「いつか自分の店を持ちたい」……そう思っていても何から始めればよいのかわからないもの。特に飲食店の場合、材料の仕入れや経験値を必要とするため、初心者にはとてもハードルが高い。そんな中、大人気のおにぎり店「ぼんご」ではそのノウハウを惜しみなく弟子たちに提供している。弟子とは? ノウハウを教えてしまっていいのか? 話を聞いた。

  • ぼんごで修行したおにぎり屋「山太郎」の樋山千恵さんが握ったおにぎり「麻薬たまご」と「明太マヨクリームチーズ」

常に3~4時間待ちの行列ができるおにぎり屋「ぼんご」

東京・大塚にある創業62年の老舗おにぎり屋「ぼんご」。近年、様々なメディアでも取り上げられ、TikTokでもその様子を投稿した動画がバズるなど、老若男女問わず大人気の店だ。その特徴は、作り置きはせず注文を受けてから目の前で握ること、そして常時50種類以上用意された具材から選べること。その美味しさが話題を呼び、時間・曜日を問わず常に3~4時間待ちの行列ができるという。

そんな「ぼんご」では、実は20年ほど前からおにぎり屋志望の人を「修業」として受け入れ、今では15店ほどの派生店が日本のみならず世界中に出店している。

一般的には「自分の店のノウハウを盗まれてしまうのでは?」「競合店になるのでは?」と躊躇しそうなものだが、「ぼんご」の女将・右近由美子さんは「おにぎりを広めたい」「世界中で『おにぎりといえば、ぼんご』と言われたい」という想いから、まったく意に介さないのだそう。そんな彼女のもとには、個人でおにぎり屋を始めたい人や海外で日本食の店を出したい人が集まる。中には「アフリカでおにぎり屋をやりたい」人もいるのだとか。

「ぼんご」での修業とは?

「ぼんご」に惹かれ、自らも「おにぎり屋を開きたい」と修業をした一人が、樋山千恵さんだ。

  • 樋山千恵さん、潤さん夫妻

「以前はビールメーカーで飲食店営業を経て商品開発・マーケティングなどを担当していました。結婚を機に退職し専業主婦になったのですが、夫と『いつか2人で飲食店を開きたいね』と日々話していたんです」(千恵さん)

夫の潤さんと、趣味の食べ歩きをするたびに「いつか自分たちが開くならどんな店にする?」と話していた千恵さん。業態は「食べ物の中で一番好きな、おにぎりと豚汁を出すお店にしたい」と考えていた。いつか……だったはずの夢の実現へのきっかけは突然訪れる。

「ある日、帰宅した夫が『半年後に会社を辞めることにしたから』って言ったんです。『いつか』とは話していたけれどその時が突然来たので私は驚きました。夫はずっと考えていて、タイミングが来たので退職を決意したそうです。そこで、急いで『ぼんご』で修業をすることにしました。今まで私が食べた中で一番美味しいおにぎりが『ぼんご』だったので、働かせてもらえれば店を開くにあたり学ぶことが多いと考え、決めました」(千恵さん)

千恵さんは「ぼんご」にメールを送信。しばらくすると女将・右近さんから「会いましょう」と返事が来た。千恵さんは右近さんに飲食店をやりたいと考えていること、そしておにぎりへの熱い想いを話した。話を聞いた右近さんは「いつからでもいらっしゃい!」と快く受け入れてくれた。そうして千恵さんは週5日「ぼんご」で修業を始める。

「後からわかったことなのですが、右近さんは誰でも受け入れるというわけではなく、フィーリングが合う人だけなのだそうです。おにぎりへの想いを熱く語ったのが良かったのでしょうか」(千恵さん)

  • ぼんごで修業中の千恵さん

修業中に「ぼんご」で千恵さんが行うことになったのは、主におにぎりの具材の仕込み。「ぼんご」では常時用意している50種以上の具材を絶対に切らさないことがモットー。そのため、毎日仕込むものや売り切れそうなものを見極め準備する必要がある。どんな店でも閉店間際なら売り切れの食材があってもよさそうなものだが、これは右近さんの「お客様の望みは全部叶えたい。お金儲け優先ではなく、お客さんが喜ぶことを最優先したい」想いから。つまり「売り切れたのでその具はありません」は絶対に許されないのだ。過去にはドキュメンタリー番組で「お客様の喜んでくれる顔が一番」と原価計算はせず、具の量も乗るだけたっぷり入れていることを明かしていた右近さん。

「おにぎりの作り方や仕込みの方法だけでなく、そういったお客様への姿勢・考え方も非常に勉強になりました。しかも、絶対に売り切れを出さないにも関わらず廃棄が常にゼロなんです。これは常に行列ができる『ぼんご』だからこそ。他の店では参考にならないかもしれません(笑)」(千恵さん)

「ぼんご」では客に提供するおにぎりは限られた人しか握ることが許されていない。おにぎり屋を開業することを目指していたのなら、その握り方も学べなければ意味がないのでは? と思うが、

「まかないは自分で握ったものを食べることができました。また、おにぎり教室を定休日に開いてくれたりして、握り方を学ぶ機会をたくさんいただきました。取材用の物撮りのためのおにぎりを握らせてくれたり、テイクアウト用のおにぎりを握らせてもらったりしたこともあります。チャンスをたくさんくれたことに感謝しています」(千恵さん)

さらに右近さんは具材の仕込み方や味噌汁の出汁の取り方など、ノウハウは聞けばなんでも教えてくれた。飲食店経営にあたり必要となる仕入れ先を紹介、さらに「千恵さんが店を開くからよろしくね」と自ら電話してくれたという。出店を決めた物件にもわざわざ休みの日に訪れ「ここなら大丈夫」と太鼓判を押し、「オープン日は手伝いに来るからね」と約束までしてくれたのだとか。右近さんはとことん面倒見が良いのだ。

  • おにぎり教室に参加した潤さんと「ぼんご」の女将・右近由美子さん

千恵さんの修業と並行し、潤さんも退職までの時間で定休日に開かれていた「ぼんご」のおにぎり教室に参加し、鍛錬を積んでいた。さらに会社を退職後は2人で不定期での間借り営業を行い、出店に向けた準備をしながら客のニーズを確かめ続けた。

そんな夫の潤さんは、少し変わった経歴を持つ。大学時代は早稲田大学のお笑いサークルに所属、大学3年生の時に出場したお笑いの大会をきっかけに松竹芸能からスカウトされ、そのままプロのお笑い芸人に。その独特の芸風からすぐに『あらびき団』『爆笑オンエアバトル』『エンタの神様』『爆笑レッドカーペット』など数々の人気番組に出演した。しかし6年ほど経った頃から徐々に芸風に自信が持てなくなり、コンビの解散・引退を決意。

「同期のうしろシティやさらば青春の光がどんどん人気が出てきた頃で。追い抜かれていく感覚があったことも大きかったです。そこそこテレビには出られていたけれど、番組ごとにウケる芸風を小手先で対応しているような信念のなさを実感していたこともあって限界を感じ、コンビを解散しました」(潤さん)

引退後は、ニューヨークへの語学留学、大学時代の先輩のいた会社での勤務などを経て、住宅関連の会社に入社。その会社で経理と人事などを担当するなど、セカンドキャリアは順調に思えたが……。

「仕事はとても充実していたのですが、人ではなく数字と向き合うことの多い経理や人事の仕事。『芸人時代のように、もっと人を楽しませたり喜ばせたりしたいのに』という想いがどうしても捨てきれなかったんです」(潤さん)

そして40代を前に「勝負する時だ」と、会社の退職と飲食店の開業を決意したのが今年の春。潤さん・千恵さんの店の開業資金は約800万円で、そのうち500万円は銀行からの借入れだ。一般的に未経験者には融資は厳しいものだが、「『ぼんご』で修業をした、という事実により信頼を勝ち取ることができたのは大きいですね」と2人は語る。

半年間の修業・間借り営業を経てついにオープン!

そしてついに潤さん・千恵さん夫婦の店「山太郎」がオープンした。

  • 東京都豊島区雑司ヶ谷にオープンした「山太郎」

「口にした瞬間に米がほぐれる」ふわっとした食感はまさに「ぼんご」譲り。具材はぼんごの定番具材の卵黄醬油漬けや明太マヨクリームチーズなどに加え、ヤンニョムチキン・スパイシィアヒポキなど独自のものを揃えた。

  • 「山太郎」のメニュー。具も「ぼんご」の定番から独自のものまでバラエティ豊か

さらに千恵さん得意の「豚汁」も定番メニューに。しっかりと出汁が取られ、具材がとろとろになるまで煮込まれた豚汁は、「この豚汁のためだけにまた来たい!」とすら思えるほど名物になる予感のする味。

  • 自慢の豚汁はおにぎりにぴったり

潤さん・千恵さん夫婦の店の目標は「地域から愛されるお店になること」。「ぼんご」でその魂を受け継ぎ、いわゆる飲食店の「ノウハウ」のみならず「お客様をおにぎりで喜ばせる」ことの神髄までを学んだ弟子たち。彼らの活躍は、女将・右近さんの夢でもある「おにぎりを通して人と人とのつながりを深めたい」を実現してくれるに違いない。

  • おにぎりを握る千恵さん