近鉄バファローズが消滅した後も、ファンの間で熱く語り継がれる伝説の『10・19川崎』。昭和最後のパ・リーグVを賭けてのダブルヘッダーでの死闘から、35年が経つ。
あの時、第1試合で逆転勝利した勢いを考えれば、近鉄が第2試合で勝てないはずがなかった。なぜ、近鉄は優勝できなかったのか? 時間を置いて振り返ると見えてくる事象もある。<「昭和最後の名勝負『10・19川崎』近鉄vs.ロッテから35年、梨田昌孝と牛島和彦が口にした当時の想い─。」から続く>
■異様な雰囲気、息詰まる攻防
深まり始めた秋の夕刻。空に帳が下りた18時44分。
川崎球場のスタンドは満員。入場券を買えなかったファンが球場を囲んでいる。
「プレイボール!」 。
熱狂と緊張が交錯する中、球審・前川義男が第2試合開始を告げた。
1988年パ・リーグ優勝の行方は、最終ゲームにまで縺れ込んだ。近鉄は勝てば8年ぶりのリーグV、負けるか引き分けで西武ライオンズの4連覇となる。
大一番の先発マウンドに上がったのは、近鉄・高柳出己、ロッテ・園川一美。
そして、この試合も先制したのはロッテだった。
2回裏、5番DHのビル・マドロックがレフトスタンドにソロ本塁打を放つ。だが、その後は両投手の好投でスコアボードに「0」が並んだ。
近鉄の攻勢が始まったのは6回。
2死一、二塁の場面で4番DHベン・オグリビーがセンター前にヒット。二塁走者・大石大二朗が生還し1-1の同点とした。
7回表には伏兵が、気を吐く。7番サード・吹石徳一、9番ショートの真喜志康永がともにギリギリでフェンスを越すホームラン。これで3-1とリードした。
「よし、いけるぞ!」「優勝だ!」
近鉄ベンチはお祭り騒ぎ、スタンドも大熱狂。また、この頃にはテレビ朝日が番組を変更しこの試合を急遽生放送、全国の野球ファンの視線が川崎球場に向けられていた。
7回裏に6番ライト・岡部明一のアーチ、1番セカンド・西村徳文のタイムリーでロッテに3-3と追いつかれるも、8回表に3番ライトのラルフ・ブライアントが右翼席に34号ホームラン。これで4-3とリード、近鉄打線の勢いは止まらなかった。
あと2イニングを「0」に抑えれば優勝。近鉄ベンチは第1試合でも投げていたエース阿波野秀幸をマウンドに送る。総力戦、必勝態勢だ。
それでもロッテは、しぶとかった。1死から4番の高沢秀昭が阿波野のスクリューをドンピシャのタイミングで捉え、ボールをレフトスタンドに運ぶ。
ロッテのホームであるにもかかわらず球場全体が静まり返った。
土壇場にきて4-4のタイスコア。
第1試合のように9回打ち切りではない、だが延長に入っても試合時間が4時間を越えると次のイニングは行われない。引き分けに持ち込まれれば、近鉄の優勝はなくなる。
■「こっちだって必死なんだ!」
そんな状況下で、「あの騒動」は起こった。
9回裏、近鉄は無死一、二塁のピンチを迎える。ここで阿波野が二塁に絶妙な牽制球を投げる。二塁手・大石が走者の古川にタッチし判定は「アウト!」。
この直後に「何だと!」と言わんばかりの表情で監督の有藤通世がロッテベンチから飛び出した。
際どいジャッジ。いまならビデオ判定で決着がつくが、当時はそんな制度もない。有藤の抗議は執拗だった。
この試合の開始時刻は18時44分。この時すでに時計の針は、22時をとうに過ぎている。近鉄にとって、もう時間がなかった。
「早くやれよ!」
「汚いぞ、いい加減にしろよ有藤」
満員のスタンドから、およそホームチームの監督に向けられたものとは思えぬ野次が飛ぶ。それでも有藤は引き下がらない。たまらず近鉄の監督、仰木彬もベンチを出て二塁ベース付近に駆け寄って言う。
「長過ぎる。早く始めてくれ」
有藤は、言い返した。
「こっちだって必死なんだ! そっちだけが勝負してるんじゃないぞ!」
結局、阿波野がこの回を抑えて延長戦に入るも10回表、近鉄は無得点。この時点で22時43分を過ぎていた。もう近鉄の優勝は絶望的、それでも試合は続く。優勝を逃した近鉄ナインの10回裏の守りには悲哀が漂った。
4-4の引き分けで近鉄は優勝を逃す。切なすぎる幕切れ。
試合を観終えた後、川崎から新橋まで戻り取材仲間たちと朝まで呑んだ。
子どもの頃から近鉄を応援してきた私は当時、切なく悲しい想いを抱いていた。あの長時間の抗議がなければ…と。有藤を恨みもした。
だが、時間が経つと想いも変わる。 悲劇として語り継がれる「10・19」は、間違いなく近鉄球団の最高傑作である。そして、この名勝負はロッテの意地なくしては生まれなかったと。
あの日、有藤は腸が煮えくり返る思いでベンチにいたに違いない。
彼の現役時代のロッテは強かった。70年代、常に優勝争いに加わり、74年には日本一に輝いている。それが、この低迷…。チームが弱くなり人気も下がった。川崎球場には閑古鳥が鳴き続け、ガラガラのスタンドで麻雀や流しそうめんをやられてしまう始末だ。
久しぶりにスタンドが満員のファンで埋まったかと思いきや、誰もが近鉄を応援し自分たちは敵役。そんな状況をロッテ一筋に生きてきた男が許せるはずがなかった。
だから消化ゲームでも敗北を敢然と拒否。
「どんな手でも使う。絶対に、ここで胴上げはさせない」
そんな有藤の想いが、選手たちにも伝わった。
素晴らしいと、いまは思える。
「これぞ、プロ野球だ」と。
あの35年前の闘いを伝説の名勝負に昇華させたのは、有藤通世の「怒り」と「意地」だったのである。
昭和最後の名勝負『10・19』よ、永遠に─。
文/近藤隆夫