2021年は『仮面ライダー』(1971年)が誕生してから50年という節目を迎えたアニバーサリーイヤーである。現在放送中の『仮面ライダーセイバー』(2020年)の“原点”というべき第1作『仮面ライダー』は、「怪奇アクションドラマ」というコンセプトが貫かれ、人間を襲うショッカー怪人の不気味な存在感と、それに対抗するヒーロー・仮面ライダーのスピーディかつパワフルな超人的アクションが大きな魅力となった。

  • 藤岡弘、(ふじおか・ひろし、)。俳優・武道家。1946年生まれ、愛媛県出身。1964年に劇団NLT俳優養成所に入所。1965年に松竹映画ニューフェイスとして『アンコ椿は恋の花』で俳優デビュー。1973年の東宝映画『日本沈没』、1977年のテレビドラマ『特捜最前線』など代表作多数。1984年のアメリカ映画『SFソードキル』で主演を務め、国際俳優となる。日清「UFO」やソフトバンクなど、CMでも存在感を発揮。さらに、世界各地の紛争地帯や被災地などへの救援ボランティアとして精力的に活動する。撮影:大塚素久(SYASYA)

自ら仮面ライダーのスーツを身に着け、ハードなアクションにも挑戦した藤岡弘、(仮面ライダー1号/本郷猛)は、第9、10話の撮影中、不慮の事故により重傷を負い、一時降板を余儀なくされてしまう。第14話以降、佐々木剛演じる仮面ライダー2号/一文字隼人が藤岡の穴を埋めると同時に、番組の人気をさらに高めていき、やがて怪我の治った藤岡は第40話で念願の復帰を果たす。

その後も「一文字隼人のピンチを救うためヨーロッパから帰還した本郷猛」という設定で数回のゲスト出演を行ったのち、第53話からはふたたび本郷が日本の守りにつくこととなった。放送開始から1年後、主役への完全復帰を果たした藤岡は、野性的な魅力を増したアクション俳優として子どもから大人まで幅広い層からの支持を受け、やがて数々のテレビドラマ、映画で活躍する大スターへの道を歩んでいく。

本稿では仮面ライダー生誕50周年を祝い、仮面ライダー1号/本郷猛を演じた藤岡弘、がインタビューに登場。俳優・武道家として気迫に満ちた姿勢を常に崩さない藤岡だが、最近は長女・天翔愛や長男・藤岡真威人たちと一緒に芸能一家としてテレビ出演するなど、よき父親の一面も見せている。そんな藤岡に『仮面ライダー』の時代をふりかえって、危険なアクションに挑戦していたときの心境や、信頼できる仲間たちと作り上げた珠玉の映像についての感想、そしてさまざまな経験を重ねてきた今、次の世代へ伝えたい“大切な想い”を聞いた。

――先日、バラエティ番組の1コーナーに藤岡真威人さんが出演されたとき、ワイヤーアクションに挑戦するという企画で、仮面ライダーを思わせるシャープな飛び蹴りを披露していたのを拝見しました。ああいう姿を見ますと、やはり藤岡さんの遺伝子がしっかりと受け継がれているなと思いました。

あれにはビックリしましたね。真威人が後で私に「ああいうことをずっとお父さんがやっていたんだね。同じことをやってみて、初めて大変さがわかった」と話してくれたんです。いやあ、感動しましたね。いっそう私のことを身近に感じてもらえたんじゃないかな。

――真威人さんはいま17歳とのことですが、CMモデルとして注目を集め始めたころの20代前半の藤岡さんに雰囲気が似てこられましたね。

『仮面ライダー』に出る前、私は男性化粧品「シェブロン」のCMに出ていたことがありました。確かに、あのころの自分と今の真威人は、目のあたりなんてそっくりだなあ(笑)。

――やはり、真威人さんにも幼いころから武道を教えられていたのでしょうか。

まだ小さいときから稽古はつけていましたよ。一時期はずっと柔道を教えていたんだけど、学業との両立が難しくなってきて、今は少しお休みをしています。でも、時間が出来たらまた真剣に柔道を習いたいって、真威人だけでなく娘たちもみんな言ってますね。そういう姿勢を見ると、この子たちはしっかりと私の血を引いているなって、嬉しく思いますよ。真威人は剣を振らせてみても、とても筋がいい。美しい剣さばきを見せるんです。

――『仮面ライダー』で藤岡さんは、何度も危険なアクションに挑んでいましたが、特に印象的なものがあったら教えてください。

うーん、いろいろなことがありすぎて、とてもじゃないけど絞りきれないな……。大阪で万博公園の階段をバイクに乗って駆け上ったこと(第7話)は、今でも鮮烈な記憶として残っていますね。あとは六甲山ロケ(第71話)のとき、ロープウェイに命綱なしでしがみついたこと。あれは今思い出してもゾッとします。若さゆえの挑戦でしたね。危険なのかどうか、考える前にやるしかない!と思っていました。俺がやらなきゃ何も始まらない、そんな風に自分を追い込んでから撮影に臨んでいましたね。

もっと後になって「リアルゴールド」のCM(1982年)に出たときは、ヘリコプターの脚につかまったことがありました。もちろん命綱はなく、そのまま空中を飛んでから、船の上に飛び降りるんです。我ながら、あれはうまくいったなと思いましたよ。

――まさに、リアルゴールドのキャッチコピー「スパークする役者バカ」そのままの精神で、いい映像を作るためには危険を惜しまない姿勢がすごいです。

武道家としての心がけでもあります。どんなことでも絶対にやり抜くという決意ですね。決意や覚悟が、武道の大きな力。そのように信念を持って取り組んでいるわけです。大事なのは、気をゆるめないこと。全身全霊、体じゅうから殺気を放ってね。自分を追い込んでいく。そういう心がまえを持つことが、あの当時は当たり前だったんです。