縄文人は現代人に比べて頑強な体つきで、顔立ちは彫りが深く歯並びが整っていた。鎌倉時代の人たちは出っ歯が特徴で、“小顔化”が進んだ江戸時代に人々の歯並びが乱れてきた。……いきなり何の話かというと、東京大学総合研究博物館で始まった特別展の話です。同館の海部陽介教授の企画による『骨が語る人の「生と死」 日本列島一万年の記録より』は、各地の遺跡から発掘された骨から祖先たちの知られざる素顔を探るもので、日本人のビジュアルの変容や時代ごとに全く異なる死生観など驚きの連続! 小さな空間ながらギュギュッと濃密な展示内容となっています。

  • 縄文人は現代人に比べてマッチョで、顔立ちは彫りが深く整った歯並び。鎌倉時代は出っ歯が特徴で、小顔化が進んだ江戸時代に歯並びが乱れてきた

    東京大学総合研究博物館 入り口

“縄文マッチョ村”と縄文人のきれいな歯並び

「骨は生きていたときのアクティビティを反映しているので、そこから彼らの生き様が読みとれます」と語る海部教授。たとえば“縄文マッチョ村”と教授が呼ぶある海辺の村の男たちは全員、上腕骨が縄文人の全国平均に比べて太かったとか、縄文人の歯は驚くほど摩耗しており、年をとるほど歯根で噛んでいたような状態だけど、歯並びはきれいに整っていたとか。これはなぜなのか? 海部教授は、骨からこうした祖先たちの生き様を読み解いていきます。

  • 同展を企画した海部陽介教授と縄文人の頭骨。左にいくほど年齢が高く歯の摩耗が進んでいくが、歯並びは整っているので「縄文時代に審美歯科は儲からなかっただろう」と教授は言う

縄文時代には、健全な歯を抜く「抜歯」の風習も広く流行していました。成人や結婚といった成長段階の通過儀礼だったようで、なかには上下あわせて8本の歯を抜いた“過激”な骨も。強烈だったのが「叉状研歯(さじょうけんし)」という、歯にフォークのようなギザギザの刻みをいれる風習で、集団内の一部の人だけにみられ、特別な地位や身分を表していたと解釈されるそう。麻酔もなかっただろう時代に、歯を抜いたり削ったりする痛みを想像すると震えてしまいそうですが、一人前になった証明、エリートであることの証であれば、誇らしい痛みだったのでしょうか。

  • 抜歯の風習は縄文時代の中期以降に流行し、晩期には過激化が進んで上下合わせて8本を抜いた例も

  • 【写真】上下あわせて8本の歯を抜く“過激化”も進んだ縄文時代、歯にギザギザの刻みをいれる「叉状研歯」の風習は今の私たちには強烈なインパクト

    強烈なビジュアルの叉状研歯(さじょうけんし)。こんなににギザギザにする痛みはどれほどだったのか

鎌倉時代の人は出っ歯、江戸時代に歯並びが乱れてきた

鎌倉時代になると、「反っ歯(出っ歯)」の人が増えました。なぜか? 答えは「箸」が登場したから。箸を使ってモノを食べると前歯はあまり使わないので、奥歯は摩耗しても前歯は摩耗しない。つまり、前歯の摩耗が減ったことが主な要因だそう。ちなみに出っ歯が増えたとはいえ、この時代の人たちの歯並びは悪くなかったようです。

  • 出っ歯が増えたが歯並びはまだ良かった鎌倉時代。手前は箸の出土品。「口に入ったものは不浄」という考えから箸は使い捨てで、パパッと作って使ったら捨てていたそう

江戸時代になると様相が変わって、ひどい歯並びの人が増えてきます。原因はおそらく顔面骨の発育不良。商業の発展で食文化も繁栄し、やわらかい食べ物が庶民にも普及すると、ものを噛むときに顔の筋肉をあまり使わなくなり、顎骨が小型化、つまり「小顔」化が進みます。歯のサイズは変わらないので、歯が歯槽骨に並びきらない。だから歯並びの乱れが目立つようになったと考えられるそう。いっぽう房楊枝で歯みがきをする習慣が定着し、白い歯が好まれていたことも骨からわかります。社会が豊かになって寿命も延びた反面、低身長だったのもこの時代の特徴だとか。

  • 歯並びの乱れが顕著になった江戸時代。右の歯にはお歯黒の跡があり、左は白い歯が印象的。ただし歯並びは悪い

時代によって驚くほど異なる死者への態度

死者に対する人々の態度も、時代によってさまざま。縄文人は集落の中に墓地を作ったり、一度埋葬した骨をまた取り出して、他の骨と混ぜて再配置したりと、現代の常識からするとかなり不思議。犬の骨と一緒に埋葬された一体と10人以上の集骨を復元した展示では、おそらく狩猟犬だった犬と飼い主との近しい関係性が伺えます。ちなみに弥生時代にはそうした埋葬はなくなりますが、それは「農耕民族の弥生人は犬を食べちゃったから」だと海部教授。

  • きれいに屈葬された一体と一緒に埋葬された犬と、横に10人以上が楕円形に並べられた多人数集骨葬を復元展示

奈良~平安時代は人骨の出土例がまれな時期で、一体どんな人たちだったのかよくわかっていません。「薄葬思想」で華美な葬儀が行われなくなったり、仏教の影響で火葬が広まったのに加えて、そもそも遺体に対するこだわりが全然ない時代で、庶民は野山や河原、町の中にも捨てていたそう。「羅生門」に捨て置かれた死体がたくさんあったのは、当時の人々が特別に残酷だったわけじゃないんですね。

  • 経文のような墨書のある頭骨片も

刀や槍の傷、鈍器での損傷が残る、おそらく合戦の犠牲者であろう人骨がたくさん見つかっている鎌倉時代を経て、江戸時代に初めて“誰もがお墓に入る”時代がやってきます。檀家制度の普及で人々がお寺と結びつき、武士も農民も町民も、身寄りのない人も墓地に埋葬されるように。こうした日本人の死生観の変化には驚かされます。

骨は病魔との闘いも伝える

  • 骨梅毒のみられる室町時代の頭骨

最後のコーナーでは、「病との闘い」として、ガン、結核、梅毒の3つの人骨を展示。コロナ禍を経験している今、パンデミックにより日本列島に持ち込まれた感染症の痕跡を残す骨は、興味深いものです。江戸時代に大流行した梅毒は、武家と庶民では武家の方が感染率が低かったそうで、これは身分によって異なる“性のモラル”が要因のよう。

縄文から江戸時代まで日本列島に暮らしていた人たちの骨を通して、日本人の祖先がどんな時代を、どんな風に生きていたのかを伝える同展。11月18日には海部教授のギャラリートークも開催されます。予約は不要なので、興味がある方はぜひ。年内は日曜が休館、来年は土日がともに休館なので、土日休みの方にはちょっとハードルが高いかもしれませんが、時間を捻出する価値は十分あり。入場は無料です。

■information
東京大学総合研究博物館 特別展『骨が語る人の「生と死」 日本列島一万年の記録より』
会場:東京大学総合研究博物館・本郷本館
期間:2024年2月22日まで
開館:平日、12月23日までの土曜/日曜休、2024年は土日休/10:00~17:00(入館は16:30まで)/入場無料