今や11月11日といえば「ポッキー&プリッツの日」として広く知られている。今年もSNSなどは大いに賑わったようで、当日は多くの人がポッキーやプリッツを楽しんだ様子が見て取れた。

実はポッキーは先日、「チョコレートコーティングされたビスケットブランドの世界売上No.1」として、2年連続でギネス世界記録に認定されたばかりでもある。

今年で誕生から55年が経つが、今なお新たな話題を生み続けられる秘訣はどこにあるのか。今回は、そのブランディング戦略などについて、江崎グリコでポッキーのマーケティングを担当する槌田智子さんに話を聞いた。

1966年、ポッキー誕生の知られざる舞台裏

まずはポッキー誕生の歴史から簡単に振り返ろう。ポッキーは1966年に、世界初のスティック状チョコレートとして誕生した。まだ「チョコレート=板チョコ」が一般的な時代にあって、ポッキーの登場はセンセーショナルだったようだ。

画期的だったのは、プレッツェルに、チョコレートがコーティングされていない“持ち手”部分を設けたこと。手を汚さず、気軽に楽しめるお菓子として人気を集めたポッキーだが、持ち手のついたお菓子は、当時の日本ではかなり珍しかったという。

「もともとは『プリッツにチョコレートをコーティングする』というアイデアから始まったポッキーですが、プリッツ全体にチョコレートをかけてしまうと、食べるときにどうしても手が汚れてしまいますよね。ですから、最初は一本ずつ銀紙で巻くことも検討しました。そんな中で、開発チームのひとりが『一部だけチョコレートを塗らなければいいんじゃないか』と提案したことで、今のポッキーになったんです」

もちろん、チョコレートのコーティング方法にもさまざまな計算やこだわりが詰まっているが、コーティングの過程は完全なる企業秘密。社内でもごく限られた一部の人しか見ることもできない、トップシークレットのひとつだという。

時代に合わせて変化を続けたポッキーの歴史

関西から全国へと人気が広まると、70年代には「アーモンドポッキー」や「いちごのポッキー」など、味のバリエーションを拡大。同時に、オケージョンを兼ねた提案にも着手し始めた。「ポッキー・オン・ザ・ロック」や「旅にポッキー」がそれだ。

「『ポッキー・オン・ザ・ロック』は、氷の入ったグラスにポッキーを入れて楽しむ食べ方ですが、もともとお洒落なバーで、ポッキーがマドラー代わりに使われていたことに着目して、『お酒にポッキーっていいな』と思って打ち出しました。『旅にポッキー』は、当時女子大生たちの間で国内旅行ブームが起きていたことに目をつけ、“旅のお供として食べやすいポッキーを”とキャンペーンを展開したんです」

こうしたキャンペーンによって、それまで「子どものお菓子」というイメージの強いポッキーだったが、お酒を嗜む大人や大学生にまで広がっていったのである。

「80年代後半からは、ポッキーに大粒のトッピングがついた『アーモンドクラッシュポッキー』など、高級感のある商品の発売も開始しました。バブル期のムードに合わせて、高付加価値を意識した商品を展開し、『ちょっと高くても美味しいものを楽しみたい』という需要に応えていったんです」

90年代には、コンビニエンスストアの進出が全国へ急拡大。この流れに乗り、ポッキーもさらなる多様化に注力し、「つぶつぶいちごポッキー」や「マーブルポッキー」「ココナッツポッキー」「冬のくちどけポッキー」など、さまざまなヒット商品を売り出している。

「多様化については、すでにご家庭ではポッキーも浸透した頃だったので、今度はご当地の『地域限定ポッキー』の販売も始めました。『夕張メロン味』『信州巨峰味』『日向の夏みかん味』などですね」

2000年代には、華やかなデコレーションで彩られたポッキーが消費者の購買意欲をそそった。生産が追いつかないほど大ブームとなった「ムースポッキー」や、チョコレートの上からさらに別のチョコレートをデコレーションした「ポッキーデコレ」などである。

「華やかなポッキーを出す一方で、もう一度ベーシックなポッキーに立ち戻る必要もありました。いろんな商品が一巡したタイミングでもあったので、2006年には今も定番となっている『ポッキー<極細>』を発売し、軽快な食感でしっかりとチョコも味わえる定番商品として開発したんです」

時代の変化に合わせ、バラエティに富んだ商品を意欲的に開発し続ける江崎グリコ。そんなチャレンジングな取り組みが続けられるのも、常に中心には“赤箱”の王道ポッキーという大看板が立っているという安心感があってこそなのだ。

世界で広げる「シェアハピネス」の価値観

海外での展開についても触れておこう。

1966年に誕生したポッキーだが、1970年にはタイに初の現地法人を設立するなど、早くも海外展開に着手。ここを足がかりに、インドネシアなどのアジア諸国へポッキーの販売をスタートさせていく。

1982年にはフランスへ進出し、「MIKADO(ミカド)」として販売を開始。ちなみに「MIKADO」とは、ランダムに積み重なった竹ひご状の棒を、山を崩さないように1本ずつ取り除いて指先の器用さを競う、フランスで親しまれているゲーム名に由来する。今でもポッキーは、ヨーロッパで「MIKADO」という名前で広く楽しまれている。

また、国や地域ごとにいろんなフレーバーのポッキーを開発した。例えばアメリカでは国民的に親しまれている「クッキー&クリーム」味を開発し、中国などではピーチ味が人気なのだという。また、タイのような常夏の国ではチョコレートが溶けてしまうので、特別に溶けないようチョコレートにも工夫を施しているそうだ。

「2010年代には『シェアハピネス』を掲げ、ポッキーを分かち合うっていいね、という方向でブランディングしようと舵を切りました。ポッキーも世界共通で愛されるブランドになったので、ヨーロッパの『ミカド』以外の名前はすべてポッキーに統一し、『シェアハピネス』というブランドメッセージを世界に広げようと力を入れています」

その甲斐もあって、2020年、そして2021年と、2年連続で「チョコレートコーティングされたビスケットブランドの世界売上No.1(※)」としてギネス世界記録に認定。ますます勢いに乗ったまま、2020年代という新たな10年を歩んでいる。

※ギネス世界記録の記録名は「最大のチョコレートコーティングされたビスケットブランド」(最新年間売上 2020年)、国際市場調査のデータ分類上、クリームでコーティングされたビスケットも含まれる。今回の記録にヨーロッパで販売する「MIKADO」は含まない。 

マーケティング担当者たちの陰の努力

もちろん、これまで売上に停滞期がなかったわけではない。時代の変化に合わせてさまざまな商品やプロモーションを柔軟に提案してきたことで、ポッキーは常に進化と変化を続けてきた。それを裏で支えているのが、槌田さんたちマーケティングチームである。

「私たちは、市場動向を踏まえたコンセプトでポッキーのリニューアルの方向性などを考え、製造担当のメンバーたちとともに、新しいアイデアの実現性や受容性を確認してから商品をリニューアルしたり、お得意様に納品するという作業を担っています。

また、商品開発に付随するプロモーション、例えば『今年のポッキー&プリッツの日は、SNSでこういうことしよう』という企画を立案し、実施することもあります。グリコはマーケティングの領域が広いので、新商品を作るのもそうですし、しっかり売れるように作り込んでいくのもマーケティング担当のメンバーの仕事ですね」

トレンドの波に乗り遅れることがないよう、日々のこまめな努力も欠かさない。

「特に、ポッキーブランドのウォッチングは欠かしません。エゴサーチに近い感覚で、ポッキーがお客様にどう扱われているかを確認しています。そうしていると、『こんな面白いところでポッキーが使われている』という発見もあるので、次の企画のネタ探しにも役立ちます」

創意工夫を凝らし、ブランドを成長させ続けるマーケティングチームだが、その高い熱量はどこから生まれるのか。最後に、若手ビジネスパーソンへ向けてアドバイスをいただいた。

「私は入社してかれこれ7年目で、これまでいろんな製品を担当してきました。そこで思ったのは、好きなことを仕事にするのももちろんいいのですが、それだけが正解ではないということ。仕事のなかで好きなものを見つけ、そこに自分の本来好きなものを組み合わせていくことで、こだわりの強い、いいアイデアや商品が生まれていくように感じているんです。OJTでも後輩に伝えていることですが、ぜひ、仕事のなかに、自分の“好き”を取り込んでドッキングしてみてください。

そして、ぜひ、ポッキーを食べていただけたらうれしいです(笑)。今はコロナ禍で、なかなかポッキーを一緒に食べて『シェアハピネス』するのは難しいかもしれませんが、ぜひ自宅で食べてもらえたらありがたいです」