別の部署に異動しても諦めきれなかったアナウンサーの仕事。目指すきっかけは、小学生の頃に見たプロレス中継だった。

「金曜8時のプロレス中継で、古舘伊知郎さんが実況していたんです。それを見て次の日に学校に行って教室で昨日見た試合を友達と真似するんですけど、みんなが(アントニオ)猪木さんや藤波(辰爾)さんや長州(力)さんの役をやるのに、僕は古舘さんをやって、友達が技をかけるのを古舘さんっぽいフレーズで実況していたんです」

その当時はアナウンサーという職業を知らなかったが、中学生になってテレビで活躍していたのが故・逸見政孝さん。「逸見さんの存在を知ってアナウンサーという仕事を知って調べたら、古舘さんもアナウンサーだということが分かって、将来大好きなスポーツに関わる仕事をするなら、アナウンサーになるのが一番いいんじゃないかと思ったんです」と、進路を決めた。

スポーツ中継ができる局を志望して、テレビかラジオでのこだわりは持たず、ラジオのニッポン放送に入社。野球、サッカー、競馬中継などを担当してきたが、フジテレビと資本の親子関係を逆転するにあたり、フジへ約50人が転籍することに。そのリストに入っていた福永アナは、配属先がアナウンス室と言われ、「全くのゼロから育ててくださったニッポン放送に感謝しつつ、自分の最大の夢がかなうということで移籍させていただきました」と、06年4月に、憧れの逸見さんの古巣でもあるフジへ転籍したのだ。

今回、キー局の元アナウンサーが系列局で復帰するという新しい事例になった福永アナ。「アナウンサーとしてずっとしゃべっていたい人は多いと思うんですけど、新人が入ってきますし、何人かはアナウンサーを卒業しなくてはいけない。でも、“やっぱりしゃべりたい”という人に、その場を準備していただけるのなら、何より本人が一番うれしいですし、受け入れてくださった会社にプラスがもたらされれば、出した側もうれしいと思います。フジテレビ系列に限らず、もっともっとこういう形が増えればいいなと思いますね」といい、そのためにも「自分の仕事ぶりで『あいつ来たけどさ…』と思われてしまうと、今回限りになってしまうので、必死にやっていきたいと思います」と気合いが入っている。

  • めんこいテレビの森尾絵美里アナ(左)と

●福永一茂
1974年生まれ、熊本県出身。早稲田大学卒業後、98年にニッポン放送入社。プロ野球、サッカー、競馬などのスポーツ中継を担当し、06年にフジテレビジョンへ転籍。引き続きスポーツ中継を中心に担当後、17年に営業局へ異動。22年6月28日付で、営業企画開発部部長職から系列局の岩手めんこいテレビに出向、アナウンサー兼報道記者として活躍している。