「因果応報」は簡単にいうと「自分の行いはすべて自分に返ってくる」という意味の四字熟語ですが、良い意味も悪い意味もあります。
この記事では、「因果応報」の基本的な意味や使い方について、わかりやすく解説します。ぜひ参考にしてみてください。
因果応報の意味と読み方とは
まずは「因果応報」の基本的な意味を見ていきましょう。
因果応報とは、人の良い行いには良い報い、悪い行いには悪い報いがあるという四字熟語
「因果応報」は、「どのような行いも自分に返ってくる」ことを意味します。特に「悪い行いをすると悪いことが起こる」という意味で使われる印象が強いですが、「どのような行いも等しく自分に返ってくる」という意味のため、良い行いをして良いことが起きたときも使うこともできます。
さて「因果応報」は「因果」と「応報」、2つの単語が組み合わさってできた言葉です。それぞれの意味も細かく見ていきましょう。
因果の意味は「原因と結果」
「因果」は「因縁と果報、報い」「原因と結果」といった意味を持ちます。「因果応報」と同じく、「何事も原因があってその報いがある」ということを表現するときに使います。
「因果」を用いた例として、「因果関係」という言葉もあります。「物事と物事との間に、原因と報いのつながりがある」ことを意味します。
応報の意味は「自らの行為に対して受ける報い」
「応報」は「応じる」と「報い」が合わさった言葉で、「原因に応じた報い」、つまり「自らの行為に対して受ける、相応の報い」を意味します。
「応報」を使った例で代表的なものは「応報刑主義」「応報的司法」などです。「応報刑主義」は「刑罰の本質は犯罪への報いである」という考え方のことをいいます。「応報的司法」は「犯罪は国家への違反行為であり、司法が刑罰の決定者である」とする考え方です。
因果応報の読み方は「いんがおうほう」
「因果応報」は「いんがおうほう」と読みます。
因果応報の由来は仏教用語
「因果応報」はもともとは仏教用語です。前世や過去の行いが現在に影響を及ぼすのだから、常に善行を積むように、という教えであったようです。人は死んでも生まれ変わる、という輪廻転生(りんねてんせい)の概念を持つ仏教ならではの言葉といえるでしょう。
因果応報の使い方
「因果応報」の使い方を、例文を参考に見てみましょう。「因果応報」は良い意味のときも悪い意味のときも使えるので、2つのパターンに分けて例文をご紹介します。
因果応報を良い意味で使った例文
「因果応報」を良い意味で使うと、次のような例文になります。
因果応報を信じて真面目に頑張っていたら、仕事で結果が出ました
頑張れば報われる、良い行いは良い結果となって返ってくるという意味の例文です。
あなたは入社当初から努力していたのだから、昇格したのも因果応報ですよ
昇格という結果を残した相手を称賛する例文です。相手の頑張りを見守っていたこと、認めていることが伝わるでしょう。頑張った相手を評価するときに使うとよさそうです。
因果応報を悪い意味で使った例文
「因果応報」を悪い意味で使うと、次のような例文になります。
昔、散々人の彼女を口説いてきたんだから、奥さんに浮気されたのも因果応報だよ
自分がやった悪い行いは悪い結果となって自分に返ってくる、という意味の例文です。相手が反省していないときに使うと効果があるかもしれません。
いつも人に仕事を押し付けてばかりだから、いざというときに助けてもらえないとは、まさに因果応報だ
こちらも普段の行いが悪かったために、いざというときに困った結果になっているのだと、戒める意味の例文です。
因果応報の類語
「因果応報」の類語表現についてまとめました。前述したように「因果応報」には良い意味と悪い意味があるので、類語に言い換えるときは意味の違いに気を付けましょう。
身から出た錆(さび)
悪い意味の「因果応報」の類語表現として、「身から出た錆」があります。
「結果の原因は自分にある」ということを表す、戦国時代からの古いことわざです。江戸のいろはかるたに採用されて、現在も広く使われている表現です。
自分で蒔いた(まいた)種
「自分で蒔いた種」も「因果応報」の類語表現です。「自分で蒔いた種は自分で刈れ(刈らねばならぬ)」ともいいます。「自分のしたことの始末は自分でする」という意味が転じて「自分のしたことは自分に返ってくる」という意味になったようです。
新約聖書の記述に由来があるとされており、英語では「You reap what you sow. 」「As you sow, so shall you reap.」と表現されています。「sow 」が「種を蒔く」、「reap」 が「刈る、収穫する」を意味します。
悪因悪果(あくいんあっか)
「悪因は必ず悪果をもたらす」ということをそのまま表現した、「悪因悪果」という言葉もあります。
善因善果(ぜんいんぜんか)
「悪因悪果」と反対に、「善因は善果をもたらす」といった意味の「善因善果」という言葉もあります。
自業自得との違い
「因果応報」とよく似た言葉に「自業自得」があります。実は「因果応報」も「自業自得」もどちらも仏教用語で、意味に大きな違いはありません。どちらも「善悪にかかわらず、自らの行いの報いを受けること」を意味しています。
「自業自得」にも、本来は良い意味もあるのですが、現在は悪い意味として使われることが多いようです。
因果応報の対義語
「因果応報」には類語表現は多数ありますが、ぴったり当てはまる対義語はないようです。
反対の意味を表現するとすれば、「良い行いに悪い結果が伴う」「悪いことをしたのに良い結果が返ってきた」といった文章や、あるいは「偶然の結果」「たまたま」などになるでしょう。
因果応報の英語表現
「因果応報」はもともと仏教用語ですが、その教えは万国共通のようです。英語でどのように表現するのか、前述の「You reap what you sow. 」「As you sow, so shall you reap.」以外にもいくつか例をご紹介します。
What comes around goes around.
直訳すると「出ていくものは戻ってくる」という意味になります。一般的に使われる言い回しで、ネット上ではそれぞれの頭文字をとって「WCAGA」と略して使うことがあるようです。
Chickens come home to roost.
「roost」は「ねぐら」を意味し、直訳すると「鳥はねぐらに帰ってくる」となります。前述の「What comes around goes around.」と意味はほぼ同じですが、より比喩的な表現といえるでしょう。
karmic payback
「karmic」は仏教用語の「カルマ(業、宿命)の」を意味する形容詞です。「payback」は「報復」「見返り」といった意味があり、直訳すると「カルマの報復」となります。文章の中で使うときは「因果応報の結果、起こったこと」についていうようです。
似たような表現で、「backlash(反動)」を組み合わせた「karmic backlash」も、「因果応報」と訳されます。
nemesis
「nemesis」は、ギリシャ神話の報復の女神「ネメシス」が転じて、「天罰」「避けられない罰」「歯が立たない敵」などの意味があります。
因果応報は良い意味にも悪い意味にも使えることわざ
「因果応報」の意味や使い方についてまとめました。
因果応報は悪い行いは悪い結果に、良い行いは良い結果につながるという意味の仏教用語です。自分の今の行いが将来の自分に影響するという戒めの言葉である一方、うまくいかないことがある場合も、原因を究明して行動を変えれば、望む結果や未来を手に入れられるかもしれません。
「これだけの努力をしたのだから因果応報だ」と、胸を張れるような結果につなげていきたいですね。