【鎌倉 観光スポットレポ】極楽寺切通から鎌倉攻めへ(前編) - 歴史…

鎌倉といえば、鎌倉幕府の遺した歴史的建造物や史跡が観光名所としてよく知られています。

その中でも、「切通」は今でも生活に溶け込んでいる史跡でもあり、気軽に歴史に思いを馳せることのできる身近な場所でもあります。

今回は切通の中でも「極楽寺切通」にスポットを当てて見えてきた歴史的転換点を巡る小旅行をレポートしたいと思います。

鎌倉七切通

そもそも切通とは…

鎌倉は三方を山に囲まれ、防御上非常に有利な地形をしていましたが、人や物資の行き来には不便であったため、山の稜線を切り開いて道を作りました。これを切通(きりどおし)と呼びます。切通は鎌倉への出入り口として交通上だけでなく戦略上重要な意味があったため、周辺には有力者の邸宅などが置かれていました。

鎌倉とその外を結ぶ切通のうち主なものを「鎌倉七切通(かまくらななきりどおし)」または「鎌倉七口(かまくらななくち)」と呼びます。

防衛拠点としての切通には、「切岸(きりぎし)」といわれる山の斜面を垂直に削り取って人工的な崖にしたものや、「平場(ひらば)」といわれる山頂や山腹に造られた平らな場所などがあります。道幅は馬がやっと通れるほど狭くなっているところもあります。

また、鎌倉市内にある切通には「鎌倉七切通」に数えられていないものもあります。

参照元:鎌倉観光公式ガイド|鎌倉七切通

七つの切通の多くはハイキングコースなどになっていますが、「極楽寺切通」は形を変えながらも今でも車が通行できるほどの生活道路として使われています。

画像出典:湘南人

坂ノ下から極楽寺、七里ガ浜、片瀬方面へ抜ける道となっており、鎌倉・京都往還の重要な出入口でした。

極楽寺の門前まで続く坂道は「極楽寺坂」とも呼ばれており、極楽寺の開山忍性によって切り開かれたと伝えられています。

当時の切通は、今の成就院境内の高さのあたりを通る傾斜が急な細い崖道でした。

1333年(元弘3年)新田義貞の鎌倉攻めでは、大館宗氏を大将とする新田勢10万人の攻撃に対して、北条方は強固な木戸でこの切通を閉ざし、数万の兵力によってここからの侵入を防ぎました。ここを突破できなかった義貞は、このあと稲村ガ崎から鎌倉に攻め込むこととなります。

今では道幅が広く、ずっと掘り下げて傾斜も緩やかになり、車が多く通行する道になりました。

参照元:鎌倉観光公式ガイド|極楽寺切通

歴史的背景からも重要な切通だったことがうかがえます。そして何と言っても歴史の転換点となった鎌倉攻め。今回はその歴史を動かした新田義貞の足取りを「極楽寺切通」を起点に辿ってみました(後編に続きます)。

画像出典:湘南人

施設紹介

【極楽寺切通】

■住所:〒248-0021 神奈川県鎌倉市坂ノ下23−10

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