フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00~ ※関東ローカル)で、15日に放送された『酒と涙と女たちの歌2 ~塙山キャバレー物語~ 前編』。茨城県日立市の国道沿いに14軒の小さな飲み屋が並ぶ「塙山キャバレー」の人たちを追った作品だが、2年前の放送に登場した“のぼるちゃん”が、昨年3月に自宅アパートで孤独死しているのが発見された。
ディレクターの映像作家・山本草介氏は、撮影を抜きにしてのぼるちゃんと飲み仲間になっていたのだそう。今回の番組は、彼の生きた記録を残すという目的もあった――。
■「のぼるちゃんのこと、撮っておいてもらって良かったね」
2021年5月30日・6月6日の放送回に登場したのぼるちゃんは、かつて塙山キャバレーでラーメン店を営んでいた男性。しかし、火事を起こして隣4軒が延焼してしまい、その後は脳梗塞の後遺症もあって生活保護を受け、自宅アパート周辺の草むしりと、店で1杯のビールを楽しむ日々を送っていた。
続編となる今回の取材は、そんなのぼるちゃんの死がきっかけだった。
「僕は前回の放送後にのぼるちゃんと仲良しになって、コロナで塙山キャバレーが休業している間ものぼるちゃんの家に行って、お酒を飲んでいろんな昔話を聞いてたんです。最後に会ったのは2021年12月31日に2人でお酒を飲んだときで、その後も電話で話すことはあったんですけど、翌年の3月3日に、自宅アパートで亡くなっているのを見つけた『めぐみ』のママから連絡を受けました」
だが、身寄りがないのぼるちゃん。死因や遺体がその後どうなったのかについて、市役所に問い合わせても「生活保護受給者である」という理由で、家族・親族ではない塙山キャバレーの人たちは知ることができない。部屋は閉め切られ、彼の遺品も一切がどうなったのか分からない状況だった。
だからこそ、前回の放送を受けて塙山キャバレーのママたちが口々に言うのは、「のぼるちゃんのこと、撮っておいてもらって良かったね」。また、番組に出たことで、日立の街に出るといろんな人に声をかけられるようになっていたそうで、ママたちは「最後にみんなから『のぼるちゃん、のぼるちゃん』って言われて、良かったじゃないの」とも話していたそうだ。
22日に放送される「後編」では、前回あまり取材を受けてくれなかったママが、のぼるちゃんの事例を見て、大切な人のことを「(カメラで)追ってくれれば…」と山本氏にお願いする場面も登場する。
■今でもママの夢に…「きっとあっちでも楽しくやってんじゃねえか?」
ディレクター冥利に尽きる話だが、このままでは、のぼるちゃんについて残ったものが、番組の映像だけということになってしまう。そこで、山本氏は「これでのぼるちゃんは消えてしまうのか、何もかもなかったことになってしまってしまうのか…と思い、彼の痕跡を探すことにしました」と、取材が始まった。
両親が離婚し、幼少期は親戚をたらい回しにされていたのぼるちゃん。生前、通っていた中学校の名前を聞いていたため、その周囲を歩いていると、偶然にも同級生に出会うことができた。
のぼるちゃんは幼い頃に与えられた薬の副作用で身長が極端に低く、小学校に3年遅れで入学。同級生と言っても3歳差であるため、最初は情報が噛み合わなかったが、「高橋昇」という名前を出すと、児童養護施設に預けられていたという情報を得た。
養護施設の施設長は、のぼるちゃんのことを覚えており、資料にも残っていた。番組に登場した子ども時代の写真は、この養護施設や、前述の同級生などから提供を受けたものだ。
その後、船乗りに憧れて海洋高校を目指していたことや、ラーメン店の開店当時を覚えている客からは「ラーメンに酢を入れて食べたら『俺のラーメンに酢入れるんじゃねぇ!』って怒ってたんですよ」というエピソードも聞き出すことができ、今回の続編でも、のぼるちゃんの記録を映像に残すことができた。
「めぐみ」のママは、今でもよく夢に、店の戸をガラッと開けて入ってくるのぼるちゃんが出てくるのだそう。本当に生きているかのような姿に、ママは「きっとあっちでも楽しくやってんじゃねえか?」と、天国でも変わらず穏やかに暮らしていることを願っているようだ。
●山本草介
1976年生まれ、東京都出身。早稲田大学卒業。ドキュメンタリー映画監督の佐藤真氏に師事し、06年に映画『もんしぇん』の監督で商業デビュー、第6回天草映画祭「風の賞」を受賞した。映像作家として『ザ・ノンフィクション』のほか、『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK)、『情熱大陸』(MBS)といった番組や、ドキュメンタリー映画『エレクトリックマン ある島の電気屋の人生』などを制作。21年、初の著書『一八〇秒の熱量』(双葉社)が、第52回大宅壮一ノンフィクション賞・第20回新潮ドキュメント賞の候補作に選ばれた