サッカー選手として、コーチとして、世界中を渡り歩いた青年時代

長谷川さんは神奈川県相模原市で、約1.3ヘクタールの農地を使い不耕起栽培や緑肥栽培、植物性堆肥(たいひ)を使った栽培に取り組む農家だ。自身でリジェネラティブ・オーガニック農業を行っているほか、『ハタサロ・畑で考え学ぶサロン』という自然や農業と調和したライフスタイルを共有するサロンも開催している。

長谷川晃さん

JA神奈川つくい青壮年部理事や、神奈川県認定エコファーマーなどの肩書を持ち、サロンのほかに、有機栽培や自然農法の野菜を販売するマルシェなどにも出店している長谷川さん。実は、農業とは関係のないサッカー選手としてアスリート人生を歩んでいた。

長谷川さんは高校在学中に、かつて存在していた古河電工のユースチームに入団。卒業後は、サッカー修行のため単身でブラジルに渡り、サッカー漬けの生活を送った。その後、いったん日本に帰国するも、サッカー選手としてさらなるスキルアップを目指し、再度海外へ。1990年代後半から、サッカー選手やサッカーのコーチとして、スペイン・ポルトガル・オーストラリア・アフリカ・シリアなど、文字通り世界中の国々や地域を渡り歩いた。

海外の子どもたちにサッカーを教えていた長谷川さん。プロチームでコーチをしたこともあったという

「海外は日本と違い、農業や大自然が暮らしの中にあるんです。サッカーコートがある郊外に行くと、大きな農園や畑がたくさんあって、日常生活と農業や自然が密接に関わりながら人々が暮らしている。その日食べるものを近くの畑から収穫してきたり、森に分け入って食べ物を採集してくるんです。私も現地で暮らしていくうちに、ジャガイモ掘りのアルバイトをしてみたり、釣りや真珠の養殖にも関わってみたりと、農業や自然は遠い存在ではなく、身近なものなんだと感じるようになりました」

農業の原風景を見たようで、次第に農業に興味を持ち始めた長谷川さん。サッカーコーチとして訪れたシリアでの体験が契機となり、就農への道を歩み始めることになる。

シリアで目の当たりにした、衝撃の体験と光景

南米ブラジルから始まり、ヨーロッパやアジア、オセアニアなど世界中の地域を訪れサッカーに携わってきた長谷川さん。次は行ったことのない国がいい。中東イスラム圏の国で、サッカーを通して現地の人たちと国際交流をしていこう。そんな意気込みで、2007年からサッカーコーチとしてシリアでの活動を始めた。しかし、予想だにしなかった事態に直面した。

「子どもたちにサッカーしようよ!と声をかけても、断られるんです。どうしてだろうと聞いてみると、みんなお腹がすいて動けないというんです。衝撃でしたね。これはサッカー以前の話だと思いました」

シリアの子どもたち。元気な子どももいたが、飢餓状態にある子どもたちを見かけることもあったという(提供:長谷川さん)

シリアでは、サッカーどころか、そもそも満足に食事ができず、体を動かすことができない子どもたちがいる。予想もしなかった厳しい現実にぶち当たり驚愕(きょうがく)した。一体、何が起きているのか。周囲の自然環境や暮らしぶりを改めて見返したり、シリアで知り合った人に話を聞いてみたりした。すると、長谷川さんは、あることに気付いた。

「シリアは砂漠地帯なんです。畑を作り過ぎたせいで土地がやせ、農業が衰退したという話を現地で聞いたことがあります。砂漠化が進んだシリアでは、畑を作ったとしても、自然にまかせたままでは十分な栽培をすることは難しいようです」

一般に砂漠化の人為的要因として、貧困や食料問題などを背景とした過剰耕作や過剰放牧などがあり、結果的に土地が次第にやせていくといわれている

シリアの実情に衝撃を受けると同時に、この事態をなんとかできないのか、という思いもこみ上げた。
「今を生きる子どもたち、そして、未来の子どもたちのために何よりも必要なのは、荒れた土地でも安定的に食料を供給できるようになることじゃないのか」
この思いに至った長谷川さんは、自らこの課題解決に取り組むことを決意。サッカーコーチから農家への転身を決めた。

世界遺産でもあるパルミラ遺跡。紀元2世紀頃は大きな帝国があったとされるが、今は遺跡と荒涼たる砂漠が広がる

道の両側に広がるシリアの畑

自然栽培と慣行栽培とでせめぎあいの日々。でもふとした時に思い出すのはシリアの光景

日本に帰国した長谷川さんは、数々のサッカーチームからのオファーを断り、神奈川県海老名市にある「かながわ農業アカデミー」に入学。右も左もわからない状態だったが、農業の勉強を続けた。

アカデミーで学ぶのは慣行栽培についてだったが、シリアの砂漠地帯のようなやせた土地でも栽培できる農業がないかと探しているうちに、不耕起栽培などの自然栽培を知ったという。これだ!と思った長谷川さん。慣行栽培の授業を受けるかたわら、独学で自然栽培についても熱心に学び、就農した後もさまざまな農法を取り入れて試行錯誤を続けた。

不耕起栽培を実践している圃場。あえて草を残すことで、より自然に近い状態での栽培を目的としている。長谷川さんによれば不耕起栽培の土は深さ50センチまで柔らかい土が続く

不耕起栽培で育てた枝豆。葉は虫に食われているが、実はふっくらと育っていて、味が濃い

自然栽培は慣行栽培と比べて、日々の管理が大変だ。農薬や化学肥料が使えないため、広い面積を管理するのはかなり骨が折れる。長谷川さんは「営農を考えれば、慣行栽培の方が良いのはわかっています」といいながらも、自然栽培を続ける理由を教えてくれた。

「確かに慣行栽培の方がより効率的においしい野菜を作ることができるでしょう。私も趣味ではなく、生活するために農業をしているので、自然栽培と慣行栽培とで、せめぎあいの日々を送っています。でもふとした時に、あのシリアの砂漠が思い浮かぶんです。ああいう景色を後世に残したくない。だから自然栽培を続けているんです」

長期間、土壌への配慮を怠ると、日本でも同じことが起こらないとは限らない。長谷川さんは、今ある自然を壊すことなく、むしろ自然を再生するために、農業を続けていくのだと話してくれた。

今は畑のコーチとして、農業関心層のライフスタイルを見つめ直す手助けをする

もともとサッカーコーチを長年してきた長谷川さんは、培ってきた技術や考え方を、人に伝え広めることの大切さ、そして、その難しさを人一倍知っている。だからこそ、不耕起栽培のすばらしさと難しさを、農業に関心を持つ人たちに、できるだけわかりやすく伝えたい。この思いを具体化したのが「ハタサロ」だ。ハタサロは、長谷川さんが培ってきたリジェネラティブ・オーガニックの精神を伝え広める、情報発信・共有の場所だ。

「10年くらいはプレイヤーとして畑にいて、その後はコーチとして自分の経験を次世代に伝えていきたいと考えていたんです。そんな折、塚本さんというオーガニックカフェをやられていた方と出会い、ハタサロを始めようという流れになったんです」

ハタサロは就農ありきの農業スクールではない。まず農業や野菜について知ってもらい、参加者のライフスタイルを見つめ直すきっかけを提供するサロンだ。都会から来た参加者が多く、農業とは縁もゆかりもなかった人たちばかりだ。農業は生活と隔てるべきではない。暮らしの中に農業がある生活を送ってもらいたい。シリアで、世界で見つめてきた農と人の暮らしの在り方を、参加者とともに考えながら、ハタサロの活動に取り組んでいる。

圃場での作業を体験する前に、説明を受けているハタサロの参加者。実践と座学を通じて、有機栽培や不耕起栽培についての見聞を深めている

ハタサロを始めたことで、地域の人が畑を手伝いに来たり、見学に来たりすることも増えたという。
「農家さんよりも、主婦や一般の方がよく来られますよ。先日、介護士の方が介護されている方と一緒に、畑の体験に来られました。特に宣伝しているわけではないんですが、うちの畑を知った人が、知り合いに話してくれているようで、自然と輪が広がっています」

経営に悩む農家のために、プロ農家のコーチングを極めたい

長谷川さんは、JAつくい青壮年部理事も務めている。現在2期目の任期中だという理事の仕事。地域のことやJAの経営にも関わるため、自分の営農だけに専念するわけにはいかなくなった。しかし、それでも「広い世界を見たいから」と引き受けたという。

「JAの経営に携わることになって必死に勉強しました。理事を引き受けて、農業経営の難しさに改めて気づきました。実際、経営に苦しんでいる農家も多くいます。これからは、こうした農家の助けになりたいと思っています」

自然栽培の専門家である長谷川さんだが、日々の経営に苦しむ農家の助けに自然栽培の選択肢が直結するとは考えていない。
「栽培方法というのは、いってみれば手段なんです」
今後は経営に苦しむ農家を助けるために、経営方法やマーケティングのやり方まで、さまざまな面からコーチングをしていきたいと考えている。

「ハタサロで一般の方へのコーチングはしてきましたから、次はプロの農家に向けてコーチをしたいですね」
長谷川さんの取り組みは、まだ始まったばかりだ。

【取材協力・画像提供】 長谷川晃さん