2023年4月9日、JR根岸線が全線開通(延伸開業)50周年を迎えた。これを記念し、現在、根岸線全12駅で昔懐かしいホーロー駅名標のレプリカが掲出され、港南台駅や本郷台駅で駅員の作成によるペットボトルのキャップを利用した「キャップアート」が展示されるなど、沿線でも祝賀ムードが高まっている。6月30日まで「根岸線全線開通50周年デジタルスタンプラリー」も開催される。
根岸線は路線距離が約22kmと短く、ほとんどの列車が京浜東北線や横浜線と直通運転を行っている。普段はあまり目立たず、直通運転本数の多い京浜東北線の一部と思われることも多い。全線開通50周年を機に、根岸線とはどのような路線なのか、改めて沿線を歩きながら、その歴史や見どころをお伝えしたい。
【根岸線各区間の開業年月】
- 第1期線(桜木町~磯子間) : 1964(昭和39)年5月
- 第2期線(磯子~洋光台間) : 1970(昭和45)年3月
- 第3期線(洋光台~大船間) : 1973(昭和48)年4月
■桜木町駅に隣接して貨物駅が広がっていた
まずは根岸線の起点駅である横浜駅に向かう。起点が横浜駅と言うと、「桜木町ではないのか?」と思う人がいるかもしれないが、それはおそらく、明治以降の鉄道史と無関係ではないだろう。
日本で最初に鉄道が走ったのは、周知の通り、1872(明治5)年10月、新橋~横浜(現・桜木町)間においてである。昨年はそれから150年が経過し、「日本の鉄道150年」という節目の年だった。
その後、1887(明治20)年に東海道本線が国府津駅まで開業すると、初代横浜駅は途中駅となり、線形上、同駅で列車をスイッチバックせざるをえなくなった。しかし、これでは輸送効率が悪く、1915(大正4)年に横浜駅の位置を高島町に移転。2代目横浜駅の開業にともない、初代横浜駅は桜木町駅と改称され、横浜~桜木町は東海道本線の支線扱いとなった。
これとほぼ同時期に、東京~桜木町間で電車運転を開始。この電車は通称で「京浜線」と呼称された。根岸線の建設は、その桜木町駅以遠の「延長」として検討された経緯があるため、いまも桜木町駅が起点というイメージがあるのだろう。だが、1964(昭和39)年5月に桜木町~磯子間の根岸線第1期線が開業した際、横浜~桜木町間が根岸線に組み込まれ、横浜駅が起点となったのである。
では、横浜駅から根岸線大船方面行の電車に乗車しよう。横浜駅ホームから発車すると、間もなく進行方向右手の車窓に、並行してもうひとつの高架が現われる。2004(平成16)年に営業終了した東急東横線(横浜~高島町~桜木町間)の廃線跡である。途中、旧高島町駅のホームがいまも一部残っているのが目に入る。
この旧東横線高架を遊歩道として整備・活用する予定を横浜市が発表しているが、いまのところ、桜木町駅前から紅葉坂交差点付近までのわずかな距離(約140m)が公開されるにとどまっている。残りの紅葉坂から横浜駅まで約2kmの整備・公開予定はどうなっているのだろうか。
整備を担当する横浜市都市整備局に問い合わせると、「高架構造物の耐震性を点検したところ、コンクリートの剥落等が見られたため、補修や一部構造物の取り壊しが必要となった。とくに旧・高島町駅付近では構造物に大きな痛みが見られたため活用を断念し、現在取り壊しを進めている箇所がある。こうした状況から、これまでの計画は一度リセットし、令和4~6年にかけて基本計画を練り直している。その後に整備を進めるため、公開時期に関しては今のところ未定」との回答だった。
さて、桜木町駅に到着したならば、少し後戻りすることになるが、高島町の交差点をめざして歩いて行こう。交差点の角に建つマンションの敷地の一角に、2代目横浜駅の遺構があるのだ。マンションの敷地と聞けば、立ち入って大丈夫なのかと思うかもしれないが、心配ない。横浜市の市街地環境設計制度により、「公開空地」として公開されているので、誰でも自由に見学できる。
公開されているのは、2代目横浜駅舎の基礎部分のレンガ遺構である。2代目横浜駅は完成からわずか8年後の1923(大正12)年、関東大震災で焼失したことから、「幻の駅」ともいわれている。
桜木町駅前に戻り、周囲をもう少し散策してみよう。まずは東口(海側)駅前広場に向かう。いまとなっては信じられないが、かつてこの広場一帯は東横浜駅(1979年廃止)という貨物駅だった。そして、東横浜駅から赤レンガ倉庫のある新港埠頭を経由し、さらに山下埠頭まで貨物線が伸びていた。その貨物線跡は現在、「汽車道」「山下臨港線プロムナード」という遊歩道として整備されている。
その他、桜木町駅周辺の鉄道関連の見どころとしては、駅ビル「CIAL 桜木町」1階に展示された「110形蒸気機関車(110号)」や、新南口(市役所口)の改札外に建てられた「鉄道創業の地」の碑などがある。
■関内駅はかつて「水上の駅」だった
開業当初の根岸線が、桜木町~関内~石川町間にかけて運河上を走っていたと聞けば驚くだろうか。根岸線建設時、このあたりの市街地は鉄道用地の確保が難しかったため、横浜市が派大岡川という運河を用地として提供した。根岸線の橋脚は運河上に建設され、開業時の関内駅はまさに「水上の駅」だった。その運河は首都高の工事で埋め立てられ、当時の面影はない。
再び電車に乗り、石川町駅に向かう。石川町駅と聞けば、おしゃれな元町商店街をはじめ、中華街やフェリス女学院などが思い浮かぶだろう。ただし、中華街に関しては、2004(平成16)年に横浜高速鉄道みなとみらい線が開業し、中華街の名前を冠する元町・中華街駅ができてからは、そちらを思い浮かべる人が増えたかもしれない。
ちなみに、旧外国人居留地として発展した丘陵地に広がる、いかにも横浜らしい閑静な住宅地の山手地区は、次の山手駅ではなく、石川町駅が最寄り駅である。山手駅からカトリック山手教会までは約1.6km、徒歩20分くらいかかるが、石川町駅からは約600m、徒歩9分である。駅名と所在地名が食い違っている例は枚挙に暇がないが、この石川町駅と山手駅もかなりまぎらわしい。
山手駅は丘陵に囲まれた谷間の駅。周囲の丘陵を見渡すと、段々畑のような地形の各段に閑静な住宅地が開かれている。学校が多い文教地区でもあり、雰囲気の良い地域だが、急坂と階段と細い路地が多く、老後に住むにはやや大変そうに思える。