• 6代目CPの西村陽次郎氏(左)と4代目CPの味谷和哉氏

――『ザ・ノンフィクション』といえばテーマ曲の「サンサーラ」ですが、これは味谷さんの原案だと聞きました。

味谷:私がADのときに、榎木孝明さんがガンジス川の源流に行くという番組のロケハンで初めてインドに行ったんですよ。それで機嫌よくカレー食べたら当たってしまい、全部戻して下痢も止まらなくて、1週間で5~7キロ痩せちゃって。車で源流まで行くんですけど、飯も食えない、夜も目が冴えて寝れない状態で朝方、吊り橋に行ったら、ガンジス川がものすごい勢いで流れていて! そのとき、「♪生きてる 生きている~その現(うつつ)だけがここにある」というメロディーと歌詞が、頭の中で同時に流れたんですよ。しかも原曲では、そのあとが「死んでゆく 死んでゆく~その真実(まこと)だけがここにある」と続くんです。

――「死んでゆく」ですか!?

味谷:そうそう(笑)。でも、ちゃんとした曲にするとき、「『死んでゆく』はマズいですよ」となって、「生きてる 生きている」だけが残ったんです。

――最初に思いついてからCPになるまで、ずっと温めてたんですね。

味谷:92年の7月にできて、家でずっと歌ってたんですけど、それを子供がずっと聴いてたんですね。その後、2003年の10月にCPになるとき、「今度『ザ・ノンフィクション』やるから」って言ったら、高校生になった娘に「私が聴いてきた『サンサーラ』はドキュメンタリーにぴったり合うから、あれをテーマ曲にしたほうがいいよ」と言われたんです。「その現(うつつ)だけが ここにある」だし、合うなあと思って。だから私より、娘のプロデュース力のほうが優秀なんです(笑)

■バラエティ番組でパロディされることに対して…

――この「サンサーラ」を象徴として、今や『ザ・ノンフィクション』は局の垣根を越えてバラエティでパロディ的に扱われたり、『アメトーーク!』(テレビ朝日)では「ザ・ノンフィクション芸人」という企画が放送されたりと様々な形で取り上げられていますが、本家としてはどのように捉えていますか?

西村:テレビ番組である以上、話題になることは本当に良いことだと思います。僕もいろんな番組を作ってきましたが、どんなに中身が良くても知られないと終わっちゃうし、人に見てもらえないですから。だから、こうしてバラエティで「サンサーラ」がいっぱいかかったり、『アメトーーク!』でやってもらったりすると、今まで見てもらえなかった人にリーチしていくことになるので、すごくありがたいですね。そしてそれを見て、『ザ・ノンフィクション』に目を向けてくれたときに、ちゃんとした作品を放送すれば、輪が広がっていくと思うので。そこは引き続ききちんと作っていくことが大事だと思います。

味谷:「サンサーラ」が最初にバラエティで使われたのは、『月曜から夜ふかし』(日本テレビ)の桐谷さんじゃないですか? あれで「何この曲?」となって、イジりにも使えるんだとなったのは、一種の発明ですよね。でも、僕がやっていた頃にも、第二制作(フジテレビのバラエティ制作部署)のディレクターとかADから「芸人さんが見たいと言うので、ビデオ貸してくれませんか」とよく頼まれましたから。

――関東ローカルの番組を元ネタとして、ここまで波及するのは、なかなかないことだと思います。

西村:今はネットもあるし、SNSもあるから、もはや関東ローカルの域を超えている部分もありますよね。「細かすぎて伝わらないモノマネ」でもやってもらいましたし、やっぱり26年続けていただいたことで、世の中に浸透しているんだと思います。