ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(Oneohtrix Point Never 以下、OPN)ことダニエル・ロパティンは、その作品を通じて断続的に自身の過去の記憶と向き合ってきた。サウンドガーデンなどのグランジ/オルタナを聴いていた思春期の記憶に触発された『Garden of Delete』(2015年)、幼少期にラジオから流れていたソフトロックに思いを馳せた『Magic Oneohtrix Point Never』(2020年)――そして、それらに続く「半自伝的トリロジー」の最終作と本人が位置づけているのが、最新作『Again』である。
このアルバムでロパティンが再訪しているのは、2000年代前半、彼が20歳前後に聴いていたというポストロックやグリッチミュージック。トリロジーの他二作と較べると、現在のOPNの音楽的テイストや価値観にもっとも直接的に繋がっている音楽だと言えるだろう。以下の本人の発言を読んでも、こうした音楽に今も思い入れが強いことが窺える。だからだろうか、『Again』はいつになく生き生きとしていて、ユーフォリックに感じられる瞬間さえあるのだ。
とはいえ無論、ロパティンはこのアルバムで単純に過去を懐かしんでいるわけではない。ジム・オルーク、シュ・シュ(Xiu Xiu)、ソニック・ユースのリー・ラナルドといった当時を象徴するアーティストたちをゲストに迎えつつ、過去の記憶と現在の自分が入り混じったような、どこか歪で美しいエレクトロニックミュージックを創出している。こうしたサウンドを生み出すにあたって、ロバート・エイムズ指揮によるノマド・アンサンブルや生成AIも重要な役割を果たしているのは、既に各所で報じられている通りだ。
日本でも『Again』リリース時にインタビューが何本か出ているので、今回の取材はアルバムに関するベーシックな質問は最小限にとどめ、一歩踏み込んだ質問をするように心掛けた。結果、アルバムのストレートなインタビューよりも、彼のアーティストとしての姿勢や音楽観、『Again』に込められた意図などが伝わってくるものになったと思う。とにかくロパティンは、多様な論点に対して縦横無尽に話しまくってくれた。是非これに目を通したうえで、『Again』のライブセットが世界初披露される2024年2月28日(水)六本木EXシアター、29日(木)梅田クラブクアトロでのスペシャルな来日公演に足を運んでもらいたい。
コンピュータミュージックにとってのルネサンス期
―『Again』は、OPNらしい奇妙さは感じられるものの、それと同時にユーフォリックで、生き生きとしていて、ときにエモーショナルでさえあると感じます。今回、2000年代前半のあなたの音楽観の形成に影響を与えた時期の音楽を振り返ったのは、現在41歳のあなたにとってどのような経験だったのでしょうか?
ダニエル:感銘を受けたね。当時自分が興味を抱いていた音楽が、どういうわけか……ああしたレコードのいくつかが、どれだけ良く歳月の流れに耐えてきたかに感心させられた。というのも、Raster-NotonやMille Plateauxといったヨーロッパのレーベル発のグリッチミュージックや、アメリカから登場したもっとポストロック寄りな音楽、たとえばKrankyやDrag Cityあたりが発表した音楽をたくさん聴いていたから。
で、なんというか、あの時期に興味を抱いたのは本当のところ、自分個人の成長云々だけではないんだ。僕からすればあれは、より新たな、非常に高度に進化したフォルムを備えたコンピュータミュージックの始まりの時期みたいなものだったし、かつ、あそこでピークに達したと思っていて。どうしてかと言えば、プラットフォーム等ではなく、少なくともDSP=デジタル信号処理の面においては、あれ以来大して変化していないと思うから。で、僕はいくつかのポイント、DSPシンセシスや物理モデル音源、グラニュラーシンセシスといったものに、音楽的にとても興味があってね。だからそれらはあのレコード(『Again』)にも使ったし、それこそ……自分の最初期のレコーディング音源にまでさかのぼって使ってきた。思うに、そうした面はあの頃以来、あまり変化していないんじゃないか、と。だからあれは、当時のテクノロジーのおかげで、ある類いのコンピュータミュージックにとってのルネサンス期になったと思うんだ。
―なるほど。
ダニエル:あの時期に発表された、本当に、本当に素晴らしい、でもいまだに不当に過小評価されているレコードはいくつもある。だから願わくは、今回こうして『Again』周辺の取材を受けたり、インタビューでそれらについての自分の考えをシェアするのを通じて、自分に実に大きなインパクトを与えてくれたそうしたレコードにいくらかでも光を当てられたらいいな、そう思っている。たとえばデンテル(Dntel)のレコードは大好きだったし、あと、僕にとって本当に重要なレコードとして、『The Disintegration Loops』(※ウィリアム・バシンスキ/2002〜03)がある――っていうか、実際のところ、あの作品はよく知られているよね、9.11の悲劇との関連性のおかげで。
―ですね。
ダニエル:だけどまあ、あれ以外の他のレコードと言えば、やっぱりちょっと見過ごされている感じだし……とにかくまあ、自分にとってあれはちょっとしたFUNだったんだ。ああしたレコードに立ち返り、そこからインスピレーションをもらい、そして……初めてレコーディング作品を作り始めた頃の自分がどんな人間だったか、そこを思い出すのを助けてもらう、みたいなことは。
―そもそも若き日のあなたは、今おっしゃっていたような音楽、ポストロックやアンビエントやグリッチーなIDMのどのようなところに惹かれたのでしょうか? テレビやラジオで普通に耳にする類いの音楽ではないですし、深くディグする必要があると思うのですが。
ダニエル:まあ、とても若い頃からずっと、音楽的な「アトモスフィア」にすごく興味があったからね。必ずしも音楽の中の「歌」の部分ではなく、そこに伴う「雰囲気」の面の方に。アトモスフィアには本当に強く惹きつけられたものだし、たとえば……そうだな、例を挙げると、ビートルズの「Revolution 9」だとか? 子供だった頃に、「Revolution 9」を耳にすると――父親が『White Album』をフルで流していて、あの曲が始まると――ビートルズは大好きだけど、いちばん好きなのはあの曲だな、と。
いや、もちろん、「ビートルズの音楽の中で好きなのは『Revolution 9』だけ」なんて言うつもりは毛頭ないし、そんなことを言うのはマジにクレイジーな話だよ。ただ、「Revolution 9」が聞こえてくると、自分の中の何かが、アンテナがピン!と立つというのかな。あの曲の持つ何かが心に本当に訴えかけてきて、引き込まれた。あのレコーディング音源に備わったサウンドスケープ調な資質がとにかく好きだったし、大きなインパクトを受けた。サウンドのいくつかの側面、たとえばシンセサイザーが大好きで、新奇で興味深いレコーディング技術も好きだった。だから、そういったルートに目を向け、関連事項を知り始めると――何かが気に入ったら、ひたすら深く、深く、どんどん掘り下げていくだけのことだしね。
で、そうした事柄に対して僕の抱いていた関心は、2000年代初頭に起きたあの、P2Pの音楽ファイル・シェアリングの大ブーム、たとえばSoulseekなんかと重なっていた、と。というわけで、以前だったら見つけ出すのが非常に難しい、というか聴くのすらままならなかった山ほどの多種多様な音楽に、突如簡単にアクセス可能になった。だから、そこらへんに対してもともと自分が抱いていた関心と、そういった事柄をどんどん掘り下げていけるようになった当時の状況とが、偶然重なったんだね。
人間と機械、自分と自分自身の境界
―「A Barely Lit Path」のミュージック・ビデオを見て、「可哀想で、怖くて見ていられない」という感想を述べた友人がいます。
ダニエル:(苦笑)えーっ、なんてこった……! 参ったな(笑)。
―(笑)それくらい、悲しい筋書きですよね。
ダニエル:ああ、うん。
―で、この感想はとても興味深いものだと私は感じました。なぜなら、あのビデオの中で車に乗っているのは、人間のような動きをする人形であり、人間ではないからです。しかし、人は往々にして、人間を模した「人間以外のもの」に、ロボットや動かない人形、動物にも感情移入してしまいがちです。あなたは、人間と人間以外のものを隔てる境界はどこにあると思いますか?
ダニエル:んー……それって、とんでもなく答えるのが難しい質問だな!
―(笑)すみません。
ダニエル:いや、いいんだよ、気にしないで。まあ……僕はいかなる意味でも、「その道の専門家」として答えるべきじゃないだろうな……僕はエキスパートでもなんでもないし、それにほら、その質問に対して本当に興味深い回答を出してくれる例は、サイエンスフィクションの中にいくらでもあるわけだし。
―ええ。
ダニエル:でも、僕からすれば、大事なのは……その「もの」のスピリットだね。だから、人間じゃなくても構わないというか……この惑星上にはたくさんの種の動物が存在するし、何も無生物のオブジェやロボットにまで話を広げなくてもいいんだよ。たとえば君が科学者であれば、「動物は感情的に行動することができるか否か」を規定する、あるいは数値化するためにどうすればいいか考えるだろう。というか、自分たち自身が、人間がスピリットを持つ能力に関してすら、僕たちには知らないことがまだまだ山ほどあるわけで。
―そうですね。
ダニエル:20世紀の悲しみの多くというのは、この「僕たちは何かを失ってしまった」という、常につきまとう気づきじゃないかと思う――自分たちのスピリットという意味においてね。スピリットが少しずつ、常に削り取られていく状態になっていて、いわば……「神様は仕事に出かけてお留守(Gods away on business)」というか。これは僕の大好きなトム・ウェイツの歌の一節なんだけど(※トム・ウェイツ「Gods Away On Business」/『Blood Money』収録)、だから神様は不在で、今やここにいるのは僕たちだけ。で、たぶん僕たちは、そうしたことを定義するのに四苦八苦しているんじゃないか、と。
いや、これは良い質問なんだよ。ただ、果たして人間に興味を抱くのと同じくらい、その点にも自分は特に興味があるかすら、僕にはさだかじゃないし――だから、あのCPR人形(臨床シミュレーション用人形)が君の友人に対して何らかのエモーショナルな影響を与えたって事実、それ自体が、とどのつまり、そうしたことのすべてに取り組まなくちゃいけないのは我々人間の側だ、と意味しているんじゃない? ロボットでも、人形でも、それ以外のもろもろでもなくて。そうしたものたちは創造物であり、投影であり、ときに鏡のような役割を果たすこともある。僕たちが自分たち自身についてじっくり思索する際に用いることができる、一種の見本、原型としてね。でも、僕にとって一番重要なのはそこ、自分たち自身に関するコンシャスネスのどのレベルに自分たちはいるのか、そこに深く思いをめぐらせ、そうやって自分たち自身を成長させていくってことなんだ。
―『Again』は、「人間的なものとは何か?」という問いかけのようにも感じられます。このアルバムは、人間と機械との境界に意図的な揺さぶりをかけているように感じられました。たとえば、AIテクノロジーを部分的に使っているように。ただ、あなたは本作を作る上で、そのようなことは考えていましたか?
ダニエル:そうだな、興味があったのは、自分(me)と、自分自身(myself)との境目を不鮮明にすることだったんじゃないかと。アッハッハッ!
―というと?
ダニエル:(笑)だから、僕はたくさんの、色んな「僕の数々」を生み出したかった。あのレコードをまとめながら、あのレコードを、ときにバンドのごとく振る舞わせたいと思ったし、またある場面ではオーケストラのような動きをさせたい、と思うこともあった。一方で、ベッドルームのスタジオにこもっているひとりぼっちの男みたいにしたい、と思ったときもあったし、また別の場面では、この男は果たして「ここ」にいるんだろうか、もしかしたらどこか別の次元にいるんじゃないか?とすら思えるような響きにしたかった。だからそれは、これらすべてを反映したことであって……たしかに、AIという「ツール」はいくつか用いたよ。けれども結局のところ、その道具の使用の狙いは、多重な人格というか、僕の持ついくつもの人格を語るものであって、AI技術云々について話すことが目的ではないんだ。
―なるほど(笑)、なんだか分裂症っぽく聞こえますが……。
ダニエル:うん! それそれ、それは言い得て妙だな。
Photo by Andrew Strasser & Shawn Lovejoy / Joe Perri
―アルバムのタイトルは『Again』ですが、あなたは以前から何度か「人間の記憶は曖昧だから、過去に戻ろうとしても戻れないんだ」と述べています。そのように反復を試みても間違えたり失敗したりするという人間の性質が、人間のクリエイティビティの源泉だという意識があなたにはあるのでしょうか?
ダニエル:間違い/失敗はクリエイティビティの源泉か? うん。僕はそうだと思う。っていうか……クリエイティビティの源泉云々以上に、それ(失敗)は避けようがないんじゃないかな。とにかく、それが僕たち人間ってものなんだし。で、多くの場合は……周りを見回してみると、僕たちの目や耳に日がな一日流れ込んでくるものと言えば、それは「成功しよう!」というモチベーションなわけだよね。
―そうですね(笑)。
ダニエル:でも……僕からすればそれは(苦笑)、「山ほどの失敗」の症状を呈するものだ、っていう(笑)。いやだから、それとは正反対のこと、人々に失敗をおかさせないための、それに従事する産業がその周囲にいくつも成り立っているくらいだしさ。ということは、僕たちは人間経験の一部として、失敗と戦っていることになる。だから、それを避けるとか、あるいは直視しようとしないっていうのは、アートの面から言えば、僕にはちょっとこう、愚かなことに思える。アーティストとして、その人間は、自分にとって「これは人生に関する真実だ」と思えるもの、その何もかもを見据えなくちゃならないわけで。物事が一体どういうことになっているのか、そこに関する何らかの洞察を人々とシェアすること、それはアーティストにとっての贈り物だからね。
というわけで、うん、僕にとっては、「失敗する」という発想には……たとえばの話、僕や僕の友人たちは、ポップ・ミュージックを目指したのに、そうなり損ねた音楽のことを「落第/出来損ないポップ(failure pop)」と呼んでいたもので。で、僕たちは、そうした中でも自分たちに見つけられる一番サイアクな、ヘマな作品を熱烈に擁護したんだよ。というのも、別に、とりわけ洗練されてもいないし、大して完璧でもないのに、そういうものとして自らを提示しようとがんばった音楽、それを聴くのにはどこかしら非常に人間臭く、愛らしいところがあるから。
―個人のSNSへの投稿や、グーグルやメタといった巨大IT企業による行動履歴の情報収集などによって、これまでにない規模で人間の行動や考えは詳細にアーカイブされるようになっています。こういった情報環境の変化は、人間の記憶の曖昧さに影響を与えると思いますか? 写真や動画や音声があるぶん、ビッグ・データ時代以前よりももっと正確に「過去を思い返せる」と言えると思うのですが。
ダニエル:フム。んー……(笑)今の質問を聞いていて、映画『ストレンジ・デイズ/1999年12月31日』(1995年)が頭に浮かんだよ。なんでだろう? でもまあ、『ストレンジ・デイズ』の設定は、要は人が見返したいような、人生の中の良い場面等々をデジタル・レコーディングとして保存できる、というものなわけで。
で、僕からすれば、どうだろうな、そうした変化が記憶をもっとベターなものにするか否か?云々は分からないけれども……その質問は、たぶん、そういった物事を数値化している人間になら答えられるんじゃないかと思う。ただ、誰かの身の上に起きた経験の「(量=quantityではなく)価値(quality)」、それをある種の、一点の曇りも無い明晰さ・精度で呼び起こせるっていうのは、僕にはとてもメランコリックなものに思える。
―なるほど。
ダニエル:非常に物悲しい。それは、とても悲しいだろうな――リコールが終了したところで、ヘッドセットを取り外さなくちゃいけないんだから。そうやって、実際に起きたことから切り離されてしまうってことだし、それを再び生きようとするのは……もうずっと長いこと、進化・進展というのはそうやって、徐々に消えていくようにできているわけで。ただたまに、記憶にまつわる情緒、それを心の中で永遠に保つことはできたりする。その明晰さは、たぶん、単なる幻想に過ぎないんだろうと僕は思う。それは、君の頭脳が君のために作り出してくれるテレビ番組であって。だから、それを非常に澄み切った、HD仕様で見ることになるとしたら、それは僕からすれば、とてもほろ苦い経験になるんじゃないかと思う。すごくメランコリックだろうね。
―今のお話を聞いていると、記憶をHDで再生できるというのは、ある意味では地獄なのかもしれないな、とも思えます。
ダニエル:ああ、そこまで言う必要はないけど、大まかに言えばそうだよね。基本的に、そっちの方向に進んでしまうこともあり得るから。さっき言った『ストレンジ・デイズ』も、ある意味そういう映画なわけで。
OPNにとっての「アメリカ」
―「半自伝的トリロジー」とされる『G.O.D.』、『Magic』、『Again』を中心に、自己啓発的なニューエイジミュージック、80年代のCM音楽、ソフトロック、グランジ/オルタナティブロック、そしてポストロックと、これまでのOPNのアルバム10作であなたのデビュー前の音楽体験は一通り再訪したのではないかと思われます。今後あなたが再訪したいと思う自分の音楽体験は現段階で何か思い浮かびますか?
ダニエル:それはやり終えたと思う。ここまでをずーっとたどってきて、現時点の自分に追いついた。
―数々の変遷を経て遂に、ですね。
ダニエル:(笑)ああ。きっと、とにかく自分がやりたいのは……あの三部作的なレコード、『G.O.D.』、『Magic』、そして『Again』は、僕にとってある種自伝的な面のある作品群だし、あれらを通じて、それぞれに異なる主題を持たせようと思って作ったレコードだった。けれども、自分としては完結したという手応えがある。たしかにあの3枚では、ああいうアプローチを本当にとりたくてああいうふうに作ったけれども、もうその欲求は満たされた。だから再訪したいものは特にないし、うん、そこに対する自分の義務は完遂したな、と。
―なるほど。過去の資産はすべて使い果たした、と?(笑)
ダニエル:(笑)ああ、そういう言い方もできるね! うん。
―(笑)冗談ですよ。
ダニエル:(笑)うん、分かってる。だけど、良い質問だよ。で、実際、僕は使い果たしてしまったのかもしれないし。けれども僕からすれば、それはもっとこう……これ以上、過去を判定する行為に時間を費やしたくない、という発想であって。その行為に取り組む自分なりの根拠はあったし、それはやり終えた。で、ここから先は、自分はそのストーリーを閉じるだろう、と思う。あれら3枚を通じて、自分の抱く音楽の概念、というか自分の音楽の記憶、その物語を完結させたわけで。今の自分には、他にやりたいことが色々ある。
『Magic Oneohtrix Point Never』収録曲「No Nightmares」
『Garden of Delete』収録曲「Sticky Drama」
―OPNの作品は、あなたの視点や経験を通して描いた、やや奇妙な形でのアメリカの自画像のようにも感じられます。このような理解は、あなたにとって納得できるものですか?
ダニエル:イエス。100パーセント納得できる。
―どうして、そうなるのでしょう。たとえば、現在アメリカで暮らしていて、あなたがもっとも奇妙だと思うこと、疎外感をおぼえるのはどんな面ですか?
ダニエル:フム……まあ、違和感は常に抱いているから(苦笑)。「しっくりくる」と感じたためしはないし、だから、何も今に限った話じゃないと思うけど。
―(笑)。
ダニエル:いや、別に受けを狙ってこう言っているわけでもなんでもなくて、ぶっちゃけ、どういうわけか常に、自分はちょっとズレてる、調和していないと感じてきた。もしかしたら、それは自分の生い立ち、ロシアからの移民第二世代としての物の見方のせいかもしれないよ? だから、その移民としての視点は常に、自分の一部としてあるだろうね。アメリカで生まれずっとここで育ってきたにも関わらず、物事を常に少々違った見方で眺める、という。というのも、僕の家族にとってのアメリカ経験は、「アメリカにやって来る」というものだったわけだし。彼らにとっては、そうやって人生を再スタートさせる、自分たちにとっての新たな機会を見つける、云々だった。で、僕はこの国で楽しい経験をたくさん味わっているし、正直、「自分はここにそぐわない」と感じるのと同じくらい、これは自分にとって完璧な背景だな、とも思う。
―どういうことでしょうか?
ダニエル:つまり、別に適合する必要はないんだよ。望んでいないのなら、無理にそこに合わせなくたっていい。アメリカン・ライフにはこの、驚異的な可変性というのか、可塑性が備わっているから、その正体は誰が考えるものとも違う、みたいな。というわけで、その良し悪しを議論することもできるけれども、唯我論的なコンポーザー野郎……内向的で、やりたいことを自分流にやり、他はお構いなしで自分のやることに集中している、そういう類いの男にとっては、ここはグレイトな居場所なんだ。
―(笑)。
ダニエル:だけど、今の自分がイライラさせられることと言ったら、たぶん……僕は、ニューヨークシティに苛立たされるようになったな。いや、今でもNYCを愛しているし、有数のグレイトな都市だと思うし……おそらくアメリカ合衆国内でベストの都市、というか世界の中でも最高の都市だといまだに思っているけど、僕はあそこを後にした。自分が暮らした15年の間に、あの街がカルチャーやアクセシビリティの面で、本当に抜本的に変わったのを目にしたからね。要するに、あの街に関して自分の好きだった何もかもが水泡に帰しておじゃんになった、と。しかも、そこにCOVIDが襲ってきたおかげで、もう絶対に元に戻れなくなった。たとえばレコード店、各種のショウ、音楽とアート周辺の色んなコミュニティ。それらすべてが本当にバラバラになり、すっかり細分化したし、しかも、暮らすのにものすごくお金がかかる街になってしまった。つまり、マンハッタンは丸ごと、広告代理店みたいになってしまった、ということ。まるでJ・G・バラードの小説から出てきた世界だよ。要するに、マンハッタン島の主要機能、それはその島そのものを宣伝することだ、という。
―(笑)なるほど。
ダニエル:うん。それに、ブルックリンにしても、今や多くのエリアがそんな感じだしね。まあ、ブルックリンのすべてがダメだ、と言うつもりはないけど……もしも「ブルックリンはまだ変わっていない」と思っている人がいたとしたら――でも、実際ああいう風に変化してしまったわけだし、その人は意図的に目をつぶっているってことだよ。本当に、ものすごくコマーシャル指向な都市になってしまった。もちろん、以前からずっと商業ベースな街だったんだけど、これまではそれ以外の何かも共存する余地があった。ところが今や、そうした「それ以外」の入り込む余地がほとんどなくなってしまった。僕からすると、それはバランスが崩れていておかしい。だから、もうあそこで暮らしたくないな、と思った。
というわけでまあ、回りくどい答えになったけれども、僕を苛つかせるのはそういう物事、継続的な、観念的な意味でのNYCの商業化、ということだね。ほんと、広告収入をもっともっと作り出すために、一体どこまでやるつもり?と思う。無数のブランドに、ブランドマネジメントの機会に、各種企業向けの広告を生み出すために? 今、僕がニューヨークを歩いていて目にするのは、そういうことだ。
―映画『マイノリティ・リポート』(2002年)の世界に近くなっているのかもしれませんね。
ダニエル:(苦笑)フハッハッハッハッ、うん!
―トム・クルーズが街を歩いているとVR広告が面前にポップアップする、という。あの状況には、すごくイラつかされるでしょうね。
ダニエル:(笑)うんうん。
Photo by Joe Perri
―日本で世界初披露となる最新作のライブセットがどのようなものになるのか――まあ、秘密にしておきたいでしょうけれども――現時点で話せることを教えてください。前回、『Age of』のときの来日公演は、バンドセットで、なおかつ「人工知能が夢想する人類の4つの時代」をテーマにしたコンセプチュアルでシアトリカルな内容でしたが、今回もかなり作り込んだものになるのでしょうか? それとも、まったく違うものに? フリーカ・テット(Freeka Tet:フランス出身のビデオ・アーティスト、先述の「A Barely Lit Path」MVも手がけている)の協力を仰ぐ、という情報もあったと思いますが。
ダニエル:うん。だからまあ、今回はフリーカとコラボしている、それだけでも、このショウがどんなものになりそうかのヒントは君にもちょっとつかめると思う。でも、うん、もっとシアトリカルで、もっとこう、コンセプチュアルな、僕の音楽のプレゼンテーションの仕方になると思う。それでも、フリーカと僕とが一緒に考えてやってみる要素はたくさん含まれるし、あのレコードで表現されたテーマの多くも、何らかの形で代弁されるはずだ。現段階で、自分に言えるのは大体そんなところかな。ただ、アイディアとして確実にあるのは……典型的なエレクトロニックミュージックのコンサートのお約束を無視する、というか。エレクトロニックミュージックのコンサート、と言われて誰もが抱く予想を裏切るようなものをやりたい、ということだね。
Oneohtrix Point Never Japan Tour 2024
2024年2月28日(水)東京・六本木EX THEATER
2024年2月29日(木)大阪・梅田CLUB QUATTRO
詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13709
ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー
『Again』
発売中
詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13613