自動車業界の大変革をクルマ好きたちはどんな気持ちで眺めているのだろうか。電動化も自動化も趣旨と理想は理解できるが、夢のクルマといえばやっぱりスーパーカーだという御仁もいらっしゃるのではなかろうか。今回は伝説的な名車である「ミウラ」「デ・トマゾ パンテーラ」「カウンタック」「356GTB ベルリネッタボクサー」の4台を一気に振り返りながら、スーパーカーの魅力に迫ってみたい。
「AUTOMOBILE COUNCIL 2022」(オートモビル カウンシル 2022、4月15日~4月17日に幕張メッセで開催)の会場中央には「スーパーカードリーム」なるコーナーが設置されており、クルマ好きにとって永遠のアイドルともいえる人気の4台を見ることができた。ランボルギーニ「カウンタックLP400」、同「ミウラP400」、フェラーリ「356GTB4 ベルリネッタボクサー」、デ・トマゾ「パンテーラ」だ。
いずれのマシンもレーシングカー譲りの進歩的なミドシップレイアウト、最新マルチシリンダーのハイパワーエンジン、有名カロッツェリアの手による美しいボディなどの魅力を備えていて、スピードに対する欲求、美的なものへの憧れ、時代の扉を開こうとする先進性が感じられる。これらのクルマが登場した1970年代には日本でも「スーパーカーブーム」が巻き起こり、大人も子供も熱狂したものだ。
これぞスーパーカー! 「カウンタックLP400 」
ザ・スーパーカー。そう呼べるのはやはりカウンタックだ。特に、空力的付加物を何も持たないLP400のデザインは「ピュア」の一言に尽きる。
フォルクスワーゲンの初代「ゴルフ」が実用車デサインに大きな影響を与えたのと同様、ベルトーネのチーフデザイナーだったマルチェロ・ガンティーニが作り上げたLP400の斬新なウェッジシェイプのモノフォルムは、ほかのミドエンジン・スポーツカーに多大な影響を及ぼした。 現代のランボルギーニのフラッグシップモデルである「アウェンタドール」でさえ同じフォームランゲージの延長線上にあるのだから、いかにタイムレスな造形だったかがよくわかる。
ジャンパオロ・ダラーラが主任設計者を務めた「ミウラ」がV型12気筒エンジンを横置きしたのに対し、もともとは彼のアシスタントだったパオロ・スタンツァーニがLP400のために選んだレイアウトは横置き。「LP」(Longitudinale Posteriore)はその搭載方法を、「400」は排気量が4.0Lであることを示している。
そのレイアウトは全くのところ特異だった。V12を前後逆にして車両最後端に搭載し、ギアボックスを前方に配置する手法を採ったのだ。フロントエンジン時代はフェラーリのネガを潰したような保守的メーカーだったランボルギーニを、先端的かつ挑戦的なイメージに変えたのがカウンタックだった。
ランボ初のミドエンジン! 「ミウラP400」
ランボルギーニ初のミドエンジンとして歴史に燦然と輝くのがミウラだ。トリプルチョーク・ウェバーを4連装した4.0LのV12をコクピット背後に横置きし、一体化したギアボックスをエンジンの下に配置している。 重量物を可能な限り車体中心に置き、運動性能を高める。レーシングカー設計者を志したものの、まだ果たせずにいた当時27歳のジャンパオロ・ダラーラが、己の理想を突き詰めて考えたのがミウラのレイアウトだった。
エンジニアリングの極みともいうべきメカニズムを内包するボディの美しさにも触れずにはいられない。架装を担当したのはカロッツェリア・ベルトーネ。原案のスケッチを書いたのは、当時のチーフデザイナーであるジョルジェット・ジウジアーロだ。彼はスケッチを書き上げて間もなくギアに移籍したのだが、彼の後任である若きマルチェロ・ガンディーニがデザインを仕上げたという。ウェッジシェイプ以前のエレンガントな曲線と流線形の融合は、1966年のデビューでありながら1970年代的モダニズムをたたえており、タイムレスな美が宿っている。
フェラーリのV12! 「356GTB4 ベルリネッタボクサー」
1960年代初頭から、「F1」(156)や「レーシング・プロトタイプ」(250/275LM)でミドエンジン作りの経験を十分に積んでいたマラネッロだったが、V12搭載市販車の登場は1972年まで待たねばならなかった。
フェラーリが満を持して投入した「ベルリネッタボクサー」(通称:BB)は、レオナルド・フィオラヴァンティ率いるピニンファリーナが手掛けた女神のように美しいボディ、当時のF1と同じ180度V12・4カムエンジンが発する380psの大パワー、そして公称302km/hという最高時速など幾多の魅力を備えていて、一気にスターダムを駆け上がった。サンターガタ・ボロネーゼの宿敵(ランボルギーニ)がミウラをデビューさせた6年後、カウンタックがデビューする2年前のことである。
ミウラが4.0LのV12を横置きしたのに対し、BBの4.4Lはセオリー通りの縦置き。エンジン全高が抑えられる180度V型の利をいかし、5MTをクランクケース下に一体化する基本構造は似ていた。
BB、ミウラ、カウンタックの3強がエキゾチックスポーツカーの性能を飛躍的に高め、スーパーカーブームを強力に牽引していったことは間違いない。
異例の大ヒット! デ・トマゾ「パンテーラ」
コクピット背後に搭載するエンジンはアメリカンV8ではあるが、パンテーラもスーパーカーを語る上で外せない存在だ。例えば「ACコブラ」を「アングロ-アメリカン」と呼ぶならば、こちらは「イタリアン-アメリカン」と称すべきクルマである。
映画『フォード対フェラーリ』でも描かれているように、1960年代半ばのアメリカの巨人フォードは保守的で古臭いイメージを払拭することに躍起となっていた。フェラーリ買収に失敗した彼らは「GT40」でル・マンを制覇して一矢を報いるが、生産車で跳ね馬を打ち負かす夢は未完のまま。そこに取り入ったのがアレッサンドロ・デ・トマゾである。
チャーミングなミドエンジン2シーターボディをデザインしたのはカロッツェリア・ギアに所属していたトム・チャーダ。量産することも想定し、エンジンは安価な5.8Lのプッシュロッド式V8を選択した。
販売価格をライバル達の約半分に抑えたことも奏功し、デ・トマゾの狙いは的中。フォードの販売網を通じて全米で販売したこともあり、この手のモデルとしては異例のヒット作となった。1971年の発売から1993年の生産終了まで、23年も生き続けたスーパーカーはほかに存在しない。