「天文学の父」との異名を持つガリレオ・ガリレイは、生涯を通してさまざまな研究・実験に打ち込んでおり、現代でも多くの人に知られている偉人の一人と言えます。

本記事ではガリレオ・ガリレイとは具体的に何をした人なのか、地動説と天動説の詳細や、実験内容、生い立ちなどをわかりやすく解説。「それでも地球は動いている」など、彼が残した名言もまとめました。きっとビジネス場面でのヒントとなる考えが見つかるはずです。

  • ガリレオ・ガリレイとは?

    あらゆる分野の学問を研究し、多大な発見を残してきたガリレオについて紹介します

ガリレオ・ガリレイとは何した人? 簡単に解説

まず、ガリレオ・ガリレイがいったいどんな人物なのかをご紹介していきます。

「天文学の父」と呼ばれるガリレオ・ガリレイ

ガリレオ・ガリレイは、天文学について数多くの研究を行ったことから「天文学の父」と呼ばれています。

ガリレオのしたことの中で最も有名だといわれているのが、地動説の提唱です。天体の動きを調べる中で、当時の標準的な宇宙観であった「天動説」ではなく、地動説が正しいと主張しました。

「宇宙の構造」から「物の運動」まで実験

ガリレオの研究は天文学だけにとどまりません。物の運動の実験も自ら手掛けており、有名なものとして「パリのピサの斜塔から物を落として調べた運動に関する実験」があります。

このようにガリレオは、あらゆる分野の実験・研究を一生かけて行い、さまざまな新しい事実・発見を世の中に伝えていきました。

ガリレオ・ガリレイの生い立ち

ガリレオ・ガリレイはイタリアのピサ出身の天文学者、自然学者です。

陥落しつつあったフィレンツェの貴族出身である父のもとに、7人兄弟の長男として生まれ、10歳のときには一家でフィレンツェに渡ります。

幼少期は修道院付属学校にて古典語学などを学び、医者を志してピサ大学に入学しました。その後、力学や数学などに興味を抱き、数々の研究に没頭していきます。

ガリレオ・ガリレイの地動説とは

ここでは、ガリレオ・ガリレイの考えの中でも有名な、地動説について説明していきます。

当時の常識は「天動説」

当時の当たり前として信じられてきた説は「天体が地球の周りを回っている」という「天動説」の考えでした。しかしガリレオは、その常識を「当然」として受け入れることなく、自ら観測・研究をして地動説にたどり着きました。

ガリレオ・ガリレイより以前にも、地動説はコペルニクスという人物が提唱して注目を集めました。それ以降地動説を裏付ける証拠がなく、受け入れられていませんでした。

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望遠鏡で天体を観測し、木星の衛星などを発見することで確信

ガリレオは地動説を、望遠鏡を通して発見しました。当時オランダで望遠鏡が発明されたという情報を耳にして、すぐに望遠鏡を製作し天体を観測しました。

そのときに「月に凸凹がある」「木星の周りを回る4つの衛星」「金星の満ち欠け」などを発見しました。

特に木星の周りを回る4つの衛星の存在は「地球を中心に回っていない天体がある」ということを示した点において、天動説に疑問符をつけるに値した発見と言えるでしょう。これらの発見をもとに、ガリレオは地動説が正しいと提唱しました。

「地動説」は認められず異端審問に

数ある証拠を示して提唱した地動説ですが、キリスト教の教義に背くとして、ガリレオは異端審問にかけられてしまいます。異端審問とは、中世以降のカトリック教会において正統信仰に反する教えを持つ者(異端者)との疑いを受けた人物を裁くために設けられたシステムのことです。異端審問を行う施設を「異端審問所」と呼びます。

当時はカトリック教会の正統な宇宙観を否定する説教や書物の出版が取り締まれていたこともあり、ガリレオは1633年の裁判において有罪となってしまいます。この背景には、その前年に刊行した『天文対話』が関係していると考えられています。

『天文対話』は天動説と地動説、それぞれの立場にある2人の学者の対話形式によって成り立つ書物です。この対話を読み込んでいく過程で天動説の矛盾と地動説の正しさが理解できるようになっており、一般人にも理解できるようにまとめられています。

それにもかかわらず、有罪判決を受けてしまったガリレオは、軟禁などの社会的制約がある状態での生活を余儀なくされました。ただ後年、その正しさが明らかになったこともあり、1960年代に入ってからローマ教皇庁が裁判の見直しに着手。ガリレオの死後約350年たった後に無罪が確定しました。

  • ガリレオ・ガリレイの「地動説」

    まずは自分の頭で考えることが大切です

ガリレオ・ガリレイの功績

ガリレオはピサの斜塔とピサ大聖堂にて、物の運動に関する実験を行いました。ここではガリレオが取り組んだ実験と、その考えについて触れていきます。

ピサの斜塔での落下実験

ガリレオは「物体の落下速度は、物体の重さに関わらず一定である」ということを証明するため、ピサの斜塔の上から大小2つの鉛の玉を落下させました。

その結果、大小2つの鉛は同じ速度で落下したため、重力による物体の落下速度は物体の質量に依存しないということが証明しました。

当時は「重い物体ほど速いスピードで落ちる」とした古代ギリシャの物理学が当たり前とされていたので、この事実の発表は世界を驚かせました。

ピサ大聖堂での振り子実験

ガリレオはピサ大聖堂に天井からつり下げられているランプを見て、「振り子の揺れが大きくても小さくても、振り子の往復にかかる時間は同じである」という仮説を立てました。

そして実験により、振り子の重さではなく、振り子のひもの長さによって往復にかかる時間に差が出ることを証明しました。

このようにガリレオは自分で仮説を立て、そして実験・検証するということを常に行い、あくまで「自分で確かめる」ことにこだわり続けていた人物です。自分の目で確かめ検証するという姿勢は、現代の私たちも学ばなければいけません。

  • ガリレオ・ガリレイのピサでの実験

    ピサでの実験は歴史的に有名です

ガリレオ・ガリレイの名言

数ある実験・検証を自らの手で行ったガリレオ・ガリレイ。ここでは、彼が残した名言をご紹介していきます。

名言1

And yet, it moves.

それでも地球は動いている。

名言2

Mathematics is the alphabet with which God has written the Universe.

数学は神が宇宙を書いたアルファベットである。

名言3

Doubt is the father of invention.

疑うことは発明の父である。

名言4

All truths are easy to understand once they are discovered; the point is to discover them.

あらゆる真実は一度発見されれば理解するのは容易だ。肝心なのは真実を発見することだ。

名言5

Measure what is measurable, and make measurable what is not so.

計測可能なものは計測し、そうでないものを計測可能にしよう。

名言6

Who would set a limit to the mind of man? Who would dare assert that we know all there is to be known?

人間の心に限界を設けてしまうのは誰か。我々がすべてのことを知りつくしていると断言してしまうのは誰か。

名言7

Where the senses fail us, reason must step in.

感覚が役に立たないとき、理性が役に立ち始めるのだ。

名言8

I have never met a man so ignorant that I couldn’t learn something from him.

私は学ぶべきものがないほど愚かな人にあったことはない。

名言9

You cannot teach a man anything, you can only help him find it within himself.

人にものを教えることはできない。自ら気づく手助けができるだけだ。

  • ガリレオ・ガリレイが残した名言10選

    ガリレオ・ガリレイが残した名言は、現在にも生きています

生涯をかけて事実を追求したガリレオの生き様から学ぼう

今回は、ガリレオが提唱した地動説や実験・検証、そして残した数々の名言についてご紹介しました。

生涯を通して実験・検証を続けたガリレオの生き様は、現代の私たちにも学び続けることの大切さや、固定概念を信じるのではなく、まず自らの手で調べることの重要性を教えてくれます。

ぜひ今回紹介したガリレオの考えを自分に取り入れてみてください。