に続けており、2024年1月24日には東京ドームで16年ぶりの来日公演も決定した(すでにソールドアウト)。
「ピアノ・マン」に代表されるシンガー・ソングライター然とした面しか知らない方には想像がつきにくいかもしれないが、ビリー・ジョエルというアーティストは表現の振れ幅が非常に広い。自身のルーツであるR&Bやオールディーズへの憧憬を露わにしたコンセプト・アルバム『イノセント・マン』(1983年)がある一方で、ビートルズ『アビイ・ロード』のB面メドレー的な展開を1曲に凝縮した「イタリアン・レストランで」(Scenes From An Italian Restaurant)、SF的でプログレッシブな難曲「マイアミ2017」、クルト・ワイルの劇中歌を思わせる「ウィーン」や、ジャズに急接近した「ザンジバル」まである。この人間ジューク・ボックス的な多チャンネルぶりこそがビリーならではの持ち味だと思うのだが、特に近年のライブでは、このようにスタイルが異なる楽曲を一夜のライブで取り混ぜて演り切ってしまう。それにつき合えるバック・バンドの技量も超人級だ。
ビリーはまだティーンエイジャーだった60年代からずっとステージに立ち続けてきた生粋のライブ・アクトなので、観客を楽しませることへのこだわりが人一倍強い。若い頃はピアノの上に立ち上がって飛び降りるぐらいは朝飯前、身体能力の高さを活かしたパフォーマンスを繰り広げてきた。曲によってはピアノから離れてギターをかき鳴らしたり、マイクスタンドを振り回して吠えたり。「場内を沸騰させるまで絶対に帰らない」という基本姿勢は、映像作品でも味わうことができる。旧ソ連時代の1987年、ロシア・ツアーの模様を記録した『マター・オブ・トラスト:ブリッジ・トゥ・ロシア』のデラックス・エディションに収録されている映像は、全ファン必見と言い切りたい内容。言葉の壁を文字通り体当たりで崩し、あの手この手でオーディエンスを熱狂させていく様子は感動的だ。
その『マター・オブ・トラスト~』と張るぐらい重要な映像作品『ライブ・アット・シェイ・スタジアム』が、来日に先駆けて今月12月25日(月)・28日(木)の2夜限定で劇場公開される。このライブはニューヨークの歴史あるスタジアムが閉鎖される前に企画された2008年の特別公演で、トニー・ベネットやガース・ブルックス、ジョン・メイヤー、そしてここでビートルズとして伝説的なライブを行ったポール・マッカートニーまで、続々と大物ゲストが登場。常人ならバタつきそうなステージ上をビリーはスムーズにコントロールしながら、自身はオールタイムベストかつスタイル的に多様なセットリストをスイスイとこなしていく。キャリア豊富なビリーにしかできない芸当は、お見事としか言い様がない。
『ライブ・アット・シェイ・スタジアム』予告編
ビリー・ジョエルとポール・マッカートニー(『ライブ・アット・シェイ・スタジアム』より)(C)2011 Sony Music Entertainment
こういうメモリアルな場で、わざわざアメリカの暗部に目を向けたシリアスな曲……地方都市の深刻な不況を歌った「アレンタウン」や、ベトナム戦争を兵士の視点で歌った「グッドナイト・サイゴン」を選ぶ感覚もビリーらしい。「夏、ハイランドフォールズにて」を歌う前にMCでこの曲を「躁うつ病に悩む人たちに捧げる」と紹介しているのは、ビリー自身もメンタルを病んで苦しんだ時期があるから。そうやって社会的なテーマを取り上げ、悩める人々と寄り添ってきた面は、ビリーと同い年(74歳)のブルース・スプリングスティーンとも共通するところだ。
入門編に最適! 来日記念ライブ盤も登場
さらに今回、来日記念盤として日本で12月20日にリリースされるアルバム『ビリー・ザ・ベスト:ライブ!』は、 2枚組全32曲の大ボリューム。1970年代~2000年代の4つのディケイドにまたがる内容だが、これがありがちなライブ音源選りすぐりベスト盤と大きく異なるのは選曲を見れば明らかだ。ベースになっているのは2019年に配信のみでリリースされたアルバム『Live Through The Years』だが、ここにレア音源を一挙追加収録。世界初CD化13曲、日本初CD化6曲を含む内容へと拡大された。
そうしたマニアックなこだわりを抜きにしても、ライブ前の予習に”使える”ベスト盤としての機能性はバッチリ。「ピアノ・マン」「素顔のままで」「ストレンジャー」「マイ・ライフ」「オネスティ」「アップタウン・ガール」といった超有名曲のライブ・バージョンをまるっと聴くことができてしまう。”入門編”として本作を手に取った人は、これらのキラーチューンを入口にして、その他の多彩な楽曲の魅力にズブズブとはまっていくはず。そう考えると実に巧妙な構成の、アリ地獄のようなアルバムなのだ。
まずディスクの初っぱなに置かれた「キャプテン・ジャック」が見逃せない。これはビリーにとって初めてのヒット曲となった「ピアノ・マン」を発表する前年、セールス不振に終わった1stアルバム『コールド・スプリング・ハーバー』(1971年)のツアーで訪れたフィラデルフィアのシグマ・スタジオで1972年4月15日に録音されたライブ。実はこの音源がフィラデルフィアのFMラジオ局で予想外の反響を呼んでローカル・ヒットとなり、それがきっかけでコロムビア・レコードと新たに契約を結ぶことになるのだ。この歴史的な音源が公式にリリースされたのは『ピアノ・マン レガシー・エディション』(2011年)が最初だが、すでに廃盤で入手困難なため、今回初めて耳にするファンも少なくないだろう。
ビリーにお行儀のいいピアノ弾きというイメージを持っている人は、「キャプテン・ジャック」の歌詞を読んで卒倒するかもしれない。のちに『ピアノ・マン』(1973年)に収められた際も、この曲のダークさが異彩を放っていた。21歳になっても親にベッドを整えてもらっている主人公の冴えない暮らしぶりを、ドラッグや自慰行為まで含めて描写した生々しい歌詞は、同じくニューヨーカーのルー・リードや、ビリーと交流があったエリオット・マーフィーとも通じるもの。この曲で印象的なギターソロを聞かせるアル・ハーツバーグは、その後ニューヨーク・パンクの名盤として知られる『Live At CBGB's』(1976年)にマンスターの一員として参加していたりもする。そういうニューヨーク地下人脈とも接する地点にビリーがいたという事実は、意外と知られていない。
ビリーの作品はきっちり収集しようと思うとなかなかファン泣かせで、プロモーション用に配布されたLP『Souvenir』に入っている1976年12月のライブ音源4曲(「さすらいのビリー・ザ・キッド」「夏、ハイランドフォールズにて」「ニューヨークの想い」「スーベニア」)や、アナログ盤ボックスセットの中の1枚として2021年に発売された『Live at the Great American Music Hall - 1975』はCD化されていなかった。本作では驚くべきことに前者の4曲が全て聴けてしまうし、後者からは「エンターテイナー」が選ばれている。
また、「プレリュード/怒れる若者」「シーズ・ガット・ア・ウェイ」は77年6月に収録されたカーネギー・ホールでのライブで、いずれも2008年リリースの『ストレンジャー(30周年記念盤)』に含まれていたライブ盤『Live At Carnegie Hall 1977』に選ばれなかったアウトテイク。ピアニストとして超絶技巧を見せつける「プレリュード/怒れる若者」は、ベン・フォールズなどオルタナ世代のシンガー・ソングライターたちにも多大な影響を与えたことが頷ける、ビリーのアグレッシブな面が存分に味わえる。
ディスク1でもうひとつうれしいのは、12インチ・シングルのカップリングとして発表された「ユー・ガット・ミー・ハミン」が拾われていること。原曲はサム&デイヴだが、この曲は何を隠そう、ビリーがソロ・デビュー以前に在籍していたバンド、ハッスルズのレパートリーなのだ。1967年にシングルとして発表、1stアルバム『The Hassles』(1968年)にも収められたお気に入り曲で、こうしたルーツへの回帰も積極的にやってみせるところはR&Bにどっぷり浸かって育ったビリーらしい。
1982年12月29日に地元のロングアイランドで行なった凱旋ライブは『Live From Long Island』として映像化され、ファンの間でよく知られているが、ここから選ばれた「アレンタウン」と「プレッシャー」、「ストレンジャー」もCDになるのは今回が初。キャリアの中で最も異色の、社会的テーマを正面から扱った『ナイロン・カーテン』(1982年)をリリース後の熱気に満ちたパフォーマンスが貴重だ。このシリアス路線が先にあったので、次の『イノセント・マン』でポップス黄金時代のオマージュを爆発させることになるとは、当時はまったく夢にも思わなかった。
遊び心を忘れない「永遠のロック少年」
ディスク2の世界初CD化音源でシビれたのが、ニュー・ウェイブに刺激されたロックンロール・アルバム『グラス・ハウス』(1980年)から選ばれた「チャンスに賭けろ」。滅多にライブで聞く機会がないこの”ビリー流パワー・ポップ”な名曲を、2006年のマディソン・スクエア・ガーデンでは珍しく演ってくれて、80年当時と比べてもギャップを感じさせない溌剌とした歌唱が涙ものだ。同じく日本初CD化曲では、2007年にビリーが久々に発表した”新曲”のひとつ、「クリスマス・イン・ファルージャ」の収録がうれしい。本作には2008年のオーストラリア公演で収められたライブ・バージョンを収録。このヘヴィな反戦歌から、ビリーが『ナイロン・カーテン』以降も社会派としての一面を持ち続けていたことがわかってもらえると思う。
2008年の東京ドーム公演にて撮影(Photo by Tomohiro Akutsu)
ビリーがシングル・ヒットの印象だけでは到底語れない、カメレオン的な作家になった背景を考えると、売れない頃にロック誌で音楽ライターをしていた時期があり、批評性・客観性を持ったミュージシャンであることがいくらか関係しているのかもしれない。ポップス、ロックが創造性に満ちていた60年代の黄金期に青春を送った世代の宿命として、ビリーは何度となくルーツを再訪し、そこから刺激を得て創作に励んできた。「ロックマニアが演るロック」という性質が作風のバラエティを豊かにしたところはあるだろうし、それはライブの構成にも影響していると思う。2006年、2008年の東京ドームでは、誰も頼んでいないのにAC/DCの「ハイウェイ・トゥ・ヘル」をカバー。クルーにボーカルをまかせ、横でニコニコして楽しそうにギターを弾いていた。そういう遊び心を何歳になっても忘れない、永遠のロック少年なのだ。
毎回そうだが、客いじりが大好きなビリーはライブ中にオーディエンスに話しかけることもしばしば。「ピアノ・マン」など有名曲ではコーラス部分を観客にガンガン歌わせる。観客と一体になって”場”を楽しみたいタイプの人なので、観ているこちら側ものんびりしていられない。歌詞をしっかり頭に入れてライブに参加すると間違いなく何倍も楽しめるので、『ビリー・ザ・ベスト:ライブ!』で予習を重ねてからビリーを迎えることをおすすめしたい。最後の来日かも、と言われる貴重な一夜を存分に味わい尽くそう。
ビリー・ジョエル
『ビリー・ザ・ベスト:ライヴ!|Live Through The Years -Japan Edition-』
2023年12月20日(水)CD発売/デジタル配信
■高品質Blu-spec CD2仕様
■2枚組全32曲収録(うち世界初CD化13曲、日本初CD化6曲)
■2023年最新マスタリング
■歌詞・対訳・解説付
購入リンク:https://SonyMusicJapan.lnk.to/BillyJoel_btb
収録内容詳細:https://www.sonymusic.co.jp/artist/BillyJoel/info/557731
『ライヴ・アット・シェイ・スタジアム』
2023年12月25日(月)、28日(木) TOHOシネマズ日本橋ほか全国公開 (TOHOシネマズ日本橋/なんば の2館のみ1週間上映)
配給:カルチャヴィル
鑑賞料:2500円一律
チケット販売スケジュール:上映日の2日前から劇場HPにて販売開始
公開作品HP:https://www.culture-ville.jp/billyjoel
〈2008年11月18日東京ドーム公演セットリスト〉
1. THE STRANGER ストレンジャー
2. ANGRY YOUNG MAN 怒れる若者
3. MY LIFE マイ・ライフ
4. ENTERTAINER エンターテイナー
5. JUST THE WAY YOU ARE 素顔のままで
6. ZANZIBAR ザンジバル
7. NEW YORK STATE OF MIND ニューヨークの想い
8. ALLENTOWN アレンタウン
9. HONESTY オネスティ
10.MOVIN' OUT ムーヴィン・アウト
11.PRESSURE ブレッシャー
12.DON'T ASK ME WHY ドント・アスク・ミー・ホワイ
13.KEEPING THE FAITH キーピン・ザ・フェイス
14.SHE'S ALWAYS A WOMAN シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン
15.RIVER OF DREAMS リバー・オブ・ドリームス
16.HIGHWAY TO HELL(AC/DC) (クルーによるVo/ビリーはギター)
17.WE DIDN'T START THE FIRE ハートにファイア
18.IT'S STILL ROCK N ROLL TO ME ロックンロールが最高さ
19.YOU MAY BE RIGHT ガラスのニューヨーク
(アンコール)
20.ONLY THE GOOD DIE YOUNG 若死にするのは善人だけ
21.PIANO MAN ピアノ・マン
セトリプレイリスト:https://BillyJoelJP.lnk.to/2008
ONE NIGHT ONLY IN JAPAN
BILLY JOEL IN CONCERT
2024年1月24日(水)東京ドーム *ソールドアウト
公演ホームページ:https://billyjoel2024.udo.jp/