10月24日、共同通信が「旧国鉄485系、年内で引退 元花形特急用電車、JR東が運行」という記事を配信し、新聞等の報道期間が一斉に掲載した。毎日新聞は「旧国鉄485系、年内で引退 花形特急電車、JR東の観光運用で幕」、日刊スポーツは「旧国鉄の花形特急用電車485系、年内引退 鉄道開業150年の今年幕を閉じる」などと報じる一方、原題のまま報じるメディアも多かった。いずれも本文はほぼ配信のままだった。

  • 485系お座敷列車「華」。10月30日をもって営業運転を終えると報じられた

記事では、485系を改造したお座敷列車「華」とリゾート列車「リゾートやまどり」が、老朽化のため年内で営業運転を終えると報じていた。「華」も「リゾートやまどり」もたしかに485系であり、間違っていない。とはいえ、改造前の485系で旅した世代の1人としては納得いかない。むしろ記事の見出しから、「まだ485系ってあったっけ?」と思った。記事を読めばそうだなと思うものの、モヤモヤする。こういうところが国鉄世代の面倒くさいところだと自覚している。

筆者にとって、485系といえばボンネットスタイルの先頭車、あるいは「電気釜」と呼ばれた前面貫通扉付き、あるいはそのデザインに準じた先頭車を用いた交直流特急形電車である。車体色はクリーム色で、窓回りは赤い帯。先頭車もヘッドライト部などに赤を配色している。東海道本線で活躍した151系の特急「こだま」からの伝統的な塗り分けで、「国鉄特急色」と呼ばれた。

485系は、前身である481系・483系の改良型として登場した。481系は直流電化区間用の特急形電車181系の基本設計をもとに、西日本の交流60Hz区間と直流区間に対応する電車として開発された。続いて東日本の交流60Hz区間と直流区間に対応する483系が登場。そして、すべての電化区間に対応すべく、直流・交流60Hz・交流50Hz用機器を搭載した特急形電車が485系だった。改良部分は電力だけだから、モーターを持たない先頭車、食堂車、グリーン車、普通車の形式は481形のまま。中間電動車が485形と484形の2両1組となった。

  • 485系初期型の先頭車はボンネットタイプ(九州鉄道記念館にて筆者撮影)

  • 485系後期形の先頭車は「電気釜」と呼ばれた(新津鉄道資料館にて筆者撮影)

  • 国鉄分割民営化後、JR各社によってリニューアル改造が進んだ(九州鉄道記念館にて筆者撮影)

481系は1964年、483系は1965年、485系は1968年から運行を開始した。東海道新幹線に接続する特急列車を皮切りに、全国に特急列車網を広げた。とくに1972年から始まる「エル特急」は、自由席を備え、1時間1本の高頻度列車として普及し、おもに485系が貢献した。碓氷峠で電気機関車を連結する仕様の489系も含め、485系グループは1979年までに1,453両も製造された。

しかし、新幹線の路線網の発展による在来線特急列車の縮小と、老朽化に伴う新型車両への置換えによって、2017年までに定期運用から退いた。筆者にとって、これが「485系らしい485系の引退」だった。

■国鉄時代から続いたジョイフルトレイン、名実ともに消えつつある

485系の定期運用が減ると、余剰車両を改造し、団体専用列車などでの使用を目的とした観光車両がつくられた。JR東日本では、1990年に前面展望室を採用した「シルフィード」が登場し、後にリニューアルされて「NO・DO・KA」になった。他にも「リゾートエクスプレスゆう」(1991~2018年)、「彩(いろどり)」(2007~2017年)、「宴(うたげ)」(1994~2019年)」、「ニューなのはな」(1998~2016年)、「きらきらうえつ」(2001~2019年)、「やまなみ」(2001~2010年)、「せせらぎ」(2001~2010年)、「ジパング」(2012~2021年)、「華」(1997~2022年)、「リゾートやまどり」(2011~2022年)といった列車が活躍した。

  • 2011年に運行開始した「リゾートやまどり」(上野駅で行われた車両展示会にて編集部撮影)

  • 「リゾートやまどり」の車内(上野駅で行われた車両展示会にて編集部撮影)

このうち「やまなみ」と「せせらぎ」は運用を終えた後、再び改造されて「リゾートやまどり」に。余った車両は「ジパング」の一部となった。まだ足回りが使える車両を楽しい列車に仕立てようという意気込みが感じられる。「ニューなのはな」以降の車両は、先頭車の造形をはじめ、運転台後部に共用展望スペースを設けるなど類似点が多い。他形式の観光車両にも採用されており、JR東日本の得意芸といえただろう。しかし、これらの列車も2022年末までにすべて引退する。485系にとって「2度目の引退」となる。

事象として括るならば、これは「485系の引退」ではなく、国鉄時代から続いた「ジョイフルトレインの終焉」という見方もできる。JR東日本では、「華」「リゾートやまどり」の引退後、ジョイフルトレインと呼べる列車は「びゅうコースター風っこ」「和(なごみ)」「クルージングトレイン」のみ。JR北海道でも、キハ183系を改造した「ノースレインボーエクスプレス」が2023年春に運行終了する。かつて、時期を変えて約80車種が登場したという「ジョイフルトレイン」は、すでにJRグルーブの報道資料には登場していない。団体専用にしつらえた車両もなく、名実ともに消えつつある。

団体専用車両の歴史は古い。高度成長期の1960年にスハ88形というお座敷客車が誕生しており、「靴を脱いで座れる」「寝そべってもいい」など好評だった。国鉄はその後も定期運用を終えた食堂車や客車を改造し、地方管理局に配置した。余剰となった中古車で観光車両を作る手法はこの頃からあったといえる。

しかし、1980年代になるとお座敷客車の顧客が高齢化し、利用が減る。学生など若い人にお座敷客車は人気がなかった。オイルショックを脱した好景気の影響で、洋式生活志向も高まっていたと思われる。もうひとつの背景として、国鉄の経営状況悪化がある。政府の臨時行政調査会で分割民営化の議論が起きた。国鉄にとって、旅客獲得のためのイメージアップが必要だった。

そこで、老朽化したお座敷客車の置換え用として、1983年に14系客車(座席車)を改造し、「サロンエクスプレス東京」をつくった。居心地の良い座席タイプの観光用客車で、欧風のコンパートメントタイプの座席配置としたほか、編成の端に連結する車掌室付き車両を逆向きに連結し、従来の連結面を大胆にカットして、大きなガラスの展望室とした。

「サロンエクスプレス東京」は大いに話題になり、鉄道趣味誌の表紙を飾った。当時、中学生だった筆者も、鉄道趣味誌の表紙を見て感動した記憶がある。1984年の鉄道友の会ブルーリボン賞も受賞している。筆者も鉄道友の会に入会したばかりで、投票したような記憶がある。その直後、大阪で「サロンカーなにわ」がデビューした。

これ以降、洋風に改造された団体専用車両が続々と誕生した。それまで団体専用車両の代名詞は「お座敷列車」だったが、洋風に「ジョイフルトレイン」と呼ばれるようになった。「サロンエクスプレス東京」は1997年に運用終了した後、再度の改造でお座敷客車「ゆとり」となり、2008年に引退した。一方、「サロンカーなにわ」はいまも現役で活躍している。

国鉄分割民営化の後もジョイフルトレインは誕生し、お座敷客車の置換えとして、さらには老朽化したジョイフルトレインの置換えとして、2022年までに約80車種が現れては消えていった。しかし、近年はジョイフルトレインが引退しても、直接的な後継車両は現れない。理由として、企業等の団体旅行自体が減少傾向にあることと、ホテルの予約サイトや旅行ポータルサイトなどが普及し、個人またはグループできっぷ・宿を手配する人が増えたことが挙げられる

団体専用のジョイフルトレインに代わり、現在は個人できっぷを買える観光列車が増えている。観光用の車両ではあるものの、団体専用ではない。JR西日本とJR四国は「観光列車」、JR東日本は「のってたのしい列車」、JR九州は「D&S(デザイン&ストーリー)列車」と呼び、公式サイトで案内している。

  • 485系を改造した「きらきらうえつ」。ジョイフルトレインではなく、「のってたのしい列車」として案内された。2019年に引退。後継の観光列車はHB-E300系「海里」

ジョイフルトレインは団体専用の車両だったが、JR各社が現在運行する観光列車は、観光客向けの車両を使い、個別に指定席等を購入でき、週末運行など定期的で固定された運行があるという点で異なる。観光客向けの車両を団体で貸し切る場合もあるが、それをジョイフルトレインとは呼ばない。JR北海道が新たに導入した「はまなす編成」「ラベンダー編成」(キハ261系5000番代)も、団体での貸切列車よりも定期列車に組み込まれたり、観光列車に仕立てられたりすることが多い。

最後の「ジョイフルトレイン」は、2007年に誕生したE655系「和(なごみ)」かもしれない。お召し列車の後継車両として製造されたが、お召し用車両は1両だけ。普段はお召し用車両を外してツアーや団体での貸切列車に使用される。現在の上皇陛下のご意向として、「民間企業に天皇家専用車の負担をかけたくない」があったといい、ご意向を受けてJR東日本も「心理的なご負担にならないように」と配慮した。1両だけお召し用車両とし、他は市民が乗れる車両とした。

「和(なごみ)」が老朽化しても、後継となる車両はつくられ続けるかもしれない。しかし、その前に「ジョイフルトレイン」は死語になりそうだ。