木月:それにしても、2015年から『有吉の壁』を始めている先見の明がすごいと思うんですよね。ちゃんと5年間特番をやって、スタッフと演者さんの関係性が出来上がってからレギュラーにするという。他局が一朝一夕で真似できるはずがない。特にあの時代のテレビは、お笑い大逆風だったじゃないですか。
樅野:どうやったらお笑いの企画が通るのかって、みんな考えてましたもんね。情報性のある番組っぽく見せてコントとかできないかなとか、いろいろ考えましたよ。
ラリータ:『脱力タイムズ』を始めたのも2015年だから、そういう時代でしたね。
木月:あの時代にどうやって始めたんですか?
ラリータ:樅野さんがおっしゃったように、「情報性」を入り口にするっていうやり方でした。有田さんがニュースキャスターのキャラになってやっていくというのが軸になっているだけで、あとはそれをスライドしてボケるっていう形。最初は編成の狩野(雄太)さんが持ってきた企画があって、それはニッチなニュースを取りまとめて紹介する、みたいな内容だったんですよ。面白いなと思ったんですけど、ネタの埋蔵量が気になって。だったら「衝撃映像」とかにして、そこから話をずらそうという形はすぐに思いついたんですけど、今度はパッケージが浮かばなくて。どういう形があるかな…といろいろ考えてるときに神原(孝チーフプロデューサー)さんが「報道番組はどう?」って言ってくれたんですよ。それで自分の中でパパパっと問題点が解決して、有田さんとは仕事したことなかったんですけど絶対合うと思って、「有田さんとやってみたい」って言ったんです。神原さんとTBSの緑山スタジオに行って、「特番をこれでやらせてください」って言ったんだけど、1回も顔見てくれなかった(笑)。「あれは傷つきました」って今もその話をしますけど…でも最後だけ僕の目を見て、有田さんは「これ面白くなりますよ」と言ったんです。それだからか、2回目からもうレギュラーでしたね。
――そこから有田さんは、どのように演出まで関わっていくようになるのですか?
ラリータ:最初は「報道のパッケージで衝撃映像っぽいのを出します」ということで、周りをだまして(笑)、企画を通すことは成功したんですよ。そこから、気づかない間にフリになってて、いつの間にかボケてるみたいな感覚を、全部台本にしてどんどん混ぜ込んでいったんです。それで何回か収録していくうちに、有田さんが「衝撃映像ってどこでもあるから、いらなくない?」と言って。たしかにコントとはまた違うウソの世界を作るには邪魔だなと思ってやめてみたんですよ。そしたらだんだんしっくり来るようになって、有田さんから「ちょっと一緒に作ろうか」ってなってきたんです。始まって半年経ってからですね。でも、一緒に作り始めて最初は、世帯(視聴率)で2%とか出ましたよ。「やっぱダメかー」って頭抱えましたもん。
木月:面白すぎたんですかね? 面白すぎると、お客さんが付いてこない感じってあるじゃないですか。
ラリータ:でも、そこから有田さんに火がついたような気がしましたね。『有田P おもてなす』(NHK)での有田さんもすごいですよね。
樅野:おもてなすアイデアを打ち合わせで有田さんに持っていくじゃないですか。でも、もちろん有田さんのほうが面白いから、そのアイデアを凌駕されて毎回ヘコんで帰るんですよ。NHKの三木真吾(プロデューサー)は学生時代からものすごいお笑い好きで意気込んでたんですけど、有田さんの打ち合わせに出たら「ただのお笑い好きで、戦えないことが分かりました。全然入っていけない…」ってものすごくヘコんでました(笑)
木月:『放送禁止』や『世界で一番怖い答え』をやったときに有田さんと向き合った感じで言うと、すごく理系的な考え方をされる印象でした。フリがあってどう裏切るかというのは、ちゃんと論理がつながってないといけないから、それをすごく綿密にやられてる感じがします。
樅野:緻密でありながら、速いんですよ。
ラリータ:『脱力』でも作家さんとディレクターで考えた案を持っていくと一瞬のスピードで面白くしてくれます。この前なんて目をつむってブツブツ言ってるな、と思ったら10秒ぐらいでアイデアを僕に伝えてきて。何より笑いのロジックの理由が明確なんですよ。不安な部分を「ここで補おうとしてるんですけど」って言うんだけど、その欠点も指摘されて、グーの音も出なくなって(笑)。そこまでのスピードが、とにかく速いんですよ。
樅野:しかも、ダメなところを丁寧に教えてくれるんです。「想像してごらん? こう言われても困らないよね? それはムチャ振りになってないじゃん。俺だったら『はい、分かりました』って言うだけだもん」ってちゃんと教えてくれる。
ラリータ:あと、定型のものは壊そう、壊そうとしますよね。テレビのディレクターって、フリがあってボケがあってツッコミがあるみたいなのをなるべくコンパクトにしようとするじゃないですか。そのほうがテンポよくて尺も短くなるから。でも、そういうフォーマットにした瞬間に怒られるんです(笑)。『脱力』でそういう編集をやめたり、今までだと切るようなところをあえて使ったりするのは、有田さんの影響ですね。
木月:最初のフリの回収が、忘れた頃にストンとくるとかありますもんね。
ラリータ:それをやらないのって、途中で見なくなっちゃったり、最初から見てない人がいるかもしれないからじゃないですか。でも、最初から見てくれる人が最後まで待ってくれるようになったから、すごくありがたいなと思います。
木月:見てる側も「こう見るんだ!」って見方が分かるようになってきたんですよね。そこまで視聴者のみなさんが付いてきてくれるようになるまで、どれくらいかかったんですか?
ラリータ:めちゃめちゃかかりましたね。始まって2年半くらいで滝沢(カレン)さんのコーナー(※2)ができて、それでテレビ好きな人が沸いてくれて、その後になるから、3年くらいはかかってると思います。だから、終わらさずにいてくれたフジテレビもすごいと思います。
(※2)「THE 美食遺産」…滝沢カレンがナレーションを務めるグルメ紹介コーナー。読み間違えたり噛んだりしても録り直さないことや、調理工程の独特すぎる表現に、ゲストの芸人がひたすらツッコミを入れる。
■アンタッチャブル復活「絶対事前に出さないほうがいい」
樅野:有田さんには、「絶対仕込むな。ドキュメントに勝る面白いものはないんだから」とも言われますよね。
ラリータ:だから、『脱力』のアンタッチャブルさん復活のときも、「ドキュメントとしてやらないと」と言われました。作家さんにも言わず、担当ディレクターには当日、本番が始まる前に言ったんです。出演者はもちろん、どのスタッフも知らない中で収録したんですが、その後がすごいんです。事前にこれを告知するかしないかを考えてるときに、有田さんは「絶対出さないほうがいい。話題になるのは間違いないから」とおっしゃって、関係者みんなに誰にも言わないようにお願いしたら、みんなそれを守ってくれたんですよね。収録から放送まで1カ月くらいあったんですけど、どこからも情報が漏れなかった。それは、有田さんが旗を振ってるのをみんな感じたというのがありますね。
――事前告知をしないというのは、粋でしたよね。
ラリータ:今は難しいですからね。「サプライズゲストが出ます」って予告してしまうと驚きがない。そうやって見てる人が上手になってきてる中でどうやってやるのか。
木月:それにしても、あのアンタッチャブルさん復活はフリが効いてましたよね。柴田(英嗣)さんの相方で違う人が出てくるっていうパターンを何度もやってきてきたからこその。
ラリータ:有田さんからその年の夏、急に連絡があって「『脱力』でやりたいんだけど」と言ってくれたんですけど、最初は「うちでいいのか?」と思いましたよ(笑)
――木月さんがやってる『今夜はナゾトレ』での有田さんは、どんな感じなんですか?
木月:あの番組だと、完全にプレイヤーという感じのスタンスでやられてるから、こっちから「これを考えてください」っていうことはないんですよ。でも、本当に熱心にやってくれるので、本物の熱が出てすごいなと思います。
ラリータ:『ナゾトレ』は普通に楽しみに行ってますよね。よく『ナゾトレ』前に『脱力』の打ち合わせを入れさせてもらうんですけど、出場メンバーを見ながら、本当に楽しみにされてますもん。逆に『脱力』は一緒に作るから、「つらい」みたいな顔をされます(笑)
樅野:有田さんは芸人時代も『笑いの金メダル』(ABCテレビ)などでお世話になって、最初の作家としてのテレビの入り口も『くりぃむナントカ』(テレビ朝日)だったんです。
――樅野さんは10月から『くりぃむナンタラ』(テレビ朝日)もご担当されてますよね。
樅野:はい、『くりぃむナントカ』からずっと一緒のチームです。北本かつら、町田裕章、樅野という同い年3人組で(笑)
木月:テレ朝さんは番組が強くなって戻ってくる恐ろしさがあるんですよね。一度なくなった『帰れま10』が一度夕方に行って『帰れマンデー(見っけ隊!!)』になって強力になってゴールデンにまた戻ってくるんですよ。
樅野:『しくじり先生(俺みたいになるな!!)』も1回終わって、また戻りましたからね。『ナニコレ珍百景』もそうだし。
ラリータ:柔軟すぎて面白いですよね。『(爆笑問題&霜降り明星の)シンパイ賞!!』も終わったけど、残念がる声がすごく多いから、また戻ってくるのかなって思いますよね。