新型コロナウイルス感染症の拡大によって、いま多くの人が先の見えない不安を感じて生きています。新型コロナウイルスはわたしたちの「心」をどのように変え、いま現代はどのような時代になってしまったのか。そもそも、人間にとって「心」とはなんなのか——。

慶應義塾大学大学院で幸福学を研究する前野隆司先生に、お話を聞きました。前野先生は、「いずれ人類はすべて死ぬ」という事実を認識しておくことで、未知の不安に飲まれることなく美しく生きられる」と語ります。

■生物が生きていくために「心」が生じた

――少し漠然とした質問になりますが、そもそも人間の「心」とはいったいなんでしょうか?
前野 心は、生物が生きていくために生じたものではないでしょうか。心には「知性」や「感情」、「意思決定」などさまざまな働きがあり、そのなかのひとつ「記憶と学習」によって、人間は過去と現在のものごとを理解することができます。また、その延長線上で、未来も想像することができる。

つまり、心があることで過去の失敗から学び、未来をより良くするという視点に立つことができます。逆にいえば、過去の失敗にくよくよ悩んだり、死を想像して恐れたりもします。生物がより良く生きるためのOSとして心ができたにもかかわらず、間違って使うと悪く生きてしまうものにもなりかねません。

――心とはいわば「諸刃の剣」なんですね。
前野 わたしは、約1万年の歳月をかけて人間の心は歪んできたと考えています。狩猟採集をしながら自然とともに生きていた人類は、約1万年前に農耕生活をはじめ、大地を農地という人工物に変えました。それによって一定面積に住める人間が増え、富を蓄積できるようになり、格差が生じて、やがてさまざまな社会問題が生まれました。

農耕革命以来、人類の心のひずみが拡大していったと思うのです。もちろん、いい面は豊かになったことですが、一方で貧富の格差が生じたり権力闘争が起きたりしました。そして、約300年前に産業革命が起こり、そのスピードが劇的に増して現在に至っています。

――では、現代はいったいどのような時代なのでしょうか?
前野 環境問題や貧困問題をはじめ、あらゆる面で限界に近づいていると見ています。格差の問題にしても、2019年時点で世界の最富裕層2153人の資産が、世界の総人口の6割にあたる46億人分の資産を上回る(※Oxfam International2019年報告書)ような不自然なことが起きている。人類が農耕革命以来、地球をどんどんひどい状態にした結果、もはや危機的な状態になったのが現代です。とくに、ここ十数年は環境問題が深刻です。

わたしは数年前、「気温が上昇してパンデミックがいつ起きてもおかしくない」といっていました。新型コロナウイルスは気温上昇が原因かどうかわかりませんが、いずれにせよ今後もパンデミックは起きるでしょう。

■「幸せな人」と「不幸せな人」が2極化している

――新型コロナウイルス感染症の拡大は、わたしたちの心をどう変えたとお考えですか?
前野 やはり、幸せな人と不幸せな人の2極化が進んだと考えています。幸福学では、視野の広い人は幸せで、視野の狭い人は不幸せとする研究結果があります。新型コロナウイルス感染症でも、視野が広い人はものごとを大局的にとらえ適切に手を打つことができました。一方で、視野が狭い人は問題を局所的にしかとらえられず、必要以上に不安におちいったり、短絡的な怒りをぶちまけたりする行動が現れました。

――いわゆる「自粛警察」に代表されるような、ネガティブな言動やニュースがたくさんありました。
前野 長期的な視点に立てば、たとえばオンライン化を進めたり、いろいろな人とつながって危機を変化の機会としてとらえたりするなど、できることはたくさんあるはずです。でも、視野が狭い人は、危機が立ち去るのをじっと耐えて待っている印象を受けるのです。主体的に動く方法がわからず、そこで行動しないので、自分が置かれた状況はなにも変わりません。

そうなると自分に自信を持つ機会もなくなり、家に閉じこもるようになってしまう。すると、ますます人とのつながりがなくなって孤独になっていきます。しかも、テレビやスマホにはネガティブなニュースばかり流れるので、どんどん不幸せになるわけです。もちろん、自粛警察も不幸の代表例のひとつですね。

――日本だけでなく、現在は世界中がいがみ合っているように思えます。
前野 広い視点に立てば、いまは全人類が力を合わせてパンデミックに立ち向かうべきときです。そのためには、もう「いがみ合うのをやめる」しかありません。いがみ合っていても、世界は少しもよくなりませんよね。わたしたち一人ひとりが、倫理観を持って人格を磨くことが必要なのです。たとえば、カナダのトルドー首相は、かねてから信仰を問わず難民や移民を歓迎する姿勢を見せ、「多様性はわたしたちの力です。カナダへようこそ」と発言しました。

多くの人がいがみ合うときにも、こうしていがみ合わないことを主体的に選ぶトップも世界にはいます。わたしは、「和の国」日本は、いまこそ世界平和のためにさまざまないがみ合いを仲裁できる国になるべきだと思いますね。

■「死」を想えば美しく生きられる

――新型コロナウイルス感染拡大で、いまだ多くの人が先の見えない不安を感じています。これからどんなマインドを持って、未知の不安に対処すればいいでしょうか?
前野 まずは、不安におちいって視野を狭めないように、最低限のストックを整えておきましょう。心では、「会社がつぶれたらどうしよう」「病気になったら怖い」というような不安はあっても、安心できる環境を整えておけば、心は少し落ち着くはずです。

――現実的に、緊急用のお金などを平時から準備しておくということですね。
前野 そうですね。もうひとつは、「いずれ人間はすべて死ぬ」という事実を実感として認識しておくことです。新型コロナウイルスはたまたま人類に同時にやってきただけで、遅かれ早かれ死は誰にでも訪れます。かくいうわたしも、明日なにかで死ぬかもしれませんが、それは数十年後と思われた死が明日になっただけで、人類の歴史から見るとごくささやかなことに過ぎません。

そのように巨視的に見ると、些細な仕事などの不安はほとんど感じません。もっといえば、人類が滅んだら、やがてまた青く美しい地球に戻るでしょう。こんなことを平時に一度ゆっくりと想像し、考えておくのがいいと思いますね。

もちろん、自死について考えようというのではないですよ。その逆です。死について考えるからこそ、いま生きる一瞬一瞬が大切に思えるという意味です。9月になって、急な自殺の増加が話題になっています。これは気になる傾向ですね。まさに、広い視野で死について日頃から考えておかないと不安になるということの表れといえるかもしれません。

――たしかに、自分のことばかり考えていると視野が狭くなって、心配も増えて不幸せな状態になりますね。
前野 「キャンサーギフト」という言葉を知っていますか? がんになった人は否応なく死について考えるため、一部の人は「がんを経験してよかった」「得られるものがあった」「心の美しさがわかった」などと口にします。

つまり、死に直面した人は、残りの人生をいかに精一杯生きるかを考えて、成長するということです。逆に、うろたえて、怒り悲しんで、荒れ果てる人もいます。でも、どうせみんな死ぬのなら、「いい人生だった、当然全員にやってくる死が自分にもやってきた」と美しく、ありのままの自分で死にたいですよね。

だから、ふだんから広い視点で死について考え、自分が生きる意味をとらえておくことが大切です。そうすれば、新型コロナウイルス感染症も、地球に数多くある現象のひとつに過ぎないことがわかり、行き過ぎた恐れはなくなると思います。

構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 取材・文/辻本圭介 写真/石塚雅人