歌手のアグネス・チャンが、10日に放送されるBS日テレのバラエティ番組『おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!』(毎週土曜21:00~)に出演する。

  • アグネス・チャン=BS日テレ提供

“香港から来た妖精”のキャッチフレーズで来日したアグネスも、来日50年を超えた。留学時代に始めて手に入れた愛車での思い出や、国内外での運転事情の違いまで、国際派ならではのエピソードが飛び出す。

ボランティア活動で歌っていたところをスカウトされ、香港で15歳の時にデビューしたアグネス。17歳で来日し、デビューシングル「ひなげしの花」が大ヒット、またたく間にスターの仲間入りをした。しかし、実はデビュー曲をめぐり、とんでもない勘違いが20年もたった後に発覚したという。大物歌手に指摘された間違いを赤面告白する。

アイドル的な人気を博したアグネス。日本での芸能活動も多忙を極めたある日、カナダへの留学を決意した。その決心には、今は亡き父の叱咤激励があったという。「何ていいことを言うんだろう」と感激した、父の言葉とは。

カナダはクルマ社会。通学のために免許を取り、クルマを購入することに。「2回落ちたんです」という免許をようやく取得したが、試験での教官の驚きの一言とは。そして、初愛車とカナダの寒さにまつわるエピソードも明かす。

その後、日本でタレント活動を再開。45歳で購入した国産の高級車は最高に気に入ったといい、「一生忘れられない恋」とロマンチックな表現で振り返る。2度にわたり買うほど溺愛した愛車との再会は、果たしてかなうのか。そして、ところどころに天然な言動が見え隠れするアグネスに、矢作兼もツッコミに大忙しだ。

30歳で当時のマネジャー男性と結婚。翌年には第1子が産まれ、ママになった。ところが、仕事場に赤ちゃんを連れて行ったところ、大論争が勃発。男女平等にはほど遠く、子育てをめぐる当時の息苦しさを象徴する“アグネス論争”を振り返る。

歌手に、タレントに、日本ユニセフ協会の初代大使にと、あふれるタレント力と知性から、幅広く活動してきたアグネス。家を空けることが多かったが、それでも、3人の息子たちが寂しがらないように、留守中も楽しませる工夫をしていた。

アグネスのあふれる愛を受けて育った息子たちはみな、自分も学んだ米国の超名門大学へ。目からウロコの子育てアドバイスに、第2子が誕生したばかりの矢作も、思わずうなりながら聞き入る。