NTT東日本 千葉事業部はワイヤレスデザイン、IoTBASEとともに6月3日、千葉県いすみ市にある「つるかめ農園」における水田の水位の遠隔監視に関する取り組みについて発表した。IoTは、これからの農業をどのように変えていくのだろうか。つるかめ農園代表の鶴渕真一さんに話を伺った。

  • IoTで水田の水位を管理するつるかめ農園の鶴渕真一さん

IoTで農業を支えるNTT東日本

世界でも上位の農業生産額を誇る日本。だが生産年齢人口の減少や産業の変化、都市部への人口集中などの問題を受け、農業は高齢化問題や後継者不足、耕作地の放棄といった大きな課題に直面している。日本の農業に生産性向上が求められる中、地域と連携しながらIoT(Internet of Things:モノのインターネット)による取り組みを行っているのが、NTT東日本だ。

NTT東日本 千葉事業部、ワイヤレスデザイン、IoTBASEは、千葉県いすみ市にある「つるかめ農園」とともに、水田の水位の遠隔監視に関する取り組みを行っている。IoTは、つるかめ農園の農業をどのように変えたのだろうか。

有機米作りのカギを握る深水管理

千葉県いすみ市は県内有数の農地面積を誇り、特に有機栽培に力を入れている自治体だ。鶴渕真一さん、修子さん夫妻が経営するつるかめ農園もまた、肥料も農薬も使わない「自然栽培」によって有機米を作っており、「深水管理」を用いて苗を発育させている。これは、水田に深く水を入れ、水中の酸素濃度を低下させるとともに地面に水圧をかけ、雑草の繁殖を抑えるというもの。また水温によって苗を寒さから保護する効果も備えている。

だが深水管理では、除草剤を使う稲作と比べ水位の管理を厳密に行う必要があり、1日1回以上の見回りが欠かせない。急激に水位が増減した際は迅速な対応を行わねばならず、繁忙期には水田から離れることができない。

  • 深水管理について語る鶴渕真一さん、修子さん夫妻

鶴渕さんは「深水管理では水位の管理が最も重要ですが、人間には24時間見続けることはできません。朝と夕方に見るくらいが限界ですし、人の目では見落としもありました。どのような水位変化で漏水と判断するかは“経験や勘”に頼るしかありませんし、それでも判断を間違えることもあります」とその苦労を語る。

そんな中で起こった、2020年に新型コロナウイルス流行。つるかめ農園はこれまでアルバイトなどの力を借りて40枚以上の水田を管理してきたが、十分な人手を見込めなくなった。そこでNTT東日本が同園に提案したのが、IoTを使った水田の水位管理だ。

水田の水位をいつでもスマホで確認

つるかめ農園の農業と生活を大きく変えたIoT。その仕組みは、独自の水位センサーから得られたデータを低消費電力・長距離伝送が行えるLPWA回線と光回線を経由してクラウドへ送信。IoTデータ可視化アプリ「Canvas」を通じて可視化し、PCやスマートフォンで水田の水位や位置をグラフやマップで表示するというものだ。ワイヤレスデザインがハード面を、IoTBASEがソフト面をサポートしている。

  • 水田の水位を図るための水位センサー

水位センサーは単三電池2本で約6カ月間運用可能。また「Canvas」は、水位が設定した閾値を超えた場合はメールやSNSで通知する機能を備えるほか、センサーを追加することで水温や水中の酸素濃度なども計測できる。

  • IoTデータ可視化アプリ「Canvas」

  • 数値やグラフをどこでもスマホやPCから確認できる

「私はもともと農業とは別の仕事をしていて、農家の生まれでもありませんので、判断基準となる“勘”が一朝一夕に身に着けられるものではないことは良くわかります。しかしIoTを使えば“どれくらいの期間にどれだけ水位が低下しているか”を可視化できるので、農業の知識があればだれでも判断できるようになるのです」(鶴渕さん)。

これまで人が目視で確認していた水位がアプリ上に数値として表示されるため、見回りなどの負担軽減や、漏水や増水をいち早く検知し速やかに対処できる環境が構築できるという。鶴渕さんは「収量も品質も向上するのは当たり前ですが、なによりも健康管理が上手にできるようになったのは大きい」と続ける。

  • もぐらが掘った穴によって急激な漏水が起こっている

  • 穴にわらを詰め、応急処置を行う鶴渕さん

「水田に行かずとも水位を確認できるため、心身の負担が大きく減りました。体調が悪いときはスマホで水位を確認し、問題がなければそのまま休養を取ることができます。必要以上に水田にとらわれない、フレキシブルな生活ができるようになったと思います。これまで妻に『全部の水田を見てきて』というと断られていましたが(笑)、今は『ここだけ見てきてくれる?』とお願いできるようになりましたし」(鶴渕さん)。

「6月はとても水位に気を張る時期です。さっきも水位がすごく落ちたので水田に行っていたのですが(※インタビュー前半に水位の異常が確認され、修子さんは水田を見回っていた)、こうしてアプリで確認できるようになったおかげで安心感が増えたというか、家庭にも良い影響があったなと感じます」(修子さん)。

  • 家庭にも良い影響があったと笑顔で語る修子さん

だが自然を相手としているがゆえに、システムの実運用を始めるまでにはさまざまな苦労があったそうだ。最初に設置した水位センサーは、雨水の影響を回避するべく水位を図るウキやセンサーをすべてパイプで覆っていたが、内部に泥が入ってしまうという問題が発生。そこで現在は、ウキを外に出し、センサーが入っているパイプにはゴム栓をする形で運用されている。この形には、問題が起こった際に外から見てわかりやすいというメリットもある。現在でも天候の影響でおかしな計測値が表れることがあり、NTT東日本、ワイヤレスデザイン、IoTBASE、つるかめ農園は試行錯誤を続けているという。

  • 改良されパイプの外に露出したウキ

一方で鶴渕さんは「ハードの進化はうれしいですが、むしろ進化するべきはソフトだと取り組みを続ける中で感じた」と語る。

「例えば水田に漏水の原因となる穴が開いてしまったとき、グラフを読まなくても『大きな穴が開きました』『急激に水が減っています』とメッセージを送ってくれれば、テクノロジーに詳しくない方や農業経験の少ない方でも簡単に使えるようになるでしょう。気象条件などを調べることでの生産技術向上はできると思いますが、それは地域に一か所あればよいので、各農家が個別に備える必要はないのです」(鶴渕さん)。

農業の経験や技術を圧縮して伝える

高い技術を持ちながらも、次世代への継承が危ぶまれている日本の農業。鶴渕さんは「現在の農業界には、一種の職人文化があり、経験と勘に頼り、再現性の高くないところがある」と話す。

「『長い経験のある人にとっては当たり前のことができない。そして、なぜできないのかわからない』……私はこれを痛みをもって感じてきました。お米作りは一年一作なので、その当たり前がわかるようになるまでに下手したら3年、4年かかったりするわけですよ。そこまで耐えられない人もいますし、ここまで強い思いが求められると従事する人も減ってしまいます。ですが、IoTをはじめとしたテクノロジーを用いて経験や技術を数値化し、ノウハウをマニュアル化できれば、年月をかけなくても圧縮して伝えられるのではないでしょうか」(鶴渕さん)。

  • 鶴渕さんとともに稲の発育状態を観察するいすみ市役所 農林課

日本の農業の高い技術は、先人たちのたゆまぬ努力によって培われてきたものだ。しかし農業には「大変」というイメージが付きまとっており、これによって新規に農業を志す人の数は減り続けている。鶴渕さんはこの点を危惧する。

「農業体験イベントや農業体験学習などで『大変さがわかりました』『お米を大事に食べようと思います』という感想をよくいただきます。とてもありがたい言葉ではあるのですが、みなさんの仕事も大変じゃないですか。もちろん農家には農家の大変さがありますが、IoTなどの普及によって皆さんの目の向く方向が『農業って面白いな!』『やってみたいな!』『私の専門分野と合わせたらもっとすごいことができそう』というものになったら良いなと思っています」(鶴渕さん)。

  • 「苦労よりも価値を伝えられるようになりたい」と鶴渕さん

最後にNTT東日本の則俊直哉さんは、同社の取り組みと地域にかける思いについて、次のように述べた。

「NTT東日本は、ICTソリューション企業として、地域の皆様を全力でサポートし、共に発展していくことが大切だと考えております。地域を活性化していくための方法は地域ごとにそれぞれ異なると感じています。いすみ市に関しては非常にきれいな里山があって、この恵まれた資源をうまく活用できればいいなと思いました。そして、我々がこのような資源を守っている人たちをお手伝いすることで、地域の活性化に繋がればと願っています」(則俊さん)。

  • NTT東日本 千葉事業部 地域ICT化推進部 主査 則俊直哉さん

  • つるかめ農園では、同園のお米で作られたお酒やみりん、お菓子なども取り扱う