円谷プロの特撮テレビドラマ『ウルトラマン』(1966年・全39話)をベースに、まったく新しいストーリーとして映画化された『シン・ウルトラマン』が公開され、大きな反響を呼んでいる。
企画・脚本の庵野秀明氏、監督の樋口真嗣氏をはじめとした日本を代表する製作チームと豪華俳優陣によって作り上げられた本作。原点への回帰と同時に、55周年に相応しい進化を期待された新しい時代の「ウルトラマン」製作の裏側を、主演で神永新二を演じる斎藤工と、禍特対(カトクタイ)を率いる班長・田村君男役の西島秀俊に訊いた。
――オールアップの際に、西島さんが今回の撮影を「未来を感じる現場」と表現していたのが強く印象に残っていました。これは具体的にどういう思いを込めていたのでしょうか。
西島: それは映画の撮影形態、仕組みの部分です。通常あるシーンを撮影する際は、アングルを決めてから1台もしくは2台のカメラで撮っていきます。2台の役割の違いは寄りを撮るか、引きを撮るかです。シーンが進むにつれてアングルの変更もあるので、シーンは分割して撮影され、テイクを重ねていきます。
ですが今回の撮影では、カメラ1台1台の役割の違いがより大きく、独立していました。現場では最大で17台ほどのカメラがまわっていたのですが、それぞれのカメラマンが裁量をもって、自身が理想とするカットを狙って全テイク場所を変えて撮っていきます。撮影するシーンは、最初から最後まで。それを何度も繰り返してカットを蓄積していきます。そしてそれを樋口監督がまとめ上げていく。こうした作品の作り方は、これまで経験したことがないものでした。
シーンを通して撮影が行われるので、演じる側も最初は「あれ、まだ終わらないんだ」と戸惑うこともありました。ですが、完成したものを見ると、僕が脚本を読んで想像していた映画をはるかに超えるものになっていました。これは言葉でうまく表現できないのですが、圧倒される、まったく違うレベルのものでしたね。
斎藤: 頭からお尻まで何度も何度も撮影していく中で、みんなで見たことのないようなアングルを探していきました。「つながりの中で豊かな点を見つける」行為を繰り返していくうちに、特撮の現場というのは、もともとはこういう文法で作っていたんじゃないかなという気がしたんです。
『ウルトラマン』が作られた当時は、このアングルでしか撮れないという特撮特有の制約があったんじゃないか。それを最新のデバイスを導入したり、現場で新たに挑戦したりすることでアップデートしていく。監督陣がみんなその好奇心にあふれていて、討論議論にもなりました。でも、完成した作品を見て、みんな自分が見たいものを一貫して時間をかけて丁寧に切り取っていったんだなあと感じました。
現場ではiPhoneなどのデバイスも積極的に用いられています。『シン・ゴジラ』の時はiPhone6が出た時で、これはすごいぞ!と現場でもなったんですけれど、今回はちょうどiPhone11が発売されたころで、デバイスの進化と連動することを狙ったわけではないですが、最新を取り入れる柔軟性をもった現場でした。
樋口さんが通販サイトで当時のiPhoneにつける最新のレンズを頼んでいたのが昨日届いたから、撮影中にそれを使ってみようということになったりしたこともありました。そういう撮影だったので、現場のスタイルはこうでなきゃいけないということでもないんだなって。この組ならではの特性だと思うんですけれど、でもこれからの時代はこういうのがほかにもあっていいんじゃないかなと思いました。
――デバイスの進歩もありますが、VFXと特撮についてはどう思われますか。
斎藤: VFXでできてしまうことって増えていると思うんですけれど、全編VFXのすさまじい映像に僕自身は感情移入できなかったりすることもあるんです。映像体験としては豊かだとは思いますが、近年の作品や、世界的な作品でも、自分の中で映画としてカウントされていなかったりする作品もあります。
一方で特撮は、現場の創意工夫とそこに込めた製作者の意図を感じながら、作品に没入していくイメージがあって、それはVFXのみだと難しい気がするんです。一観客として見ると、やっぱり人間ってアナログなのかもしれません。出来上がったものからも「特撮の価値」と「メイドインジャパンの独自性」みたいなものは強く感じました。
――VFXではできない要素の一つとして、実際のロケ地やセットもかなり大がかりでしたね。
斎藤: 陸上自衛隊の戦車やヘリも含めて、乗り物系はほとんど本物でした。敷地に入るときにチェックがあったりして、もちろん普段は撮影ができない場所でした。VFXでも描けたのかもしれませんが、僕らも本物の中で表現することで、ポーズから本質になっていくような力がこの現場にはあったと思います。
西島: 『シン・ゴジラ』をはじめ、樋口さんや庵野さんがそれぞれ作ってきた作品を見て、ロケ地を提供してくださったのだと思うのですが、本当にこんなところで?と驚く場所ばかりでした。それは地下鉄の特殊な坑内であったり、都会のど真ん中で工事をしている場所であったり。普段は入ることができない場所でも撮影させていただきました。CGにするにしても、実際に存在するものを見に行ってから再現したそうです。それはほかの組ではちょっと実現できないことだと思います。
――一方で、ウルトラマンや禍威獣など実際には存在しないものを想像しながら演じるところは難しかったのではないでしょうか。
西島: 実はそこがものすごくおもしろかったところです。撮影にあたって、ここにこれくらいの大きさで、これくらいの質量のモノが、こんな動きをするということを想像するのですが、このイメージを俳優だけではなくスタッフ全員が共有して撮影するんです。ほかの作品でもイメージを共有していくことは当たり前なのですが、本作ではより明瞭にその作業をしていきました。これは、撮影の一番楽しい部分でしたね。
――斎藤さんは初めての変身で、かなり多くのカットを撮影されていた印象なのですが、ご自身のこだわりはあったのでしょうか。
斎藤: 僕の中にあるオリジナルの「ウルトラマン」の変身ポーズはありましたが、それぞれ監督陣の思いが強く、微妙に角度の違いで議論になることもありました。
西島: 全員違う(笑)。
斎藤: そうなんです。全員ちょっと違うので、それぞれのこだわりを突き合せた形に落ち着きました。
――みなさんそれぞれに相当強いこだわりをお持ちになっていそうですもんね。
西島: ものすごく強いですよ(笑)。
斎藤: 確かに、男子は今までに誰もが変身してきたでしょうからね。プロフェッショナルな人たちも、童心に帰りながらこだわり抜いてあのシーンを作っています。あの変身は僕の責任では撮れないので、みなさんとイメージをすり合わせていきました。
――禍特対は専門的な用語が多く、情報量の多いセリフをあれだけの速さで演じていくのは大変だったのではないでしょうか。
西島: 僕は現場に行って自衛隊の方と連携したり、あとは上層部や政治家とのやりとりが中心ですから、そういう意味では普通の現場監督なので、そこまで専門用語や特殊な知識を入れる必要はありませんでした。 ですが、科学者役の有岡大貴くんと早見あかりさんは大変だったと思います。ただセリフを入れるだけでなく、数式の意味を理解して演じる必要がありました。でも事前に準備をしっかりしていて、本読みの段階でサラッとできていたので、あれにはみんな焦ったと思います。
斎藤: びっくりしましたね。
西島: あ、これ(セリフが)入ってるって。すごく気合を入れて二人ともクランクインしていたと思うんですけど、その姿に現場では拍手が起きていました。
――現場では俳優陣とスタッフ陣のやりとりが非常に多い印象を受けました。
斎藤: いつも以上に俳優部と作り手の境界線が融合していました。時折僕たちもカメラを持たせてもらって撮影していました。全員が一緒に好奇心を持ちながらもロジカルに何かを作っていくという、その距離は近い感じはしました。
――その向かっていく先に、見据えていた、もしくは現場で共有していた目標みたいなものはあったのでしょうか。
西島: 明確に掲げていたわけではありませんが、オリジナルの「ウルトラマン」に対する尊敬の念と、それを継承するということだと思います。最初に作り上げられた「ウルトラマン」はすでに素晴らしいものなので、それは今回そのまま継承して、プラスもしかしたら当時頭の中にあったけれど、技術などの制約で実現できなかったものを現代の技術で作ろうという意思は感じました。
成田亨さんがデザインしたウルトラマンを実際にスクリーンに映し出すんだという意思。現実的な問題で、皺になったりしていたところをなくして本当に美しくシンプルなウルトラマンをこの世に生み出したい。そういう思いが共通意識としてあったんじゃないかと思います。
――お二人は、記憶に残っている「ウルトラマン」シリーズのエピソードはありますか?
斎藤: 私は後追いで見たんですけど、ジャミラの物語に衝撃を受けました。それまではウルトラマンが正義で怪獣が悪というシンプルな見方をしていたのですが、そうじゃないという。怪獣になった理由みたいなものがすごくリアルだと子どもながらに感じました。ウルトラマンも単純に正義というわけではなくて、ある種中立的な場所にいる一つの概念というふうに捉えるようになりました。
加えて、『ウルトラセブン』で、特に実相寺昭雄監督が手掛けたエピソードは今見てもすごいなと感じます。普通は一番のうま味になる戦闘シーンがあっという間に終わって、その前後の非常にビターなところをめちゃくちゃ変なアングルで描いたりしていて。
西島: 僕の子どものころは再放送が多かったのでよく見ていました。『帰ってきたウルトラマン』が特に好きだった記憶があります。怪獣が好きで、怪獣を見ると、あのエピソードだなと思い出します。大人になってからも見ていましたが、子どものころは特に熱中していて、怪獣カードをコンプリートして、データを熱心に覚えていました。
――作品を実際にご覧になって、共演者の方と感想のやりとりはありましたか?
斎藤: 観終わったあとは、ただただ圧倒されていました。個人的な反省などは役者の性分であったんですけれども、それを超える興奮というか、初めて映画館で映画を観た時に近い、いろんなものを凌駕するような興奮で言葉が出ませんでした。
不思議なことに見終わったあと自然と部署ごとに集まったんですけれど、みんなあまり言葉にしすぎず、いますごい体験をしたということを共有している、映画的には一番心地いい時間だったかもしれません。言葉にしすぎちゃうと、そういうものだと確定してしまうんですけど、そういうふうにできないというのが一番純度高く作品と向き合えたということなんじゃないかなって。言葉にならない、あの呆然唖然とした時間が、この作品を物語っているなと思いました。
西島: 冒頭で、もうこんなにピークみたいなところからスタートしてどうなるんだろうと思っていたら、もう後半もっとすごいことになります。映像のすごさに圧倒されて、見終わったあとに充実感と感動と、いろんな感情で呆然としてしまいました。
――あらためて、お二人から見どころを教えてください。
西島: ウルトラマンが禍威獣と戦うシーンはものすごい迫力で怒涛どとうの勢いで進むので、大人も子供もワクワクすると思います。それに加えて、その奥にある困難に直面したときに人はどのように人間性を保ちながら立ち向かうのかということも描かれていて、それは子どももなんとなく感じ取ってくれるのではないか。オリジナルももっていた特撮とドラマの部分のおもしろさ、テーマのおもしろさ素晴らしさが合わさっている作品なので、子どもから大人まで見ていただきたいです。
斎藤: 僕は子どもはいないんですけれど、劇場で親子でご覧になっている方も、子供と子供が一緒に観ているような姿に映りました。『シン・ウルトラマン』は、当時「ウルトラマン」を鋭い感覚をもって見ていた方たちが童心をもって作った作品です。だからこそ、見た後に言葉が出なくなるのは、当時見ていた”あの頃”に刺さっているからなんじゃないかなと思うんです。いずれ配信やDVDなどになるかもしれませんが、こればっかりは映画館で見るために作られた作品。これは声を大にして言いたいです。
(C)2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 (C)円谷プロ