「この世って生きづらい」誰しもそんなふうに感じたことが1度ならずあるはず。そこで、「人生は、いかにこの生き地獄を楽しめるかのゲームだと思っている」と語るお笑い芸人・バービーさんに、Z世代が感じている「生きづらさ」についてご相談。
今回は職場などで「周りから『普通』の圧力を感じて生きづらい」と悩むアナタに、バービーさんが真剣アドバイスします。
■悩み1 : 先輩社員から「可愛げが無くて新人らしくない」と言われました。彼らが望む新人像に自分を寄せた方がいいのでしょうか?
そもそも、その「新人らしさ」って何だろう? 「新人らしさ」を求める人たちは、「新人らしさ」が求められる時代の価値観の中で生きてきた人たちです。それをあなたがあえて体現する必要はないと思います。
もちろん、彼らの望む新人像を演じることで、仕事上得るものがあるなら、新人らしく振る舞うのも処世術の1つかも。でも、Z世代の人たちが生きていくこれからの世の中って、年功序列ではなく実力主義になっていきますよね。「新人らしさ」なんて、まったく意味のないものになるんじゃないかな。
芸人って実はものすごいタテ社会ですから、私も昔は「後輩らしくない」「生意気だ」と怒られたし、飲み会では「先輩のグラスが空いたらお酒をつくれ」とか、礼儀を叩き込まれました。そのことには感謝していますが、「生意気」については気にせず意見はしっかりぶつけてました。
バラエティ番組のひな壇トークは芸人にとっては先輩後輩なしの戦場であり、同時に掛け合いのチームプレイのような場でもあります。なかなか自分を主張できないでいた時、「バービーお前いま行け! 」と先輩に背中を押されて自信を取り戻した経験もあります。
そんなふうに先輩たちが放つ言葉の中には「自分のためになる」と思えるものもあって、そういう言葉はしっかり吟味して時にはノートに書き留めたりしました。
逆に「間違っているな」という言葉は意に介さずという感じでした。耳を傾ける価値があるかどうかを自分でジャッジして、行動することが大切なんだと思います。
■悩み2 : 恋愛に興味が持てません。交際を申し込まれることもあるのですが、恋愛感情がなくても一度つきあってみた方がいいでしょうか?
私自身は恋愛に興味津々で気が多いタイプだったので、好きで恋愛していました。恋愛を好きでよかったなと思うのは、人と深く関わり合うことができたこと。恋心がベースにあるから、信頼してぶつかり合うことができたし、ぶつかっても理解し合うことができました。
昔は友人同士でもケンカして分かり合えたりしましたが、今はSNSがあるせいで、人間関係で下手を打てないじゃないですか。大っぴらにケンカもできなくて、こそこそと人をハブにしたり、されたり。人とぶつかるチャンスがないから、深く関わるチャンスもない。
SNSとかでの繋がりの多さだけじゃなく、深さを体感できればきっと自己肯定感も上がると思います。Z世代の人と話していて「なんでこんなに能力が高いのに自信ないんだろう? 」と時々感じるのは、この辺りに原因があるのかなって思ったりもします。
だから、「絶対的な味方がほしい」とか、「親友がほしい」とか、そういう延長線上で恋愛に臨んでみるのもいいんじゃないかなと思います。信頼できる人、安心できる人が恋愛関係以外で得られている人、そもそも人とぶつかり合うことが心地よくないタイプの人なら、恋愛はまったく必要ないなと思います。私の場合は、たまたま恋愛と人間関係がセットだったという気がします。
結論としては、一度試しにつきあってみるのもアリかと。本来、恋愛感情がないのにおつきあいするのはとても失礼なことですが、その気持ちを素直に伝えた上で了承が得られるなら、変に罪悪感を覚える必要はないと思います。
決して無理のない範囲でね。
■悩み3 : 会社の同僚たちと映画やファッションの話題が合いません。合わせないと孤立しそうで悩んでいます。
自分との違和感を許容できない人たちからの同調圧力ってこわいですよね。私も以前はジェンダーについて語ることが、ジェンダー意識の高い層から持ち上げられて何かそちらの側の象徴になってしまって、社会からレッテル貼りされるのではという怖れを感じていました。
いわゆる「マウンティング」など、日常の中にある行為に名前が付き始めた時に、それがきっかけで自分が当事者として引き出される危機感もあったと思います。
こういう状況では、相手の話題をハッキリと「それ、いやだわ」なんて拒絶すれば、攻撃対象にされるかもしれません。でも、「あなたたちもいいね」と相手の良さを認めた上でなら、「でも、私はこうだからね」というスタンスも認められ、孤立したりしないんじゃないかなと思います。
それに、今いる環境で「普通」とされるふるまいを身につけておくことは、世の中を渡っていくうえで、時に武器になることもあるけど、「普通」にどっぷり浸かって何も見えなくなってしまうことの方が、怖いこと。
そうなると、無意識に「自分とは違う、普通じゃない人」のことを攻撃してしまうことがありますよね。そういうゾーンまで入っちゃうと、自分を客観視できなくなるし、「普通」の呪縛から逃れることは難しいかなと思います。