フジテレビ系列各局が出品するドキュメンタリー番組のコンテスト「FNSドキュメンタリー大賞」。今年のフジテレビのノミネート作品は、日本で禁じられている「安楽死」を希望する人たちや、制度が認められているスイスで“その瞬間”を取材した『最期を選ぶ ~安楽死のない国で 私たちは~』(7日25:45~ ※関東ローカル、放送後TVer・FODで見逃し配信)だ。

時折ニュースで流れてくるその言葉の意味は何となく知っているものの、実態はベールに包まれ、議論すらタブー視される風潮にあるこのテーマに果敢に切り込んだのは、入社7年目の山本将寛ディレクター。今回の取材を通し、日本における導入の是非は別にして、「選択肢について話したほうがいいのではないかと、強く思ったんです」と語る――。

  • 好きな音楽を聴いて家族に見守られながら最期を迎えるフランソワーズさん(88) (C)フジテレビ

    好きな音楽を聴いて家族に見守られながら最期を迎えるフランソワーズさん(88) (C)フジテレビ

■この関係がなくなってしまったら…

今回の取材のきっかけは、2019年に京都で起きたALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の嘱託殺人事件。難病のALSを患う女性が、医師に薬物を投与されて亡くなった。その女性はスイスでの安楽死を望んでいたが、すでに身体の自由がきかず渡航できなくなっていたのだ。

一方で学生時代、スイスのジュネーブ大学に留学していた山本D。当時、自殺ほう助という手段による安楽死が認められていることは知っていたが、「日本人とのつながりが見えていなくて、他人(ひと)事のように感じていました」(山本D、以下同)という。それから年月が経ち、フジテレビに入社してドキュメンタリーを作るようになり、新たなテーマを探しているときに京都の事件が起こったことで、「自分とは全く違う理由でスイスに行きたい人がいることに驚いて、安楽死について調べるようになり、ライフサークルという安楽死をサポートするスイスの団体に連絡を取りました」と、取材が動き出した。

まずは、山本Dが取材依頼書をライフサークルに送り、それをライフサークルが日本人会員に転送。すると、多くの人から取材に応じる旨の連絡があったという。

安楽死を望む人がその取材を受けるというのは、極めてプライベートでセンシティブなテーマゆえにハードルが高いはずだ。それでもカメラの前に立ってくれた動機は何だったのか。

「本当に病気でつらい思いされている方々なので、スイスに渡ること自体が大変なんです。だから、日本でも安楽死制度の導入に向けてちょっとでも動き出すことにつながればという気持ちで協力していただけたのだと思います。難病に指定されてはいるけど、そのつらさが周りに伝わらない苦しみもあるそうで、今回受けていただいた1人の良子さん(60代)には手紙を頂いて、そこには『撮って下さったフィルムは、難病の為になる事でお使い下さい』と書いてあり、少しでも病気のことを知ってほしいという気持ちが一貫していました」

ライフサークルに登録していても、必要書類や審査などがあり、簡単にスイスに渡って安楽死ができるわけではない。そこで、安楽死を取材している山本Dから、少しでも情報を得たいという動機もあるようだが、「あくまで取材者という立場なので、僕から情報提供することはできませんと事前にお伝えした上でご協力いただきました」と、距離感を保ちながら取材を行った。

それでも、死を望む人たちに対する取材者としての距離感は難しい。特に良子さんは独り身ということもあり、山本Dと会って話をすることが楽しみになっている部分も感じたという。

「あくまでもカメラを通して一定の距離を保とうとは思いつつ、良子さんは2年ぐらい取材させていただいたので、死んでほしくないという思いが出てくるのは事実です。彼女に質問する中でも“死”という言葉を使うことにためらってしまう自分がいて、やはり彼女の死というものが受け入れられない部分があったと思います。それと同時に、良子さんにとって僕が気持ちのはけ口になっているようなところも感じて、この関係がなくなってしまったら、もしかしたら1人で自らによる死を選んでしまうこともあるのではと思うこともありました。そういう意味でも、つながっていないといけないと思いながら取材していました」

  • 思い出の箱を見せてくれた良子さん(60代) (C)フジテレビ

■当事者ではないと語れない“死の質”の違い

良子さんに限らず、今回取材を受け入れてくれた人たちに共通して感じたのは、相談相手が非常に限られていることだった。安楽死という選択を、家族や近しい友人は認めたがらないが、山本Dが完全な第三者の立場として接することで、「あくまで話を聞くだけという形ですが、皆さんが周りに相談できない分、気持ちよくお話をしてくれる印象がありました」と振り返る。

それに加え、どの人も決して簡単に死を望んでいるわけではないということを実感した。

「僕はまだ20代で、そこまで死が身近ではない中で、“生きているのに死にたい”という気持ちが理解できない部分があったんです。そこも含めて興味があって取材をしていたのですが、皆さんの話を聞いていると、僕が考えている以上に生きるための努力をずっとされている。“病気になったから、じゃあ死にます”なんてことは全然なくて、生きるための努力をこれでもかというくらいにしてきて、それでも報われない中で、あくまで痛みから解放されるための手段として死がある。人生を諦めているから死があるわけではなくて、いい生き方をしたいから死にたいんだという思いが皆さんに共通してあって、そこは取材する前には想像もしていなかった考え方でした」

だからこそ、“尊厳を持って生きたい”、“尊厳を持って死にたい”という思いも強く感じられたのだそう。

「取材をさせていただいた方の中には、スイスに行けず安楽死の権利が得られない中で自死を考えたという方もいらっしゃるのは事実です。でも皆さんの中で、自死と安楽死で“死の質”が全然違うところにあるのを感じました。良子さんが『スイスで死ねたら、それが私の幸せ』と『スイスに行けなかったら、何で死ねるかなって考えるよね』と言っていたのが、すごく印象に残っているんです。どちらを目指しても“死”なんだけど、彼女の中ではポジティブな死とネガティブな死に分かれていて、それは当事者じゃないと語れない言葉だと思いました」