プロトタイプが公開されたことにより、近いうちに登場することが確定的になった7代目「フェアレディZ」。その正式発表を前に、50年を超えるZの歴史を振り返っておきたい。まずは昭和を彩った初代「フェアレディZ 432」(S30型)から3代目「フェアレディ Z 300ZX」まで、3世代4車種を一挙にプレイバックする。
スポーツカーの歴史を変えた1台
先日のプロトタイプ公開を受けて、自動車ファンの話題を一身に集めているフェアレディZ(以下、Z)。50年以上の長きにわたってスポーツカーのアイコンであり続ける、日本が誇る1台だ。
Z誕生のキーマンとなったのが片山豊氏だ。1960年代半ばに米国日産社長を務めていた片山氏は、中古車を使って休日に草レースを楽しむ米国人の姿を見て、「我々(日産)が手頃なスポーツカーを彼らに提供できれば、売れるに違いない」と直感。本社に繰り返し“みんなが楽しめる確かなスポーツカーの開発”を要望し、Z誕生の流れを生み出した。
ただし、片山氏が要望したからといってすぐさま開発が始まるほど、事は単純ではない。当時の日本には、新たなスポーツカーの開発に乗り出しにくい事情があった。
日産が1962年から展開していた「ダットサン フェアレディ」シリーズは、手頃な価格と高性能で好評を得ていた一方で、衝突安全や快適性、高速巡航性能、静粛性といった時代が求める性能基準を全く満たしていなかった。加えて、伝統的なスタイルを踏襲したオープンタイプのスポーツカーは実用性に乏しく、そもそもの市場規模が小さかったので、メーカーにとっては負担の大きいジャンルとなっていた。
前述の「ダットサン フェアレディ」シリーズは1969年までの8年間で約5万台の販売に終わっている。これでは、メーカーも苦しい。そうした問題をクリアするため、次世代スポーツカーには大きなブレークスルーが必要とされていた。
この状況を一変させたクルマこそ、1969年に誕生した偉大な初代Zだったのである。ここからは、初代から3代目までのZを振り返りたい。
1969年「フェアレディZ 432」(S30型)
伝統のオープンスタイルをやめ、剛性が高く、かつ空力特性に優れるクローズドボディーを採用したことで、衝突安全性や長距離巡航性能が向上した「フェアレディZ 432」(S30型)。「ダットサン フェアレディ」シリーズが搭載していた直列4気筒エンジンをより静粛性の高い直列6気筒エンジンに変更したことで、騒音や振動といった快適性の問題もクリアした。
直列6気筒エンジンを搭載するため、シルエットは“ロングノーズ・ショートデッキ”に。Zを象徴する優美で特徴的なスタイリングは、このクルマで完成した。サスペンションは4輪独立懸架を採用し、操縦性が向上。先進的なハッチバッククーペスタイルの採用により荷室容量が拡大したことから、運転を楽しむだけではなく、日常使いからグランドツーリングまで可能という新しいスポーツカー像を生み出した。
1972年「フェアレディZ 240ZG」(S30型)
1971年10月に日本専用設計として初代Zに加わった「フェアレディZ 240ZG」。特徴的なのが、フロント先端のバンパーとスポイラーが一体となったエアロダイナ・ノーズ(通称:グランドノーズ)やヘッドライトに装着されたカバー、60mmの幅があるオーバーフェンダーを採用したスタイリングだ。その圧倒的な存在感は、長いZの歴史の中でも唯一無二といえる。
1978年「フェアレディZ 280Z」(S130型)
当時、最大の市場だった米国からの要望を受けて、ボディサイズを全長4,620mm、全幅1,690mm、全高1,305mmに大型化した2代目Z。エンジンは2.8Lが基軸となり、1982年には海外モデルに2.8Lターボが追加となった。また、Zの代名詞でもある「T-Top」(Tバールーフ:骨格だけを残し、左右のパネルを外すことが可能)は、このモデルが初採用だ。
1983年「300ZX」(Z31型)
3代目の大きな変更点はエンジンだ。長尺で重量感のあったそれまでの直列6気筒エンジンから、コンパクトで軽量なV型6気筒エンジンに変更した。これに伴い、スポーツカーにとって重要な重量配分は、車軸の真上から見てわずかに後ろにくるよう調整した。
ロングノーズのプロポーションはそのまま受け継ぎつつ、くさび形を強調するように尖鋭化したスタイリングも3代目Zの特徴だ。後期型では、空力性能向上のため、ボディー表面を段差のないツルツルとした形状にするなど、北米デザインスタジオ(現・日産デザインアメリカ)による大胆なビッグマイナーチェンジも施されている。
スポーツカーの歴史に燦然と輝くZ。次の記事では平成のZを振り返る。