生産人口の減少によって日本ではさまざまな課題が顕在化してきている。特に農業への影響は大きく、新規就農者の獲得は難しい。この課題にスマート農業で挑んでいるのが、長野県上田市だ。同市が取り組む「農業デジタル人材育成プロジェクト」について詳しく聞いてみよう。

  • 上田市の「農業デジタル人材育成プロジェクト」に関わる皆さん

農業デジタル人材育成プロジェクトとは?

農業の担い手が高齢化し、担い手の不足が大きな課題。

持続させるためには生産力向上と省力化が欠かせないが、上田市はこれらの課題に対し、スマート農業で活路を見いだそうとしている。それが「農業デジタル人材育成プロジェクト」だ。

例えば新規就農者は、栽培技術を学ぶとともに、農業における"勘"を備えなければならない。本プロジェクトは、新規就農者が迅速に技術を習得できるようにするため、スマート農業を活用する取り組みなのだ。

現在、JAの指導員の人数は約30名。野菜、米、花、果樹、キノコ、畜産などに対応できるという。上田市が先ごろ行ったデモンストレーションでは、その一例として「遠隔営農指導」「きゅうりAI選果」の様子が紹介された。

遠隔営農指導は、スマートセンシングによって環境データや、スマートグラスで映し出される映像などを用いて新規就農者の農業をサポートする取り組みとなる。指導員は現地に赴かずとも環境データから生育状況や農薬の効果などさまざまな情報を把握でき、新規就農者は映像で状況をリアルタイムに共有しつつ、具体的に質問し不安を解消できる。

  • スマートセンシングを実現するIoTセンサー。さまざまな環境データを取得できる

  • 新規就農者と指導者をリアルタイムにつなげ、農作物の状況を共有できるスマートグラス

  • デモでは実際にきゅうりの葉の様子を別の場所にいる指導員のノートPCに伝えていた

きゅうりAI選果は、その名の通り、AIを利用して正確な「きゅうりの等級分け」を行う技術。サイズや長さはもちろんのこと、出荷に適さない先細りや曲がり具合までAIがチェックし、きゅうりを選別してくれる。このAIには、上田市のベテラン農家の選果を学習させているという。

  • AIにきゅうりの選別を行わせ、AとBに分けていく「きゅうりAI選果」のデモ

  • 4隅に識別エリアを示す記号が描かれた紙の上に、選別したいきゅうりを乗せ、Webカメラで映す

  • AI選果を行った画面。きゅうりの形や大きさからランクが表示されている

この取り組みは、どのような経緯から生まれ、何を目指しているのか。上田市 農政部 農政課(以下、上田市役所)、信州うえだ農業協同組合(以下、JA信州うえだ)と新規就農を支援する信州うえだファーム、NTT東日本 長野支店(以下、NTT東日本)、そして農業支援を専門とするNTTアグリテクノロジーに話を伺ってみたい。

スマートセンシング、スマートグラス、AI支援を活用したスマート農業

上田市は、AI・IoTなどの先端技術を生かし、地域課題の解決に向けた取り組みを計画的進めるため、2020年度から2年間NTT東日本長野支店からデジタル人材社員の派遣を受け2021年度に「上田市スマートシティ化推進計画」を策定。農業分野において圃場の環境管理などNTTグループが実証事業のサポートに携わってきた。

このような経緯から計画されたのが「農業デジタル人材育成プロジェクト」だ。

具体的には、地域外の人材を受け入れ、地域の協力活動を行ってもらう「地域おこし協力隊」として新規就農希望者を募り、上田市やJA信州うえだ、NTT東日本およびNTTアグリテクノロジーが中心となってICTを用いた研修を行うという流れになる。自治体が最初から農業デジタル人材を育成していく事業は、全国的にも非常に珍しいようだ。

「狙いは、新規就農者の上田市への定住と定着、将来的な地域のスマート農業普及です。そして将来的にスマート農業の担い手となってもらうべく、いま研修を受けていただいています」(上田市農政課 松崎博史氏)。

  • 上田市 農政部 農政課 松崎博史氏

こうして2022年度より、実際にスマート農業を活用した研修が開始された。上田市には8名の新規就農者が来訪。スマートセンシング、スマートグラス、AI支援という3つの技術を使った農業デジタル人材育成がスタートしている。

「初めてNTT東日本グループさんからお話を伺ったときは、未来の農業を見ているようでした。いまはこういう技術もあるんだなと感心したことを覚えています」(上田市 農政部 農政課 巴山大梧氏)。

  • 上田市 農政部 農政課 巴山大梧氏

だが、どんな箇所で機器を利用し、どういった指導を行えば現場の負担を削減できるかを判断するのは難しい。そのユースケースを探ることが最初の課題になったという。それぞれの技術がもたらす効果と課題について伺ってみよう。

IoTセンサーを用いた「スマートセンシング」

ハウス内に取り付けられたIoTセンサーからは、気温、日射量、湿度、土壌水分量や土壌温度などさまざまな情報を得ることができ、インターネットに常時情報が配信されている。この技術がスマートセンシングだ。これを新規就農者と指導員が共有し、必要に応じて指導員がアドバイスをすることになる。

  • IoTセンサーからさまざまな環境情報を得られるスマートセンシング技術

  • スマートセンシングで得られた情報をノートPCから確認

「ベテラン農家さんは圃場に行けばすぐに温度や日射量などから水分量、肥料などの過不足に気付くと思いますが、新規就農者はまだそういった"勘"を備えていません。ですがIoTセンサーによってきちんとした数値を出すことで、経験が浅くても様子が判断できるようになると考えています。もちろん指導員も数値を確認でき、現地に行かずともある程度の判断が行え、異常値があればアラートを出すよう設定することも可能です」(NTT東日本 富松氏(NTTアグリテクノロジー業務支援担当))。

  • NTT東日本 富松亮太氏(NTTアグリテクノロジー業務支援担当)

JA信州うえだの坂口氏は、スマートセンシングの目的を大きく2つ挙げる。

「スマートセンシングの目的には、問題の発生の予察をして予防に努めるという使い方、データを蓄積し今後の指導の糧とするという2つの使い方があるでしょう。新規就農者はもちろん、ベテラン農家さんでも導入する価値があると感じています。ベテラン農家さんほど、数値からさまざまな判断が行えますから、自身の農業を効率化するためにも役立つと思います」(JA信州うえだ 坂口氏)。

  • JA信州うえだ 営農指導部 主任 坂口達哉氏

直接圃場に行かずとも指導できる「スマートグラス」

スマートグラスは、新規就農者と同じ視点を指導員が映像として共有し、音声で指導を受けたり、相談したりすることが可能。IoTセンサーからの情報では判断できない圃場や作物の状態をリアルタイムで伝えることが目的だ。

「スマートセンシングで得られる情報から分かることも多いのですが、それには、ハウス内の環境や定植からの経過、土壌の様子は目視で確認するのが大前提です。そのためにスマートグラスを使用します」(JA信州うえだ 坂口氏)。

  • スマートグラスできゅうりの葉を映している様子

一方で、スマートグラスを使用してもまだまだ伝えられる情報にも限界はあるとJA信州うえだの坂口氏は述べる。

「スマートグラス1本で要因まで絞っていくのもなかなか難しいところがあります。いまはまず巡回の中で農作物の様子を探る形から入っていきつつ、今後のやり方を関係機関で協力しながら模索していく段階にあります」(JA信州うえだ 坂口氏)。

ベテラン農家の技術を学習したAI選果

ベテラン農家の選果をAIに学習させ、選別を行うAI選果。いまのところ新規就農者が選果技術を学ぶために活用されているが、その活用の可能性は非常に広いという。

「農家の方はサイズだけでなく、曲がり具合なども統合して選果しています。そして、その基準は地域ごとに異なります。そこで『上田市で農業をされている方の選別基準』を学習させ、選果を平準化できます」(NTT東日本 富松氏(NTTアグリテクノロジー業務支援担当))。

また、だれがやっても同じ基準で作物の選別を行えるという点も大きなメリットだ。例えば新規就農者が農業の規模を拡大し、従業員を雇い入れるという段階になれば、農業を知らない人に選果を任せるという対応も可能だろう。

  • AIによってA、B、Cのランクに選別されたきゅうり

「選果は時間がかかるけれど単純作業なので、農業未経験のボランティアの方、障害を持つ方にも協力してもらえる機会を作れるのではないかと思っています。ゆくゆくは、このAI選果を児童の農業体験に活用したいと考えています。農業に触れてもらう機会を子どもへ提供し、そこから興味を持ってもらえたら嬉しいですね」(上田市役所 巴山氏)。

新規就農者はスマート農業をどう感じているか?

では、実際に新規就農者として上田市に来た方はどのように感じたのだろうか。新規就農者の一人として上田市で約4ケ月間にわたりスマート農業を行ってきた、地域おこし協力隊の大澤氏に聞いてみたい。

学習塾の講師として、千葉県で10年間働いていたという大澤氏。もともと農業に興味はあったものの、誘われて始めた前職をやめるにやめられず、これまで続けてきたそうだ。転職するタイミングを探っていたところ、上田市の地域おこし協力隊募集を知り応募したという。高校の部活でのサッカー合宿で、上田市と縁があったこともきっかけになったそうだ。

「農業への知識や経験もなく、すべてが初体験。圃場で目にしていることとデータを結びつけようとしても、初めは何が起こっているのかまったく判断できません。やってみることの難しさに直面して、関わり方を探っている状況ですね。それが苦労であり、楽しいところでもあります。ダイエットもできました(笑)。いま苦労していることを普通のこととして自分でできるように、きついことがあっても頑張って続けたいと思います」(地域おこし協力隊 大澤氏)。

  • 上田市農林部 農政課 地域おこし協力隊 大澤拓也氏

指導員と直接会って話す機会は少ないものの、2週間に一回ほどの頻度でスマートグラスを着けて指導を受けているという大澤氏。すでにスマート農業には非常に助けられていると話す。

「梅雨が明けたころ、キュウリがしおれ、全体がヘタってきたことがありました。指導員の方に見てもらったところ、暑さからの生理障害が原因でした。分かったのは、やはりICT機器と指導員の方々のおかげです。私は『これはつる枯れ病なんじゃないか、全部抜かないといけないのかも』と不安を抱えていたのですが、やはり相談できる相手がいることは非常にいいですよね。安心感があります」(地域おこし協力隊 大澤氏)。

  • ハウス内できゅうりのサイズをチェックする大澤氏

こういった新規就農者をサポートしているのが、JA信州うえだの子会社である、信州うえだファームだ。同社は地域の農業を守ることを目的に設立され、農作物の栽培、新規就農者の育成、耕作放棄地対策などを行っている。

「このたび、上田市の地域おこし協力隊の方を就農研修生として2名受け入れました。2年後の独立就農を目指し、栽培技術の提供を行っています。農業に関わる人たちの願いは農業従事者を増やすこと、そして農業で地域を盛り上げていくことです。今回のスマート農業には農業のハードルを下げるという意味もあり、興味を持つ人が増え、さらに農業がステータスになればいいなと思っています」(信州うえだファーム 藤崎氏)。

  • 信州うえだファーム 新規就農担当 藤崎望氏

農業を途絶えることなく持続させる

今回の取り組みでは新規就農者の育成に活用されているスマート農業だが、ゆくゆくはすべての農業従事者がその恩恵を受けられることが期待されている。

「新規就農者の皆さんには、ゆくゆくは地域に対してスマート農業を紹介していっていただければ嬉しいです。上田市には農家の後継者さんなどもたくさんいます。そういった方々にも紹介していければ、上田市の農業全体にとって良い効果が期待できるのではないでしょうか」(上田市農政課 巴山氏)。

「我々は、農家さんが効率化を推し進め、所得を上げていくことをサポートする立場です。いま直面している課題やニーズに迅速に対応できるよう。スマート農業が進化していってほしいですね。今後さらに現場の生産者に寄り添い、その声をよく聞き、関係各所とともにより良いスマート農業を構築できればと考えています」(JA信州うえだ 坂口氏)。

最後にNTT東日本 長野支店の岩月氏は、NTT東日本の取り組みと地域活性について、次のようにまとめた。

「農業デジタル人材育成プロジェクトは3年間という括りがありますけれども、最終的には農業を途絶えることなく持続させていくことを目的としています。今回は農業分野ですのでNTTアグリテクノロジーさんと協業しましたが、NTTグループにはさまざまな専門分野を持ったグループ会社があります。NTT東日本は、地域の皆さまの下支えとして、さまざまな分野、それぞれの課題解決に向けたお手伝いをしていきたいと考えています」(NTT東日本 岩月氏)。

  • NTT東日本 長野支店 地域ICT推進担当 担当課長 岩月滝男氏